英国のEU離脱大きく前進 下院が初承認「政界のピエロ」がカッ飛ばした9回裏2死逆転サヨナラ満塁弾
30票差で初の“青信号”
[ロンドン発]迷走に迷走を重ねてきた欧州連合(EU)離脱交渉で22日、最大の難関である“伏魔殿”英下院がボリス・ジョンソン英首相とEUの新しい合意の基本方針についてテリーザ・メイ前英首相時代を通じて初めて承認しました。
英下院は本会議の審議を中心とする3読会制を採っています。
(1)第1読会 本会議で法案の題名だけを朗読
(2)第2読会 本会議で法案の基本方針を審議。第2読会の表決で決定された法律案の基本方針に拘束されるため、その後の審議で基本方針から外れる修正案は許されません。
この日行われたのは第2読会の表決で、賛成329票対反対299票の30票差でジョンソン首相の新しい合意案の基本方針が承認されました。
保守党の党籍を剥奪された無所属議員ら25人と造反した労働党議員19人が賛成に回りました。ジョンソン首相に賭ける人が増えている(バンドワゴン効果)と見ても良いと思います。
しかし、今後の審議日程を決めるプログラム動議でジョンソン首相が公約である10月31日離脱にこだわり、下院での審議日程を24日までしか設けなかったため、賛成308票対反対322票の14票差で退けられました。
争点は何日ぐらい下院の審議日程をとり、いつまで離脱期限を延長するかです。ジョンソン首相は保守党の党籍剥奪組や労働党離脱派と連絡を取りながら離脱期限の着地点を探るとみられています。
(3)委員会段階 逐条審査
(4)報告段階 委員会報告を受け、本会議で法案の逐条審議
(5)第3読会 法案の最終審議。討論と表決
「政界のピエロ」が「祖国の救世主」に
メイ前首相はEUとの離脱協定書と政治宣言を3度も英議会にかけ、大差で否決されました。
・1度目の採決は史上最悪の230票差で否決
・2度目の採決もワースト4の149票差で否決
・当初の離脱期限だった3月29日、3度目の採決も58票差で否決
期待値が低いどころかマイナスだった「英政界のピエロ」ことジョンソン首相が9回裏2死から逆転サヨナラ満塁ホームランをカッ飛ばしたとでも表現すれば良いのでしょうか。
ジョンソン首相は「祖国の救世主」として自らを重ねてきた第二次大戦の英雄ウィンストン・チャーチル首相と並んで歴史に残る名宰相になる可能性が出てきました。
英名門イートン校卒、オックスフォード大学で弁論部会長を務めた経歴は伊達ではありませんでした。ジョンソン首相をこき下ろしてきた筆者をはじめジャーナリストの大半は不明を恥じなければなりません。
頭の悪い人は難しい問題をさらに難しくし、普通の人は難しい問題を難しく語り、頭の良い人は難しい問題をシンプルに解決するとよく言われます。
サッカーも同じで良いプレーヤーは難しい局面をシンプルなパスやちょっとしたポジションの移動でいとも簡単に解決してしまうのです。
ジョンソン首相はリベラルなのか
筆者はビル・エモット英誌エコノミスト元編集長に「ジョンソン首相と首席ストラテジストのドミニク・カミングス氏はネオリベラリズム(新自由主義)がもたらした格差に対する幻滅を利用しようとしているように見えるが、どう思うか」と質問してみました。
エモット氏「カミング氏はブレグジット党のナイジェル・ファラージ党首と同じようにそうしています。ジョンソン首相も文化とアイデンティティーが深刻な問題であることを理解していると思います」
「しかしその一方でリベラルな経済政策についてジョンソン首相は伝統的な考え方を持っていて、EU離脱のポイントは自由貿易、遺伝子工学やその他の新技術を支援するための規制緩和を追求することだと信じています」
「ジョンソン首相はネオリベラリズムのようなより伝統的な考え方を持っていると思います。ファラージ氏はアイデンティティーや文化、主権を言っていさえすればとにかく人気が出るという考えの持ち主です」
「ジョンソン首相を擁護するつもりはありませんが、彼がファラージ氏と同じ部類の人間とは思いません」
――なぜ英国人はまだジョンソン首相の可能性、彼がナショナリストではなくてコスモポリタンだと信じることができるのでしょう
「それはまずジョンソン首相がロンドン市長だった時にとった政治姿勢によります。第二に、彼の祖先が移民だからです。彼の祖父はトルコ出身で、彼にはロシアの血も流れています。家系の起源は移民です」
「第三に彼は英国に留学している外国人学生が卒業後に働ける期間を現在の4カ月から2年に延長したので移民により寛大であることが示唆されました。彼が移民により寛大であるという証拠があると思います」
メイ前首相とジョンソン首相の違い
ジョンソン首相とメイ前首相のアプローチはどう違ったのか反省を込めて自分なりに整理してみました。
(1)EU残留派のメイ前首相は「残留しながら離脱する」ことを考えたため、EUを困らせた。離脱派のジョンソン首相は「離脱してからEUとの将来の関係を再構築する」方針を明確にしたため、EU側も問題を整理しやすくなった。
(2)メイ前首相はアイルランドと英・北アイルランドの問題を将来の交渉が決裂した際のバックストップ(安全策)として片付けようとした。これに対して、ジョンソン首相は国境問題の恒久的な解決策をアイルランドのレオ・バラッカー首相に提示して信頼を勝ち取った。
(3)メイ前首相は下院の過半数を獲得するため北アイルランドのプロテスタント系強硬派の地域政党・民主統一党(DUP)のご機嫌をうかがったが、結局DUPにも保守党内の強硬離脱派にもソッポを向かれた。
ジョンソン首相はDUPを特別扱いせず、北アイルランド議会の単純過半数で国境問題の新たな枠組みから離脱できるという民主的な手続きを発案した。
北アイルランドに和平をもたらしたベルファスト合意は北アイルランドの未来は北アイルランドが決めるとうたっており、ロンドンでもダブリン(アイルランドの首都)でもブリュッセル(EUの本部)でもなく、北アイルランドが自分たちの未来を決められる枠組みを作った。
英下院に10議席しか持たないDUPに鼻面を引きずり回されないようDUPから「拒否権」を取り上げ、政府の主導権を取り戻した。
(4)メイ前首相は自分の案にこだわり、EUが出したバックストップの代替策という宿題に毎回ほとんど同じ回答を持ってきた。ジョンソン首相は「合意なき離脱」をちらつかせる一方で、バラッカー首相やドイツのアンゲラ・メルケル首相を納得させる答案を一発で持ってきた。
(5)ジョンソン首相はアイルランド国境問題を解決することで主権主義やナショナリズムに傾いていた保守党内強硬離脱派の世論を自由貿易協定(FTA)路線に引き戻すことができた。
(6)メイ前首相は下院の票読みが全くできていなかったが、ジョンソン首相は下院を通過させる票読み、下院で否決されても解散総選挙に打って出ることができれば単独過半数を獲得できる明確な道筋をEU首脳に示すことができた。
メイ前首相の時は、EUが妥協しても“下り損”になってしまう恐れが強いため、アイルランドと北アイルランド間の国境で通関手続きの漏れがある程度出ても大目に見るという大胆な妥協ができなかった。
(7)ジョンソン首相はEUと新しいFTA締結を目指すことで完全に利害が一致。EU首脳とのケミストリー(相性)はメイ前首相よりも格段に改善した。
ジョンソン首相はデービッド・キャメロン元首相より2歳年上。2008年からロンドン市長を2期8年無難に務めた経歴から、首相としての成功を期待する声もありました。
しかし英紙タイムズの見習い記者時代、退屈な記事を面白くするため談話をでっち上げて解雇、その後も懲りずに人種差別的なコラムで物議をかもしたり、数々の不倫や隠し子問題があったりして首相としての資質を疑う声が強かったのも事実です。
まだ100%彼を信頼することはできませんが、ジョンソン首相は土俵際から見事な打開策を示すことができました。
今後EUとのFTA交渉を成功させるために大切なことは解散総選挙に打って出て下院で単独過半数を獲得することでしょう。今、総選挙になれば保守党が大勝する確率が高く、ジョンソン首相が解散を呼びかける可能性は残っていると筆者は見ます。
(おわり)