南極点にそびえたっていたノルウェー国旗、スコット隊の軌跡
20世紀初頭、多くの探検家が極地への到達を目指していました。
その中でスコット隊は南極点到達を目指していたのです。
この記事ではスコット隊が南極点に到達するまでの軌跡について紹介していきます。
南極点に置かれていたアムンゼンの手紙
1月4日、最終サポートチームの3人は名残惜しげに基地へ帰還し、スコットら5人の極点隊が出発しました。
予期せず5人編成となった彼らは、重いソリを引きながら南極の果てへと歩みを進めたのです。
1月10日、極点まであと167キロ。
スコットはここに「1度半デポ」を設置したものの、その神経は日ごとに目に見えぬアムンセンの存在に押しつぶされていくばかりでした。
1月15日、スコットは日記に「ノルウェーの国旗が先に見えたらと思うとゾッとする」と記します。
翌日、遠方に雪塚を見つけると、隊員の誰もが先行者の足跡に気づきました。
もはや勝敗は明らかだったのです。
そして1月17日、氷点下30度の寒空の下、スコットたちはついに南極点に到達します。
しかしそこにはすでにノルウェーの旗が掲げられ、アムンセンのテントが設置されていたのです。
テントにはスコットへの手紙とノルウェー国王への手紙の2通が残されており、そこには「この手紙をノルウェー国王に届けてほしい」という敗者への屈辱的な依頼が記されていました。
英国隊が果たすべき役割は「証人」としてこの敗北を世界に証明することだったのです。
気力を振り絞り、スコットたちは地球の南端に英国旗を立て、無言で記念写真を撮影しました。
その夜、スコットは日記にこう書きました。「神よ、ここはひどく恐ろしい土地です」と。
その頃、アムンセンらは既に帰路を半ばまで進んでいました。
好天に恵まれた復路は快適で、軽くなったソリが滑走する中、彼らは水上スキーのように進み、1月25日、計画通りフラムハイム基地に全員無事帰還したのです。
彼らの旅程は99日、走破距離は2976キロにも及んだものの、わずかな狂いもなく達成されたのです。
一方のスコット隊は敗れました。
それは「レース」とは呼べぬほどの完敗だったものの、誰も彼を責めはしません。
本来、英国隊は科学調査のための集団であり、その中から急遽、極点踏破隊が編成されたのです。
隊員たちは屈強な軍人であり、意志も強かったものの、探検のプロではなかったのです。
それに対してアムンセンは幼少から冒険家としての訓練を重ね、仲間たちもまた極地のプロ集団でありました。
彼らが訓練の末に南極で成果を出したのは必然だったのかもしれません。
参考文献
アプスレイ・チェリー=ガラード著・加納一郎訳(1993)「世界最悪の旅 悲運のスコット南極探検隊」朝日文庫