サッカーと貧困。若者失業率50%のスペインで、レアル・ソシエダが差し出した救いの手。
スペイン、サンセバスチャン。街中にあるアノエタスタジアムのゲートで、一人の男性が8ヶ月もホームレス生活をしていた。35歳のルーベンさんは仕事を失い、職を求めるもありつけず、路上で犬と一緒に暮らすことになった。
「2ヶ月間ですが、スタジアムの管理人として働いてみませんか?」
ルーベンさんに手を差し伸べたのは、アノエタを本拠地にするサッカークラブ、レアル・ソシエダの関係者だった。働けず、スタジアムに身を寄せる姿は、しのびなく映ったという。敬虔なカトリックが多い町だけに、人々は慈悲深い。
ルーベンさんはどうにか、物乞いする日々から抜け出せることができた。
スペインの若者の失業率は50%超
スペインは2000年代前半にバブル経済で潤ったが、数年で弾けてしまった。そのツケは下流社会を叩き潰した。失業率は爆発的に増加し、一時は30%近くになった(ちなみに日本の失業率は3~4%)。現在は20%前後に落ち着いているものの、現状は「パートタイムの数珠つなぎ」でしかない。定職は少なく、20代の失業率はなんと50%台。未来の希望を見失いそうな数字である。地域でも格差はあり、南のアンダルシア地方では定職にありついている若者の方が珍しい。
それでも町に明るさが消えないのは、スペイン人の前向きにものを考えられる特性にあるだろうか。
しかし、貧困は砂漠のような勢いでにじり寄ってくる。
その貧しさと常に共にあるのが、サッカーかもしれない。
例えばスペイン映画では、「失業問題」がしばしばサッカーとセットにして描かれている。
フェルナンド・レオン監督、ハビエル・バルデム主演の名作「Los Lunes al Sol」は、ガリシア地方で職のない中年男性たちが繰り広げる悲喜こもごものドラマ。お金のない男たちが、スタジアムの隙間から大好きなサッカーを観戦し、ゴールに熱狂するシーンがある。しかし隙間から見えるのは一部分で、ゴールの様子は見えない。スタジアムの盛り上がりで、応援するチームのゴールを祝福するのだ。
「Los Lunes al Sol」は月曜に日は昇る、という意味。月曜になっても、彼らには働く場所がない。
また、ナタリア・デ・モリナがゴヤ賞を受けた「Techo y Comida 」では、シングルマザーに迫り来る貧困が淡々と濃厚に描かれる。働きながら女手一つで子供を育てるが、家賃を滞納し、ガス(ボンベ)は尽き、電気も消え、水も公園に汲みに行く。希望はわずかだが、彼女は毅然として生きる。主人公が愛息と抱き合うシーンの背景には、スペイン代表のユーロ優勝をバーで喜ぶ人々の姿が映し出される。その翌日、親子は強制退去を前にアパートを出て、二人でどこかにふらふら歩いて去る。それがラストシーンだった。
「Techo y Comida」は天井とご飯という意味で、生活そのものだ。
ルーベンさんはレアル・ソシエダというサッカークラブのおかげで、天井とご飯を得た。スペインではサッカーが人々の暮らし、人生に濃密にコミットしている。それは宗教に近い。人々を救えるか。そこに存在意義が立脚している。もちろん、全員を救えるはずはない。
「サッカークラブは夢を与えられるか。嫌なことを少しだけ忘れさせて、明日を楽しみにさせられるか」
レアル・ソシエダの練習場、スビエタで関係者にそんな話を聞いたことがある。しかし、これはなにもレアル・ソシエダに限ったことはない。サッカーは福祉、奉仕活動ではないし、プロスポーツとして競争理念の中にある。しかし、その意味での強者である彼らが弱者となっている人を慈しむ。その回路に、この国の希望を見るのだ。たとえそれが、その場凌ぎであったとしても――。
「こんなにいい人が世の中にいるなんて、正直思っていなかった。生きる希望を失いかけていたから」
今も犬と暮らすルーベンさんは語っている。