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新銀河系軍団パリ・サンジェルマンの意外な生い立ちとは? オーナーの変遷による栄枯盛衰のヒストリー

中山淳サッカージャーナリスト/フットボールライフ・ゼロ発行人
(写真:ロイター/アフロ)

 リオネル・メッシ、ネイマール、キリアン・エムバペの「MNMトリオ」を筆頭に、MFマルコ・ヴェラッティとGKジャンルイジ・ドンナルンマのイタリア代表コンビ、そして元スペイン代表DFセルヒオ・ラモスにブラジル現代表DFマルキーニョス――。

 世界が羨むほどのスター選手が勢揃いする"新銀河系軍団"パリ・サンジェルマン(PSG)の来日ツアーが、いよいよ始まった。今回のプレシーズンマッチ3試合(7月20日vs川崎、23日vs浦和、25日vsG大阪)は、世界的スーパースターたちを一度で拝める絶好の機会。今から楽しみにしているサッカーファンも多いのではないだろうか。

 ただ、今でこそエリートクラブの仲間入りを果たしたPSGだが、それは最近10年くらいのこと。それ以前は、ヨーロッパの大国フランスの首都パリを本拠地とするクラブとしては、その規模も含めて物足りなさが否めなかったという歴史がある。

 そこで今回は、プレシーズンマッチを楽しむための予備知識として、PSGというクラブの生い立ちやメガクラブ化するまでの歩みについて、改めておさらいしたい。

PSG創設時の興味深いエピソード

 まずクラブの創設は、今から約50年前の1970年。当時パリに有力なフットボールクラブが存在しなかったため、有志が主導して1969年に"仮想クラブ"のパリFCを創設したのが発端だった(現在2部のパリFCは1972年に別体制で引き継がれたクラブ)。

 その翌年、まだ選手もホームスタジアムもないパリFCは、パリ郊外のサンジェルマン=アン=レーを本拠地とするアマチュアクラブのスタッド・サンジェルマンに合流を要請。当時2部昇格を決めたばかりのスタッド・サンジェルマンが、ともに新クラブを創設することに合意したことで、晴れてパリ・サンジェルマンFCとして1970−71シーズンから2部リーグに参加することが決定した。

 ちなみに、のちにパルク・デ・プランスをホームスタジアムにしたPSGだが、クラブハウスを含めた練習場は現在もサンジェルマン=アン=レーにある通称"カン・デ・ロージュ(オレドー・トレーニング・センター)"を使用。しかし今後は、同エリアのポワシーに建設中の新トレーニングセンターに移転する計画だ。

 興味深いのは、仮想クラブのパリFCを創設する際、レアル・マドリードが関わっていたことだ。何もないところからクラブを作るべく、当時パリFC創設を主導したボードメンバーがアドバイスを求めたのが、レアル・マドリードのレジェンドのひとりで、当時会長を務めていたサンチャゴ・ベルナベウだったのだ。

 クラブ経営のノウハウを熟知するベルナベウ会長は、彼らにクラウドファンディング(寄付)によって資金とパリ市民の署名を集めることを助言。結果的にそのアイデアが奏功し、クラブ創設のための資金調達に成功したのである。

 レアル・マドリードとPSGと言えば、最近ではエムバペ移籍問題の綱引きなど、何かと因縁の多い関係性がある。しかしPSGの歴史を語るうえで、実はレアル・マドリードが重要な役割を果たしたことは、見落とせない史実と言えるだろう。

 いずれにしても、ビッグクラブの多くがすでに100年以上の歴史を重ねていることを考えれば、2020−21シーズンにクラブ創立50周年を迎えたばかりのPSGは、ヨーロッパのなかでは相当に若いクラブだ。そこは、覚えておきたい。

最初の黄金期は1990年代

 そんな特殊なかたちで産声を上げたPSGが、初めてタイトルを獲得したのは1980年代前半のこと。MFルイス・フェルナンデス、FWドミニク・ロシュトーといった名手を擁し、1981--82シーズンからフランスカップ2連覇を果たすと、1985--86シーズンには故ジェラール・ウリエ監督率いるチームが悲願のリーグ初タイトルを獲得する。

 ただし、その後はベルナール・タピが会長に就任したマルセイユが時代を席巻。PSGが最初の黄金期を迎えたのは、マルセイユの凋落が始まった1990年代に入ってからだ。1991年にフランスの有料チャンネル『Canal+(キャナル・プリュス)』がPSGを買収したことで、クラブの商業化が加速。国内随一の資金力をバックにメジャー路線を歩み始めた。

 その手始めとして、ポルトを欧州の頂点に導いたポルトガルの名将アルトゥール・ジョルジェを招聘して改革に着手。クラブのレジェンドでもあるMFサフェト・スシッチら多くの主力を放出し、代わりにDFリカルド・ゴメスとMFヴァウドのブラジル代表コンビ、MFポール・ル・グエンやロラン・フルニエら国内の有力選手を一気に補強すると、そこから一気に実力と人気を兼ね備えたスター軍団化が始まった。

 フロントはその後も、リベリア代表FWジョージ・ウェア、フランス代表の若き天才MFダビド・ジノラ、ブラジル代表MFライー、フランス代表FWユーリ・ジョルカエフといったスター性のある実力者を次々と獲得。1990年代半ばまでにUEFAカップウィナーズカップ(現ヨーロッパリーグの前身のひとつ)優勝1回、リーグ優勝1回、フランスカップ優勝2回と、クラブ史上最初の黄金期を謳歌した。

カタール資本化が低迷期を救った

 しかし、この世の春は間もなく終焉する。1990年代後半から下降線を辿り始めると、放漫経営のツケによってクラブの財政も悪化。2000年代半ばには、国内随一の借金まみれのクラブに成り下がってしまったのだった。

 そして2006年、ついに『Canal+』はさじを投げ、コロニー・キャピタルを筆頭とするアメリカの投資会社にクラブを売却。そして2007--08シーズン、チームは残留争いに巻き込まれ、最終節のソショー戦でFWアマラ・ディアネによる伝説の2ゴールで九死に一生を得たものの、まさにクラブはピッチ内外でどん底状態に陥っていた。

 そんなPSGの救世主となったのが、カタール投資庁の子会社にあたる『QSI(カタール・スポーツ・インベストメント)』だった。彼らがPSGを買収したのは2011年。前年12月にカタールで2022年ワールドカップの開催が決定して間もない頃の話である。

 新たな資金源を手にしたPSGは、そこから別次元のクラブに変貌。これまでに投資されたマネーの規模も、ブランディングのレベルも、『Canal+』時代をはるかに上回る。すべてにおいて、カタール資本化してからのPSGは世界的にトップクラスのメガクラブに飛躍を遂げたと言っていい。

 もちろん、チーム成績も大きく変わった。新会長に就任したカタール人のナーセル・アル=ヘライフィーの時代が始まると、昨シーズンまでにリーグ優勝8回、フランスカップ優勝6回を経験。悲願のチャンピオンズリーグ制覇は叶っていないが、国内リーグの優勝回数は、ついに名門サンテティエンヌの10回に並んで国内最多を誇るに至った。

 こうしてPSGの歴史を紐解くと、資金力の浮き沈みの激しさが浮き彫りになる。その意味で言えば、カタール資本化以降の現在は黄金期の真っ只中。新銀河系軍団として来日する今回は、歴史的に見てもPSGの最盛期にあたるため、絶対に見逃せないチームと言えるだろう。

(集英社 Web Sportiva 7月12日掲載・加筆訂正)

サッカージャーナリスト/フットボールライフ・ゼロ発行人

1970年生まれ、山梨県甲府市出身。明治学院大学国際学部卒業後、「ワールドサッカーグラフィック」誌編集部に入り、編集長を経て2005年に独立。紙・WEB媒体に寄稿する他、CS放送のサッカー番組に出演する。雑誌、書籍、WEBなどを制作する有限会社アルマンド代表。同社が発行する「フットボールライフ・ゼロ」の編集発行人でもある。

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