Yahoo!ニュース

あれから28年、JAL123便に嫌われたからこその命

神田敏晶ITジャーナリスト・ソーシャルメディアコンサルタント

520人が犠牲となった1985年の日航ジャンボ機墜落事故から28年となる12日、遺族らが墜落現場の「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)に慰霊登山した。昨年は関越自動車道で高速ツアーバス事故が起きたほか、中央自動車道の笹子トンネルでも天井板崩落事故が発生。遺族らは、やまぬ事故への無念さも胸に墓石の前で手を合わせ、公共交通の安全を改めて願った。

出典:日航機墜落事故から28年 慰霊登山、やまぬ事故に無念さ

早いものであれからもう28年経過した。

1985年8月12日 月曜日のことだった。

ボクは東京でワインマーケティングの仕事をしていた。

お盆にまとまった休暇がもらえたので、社会人になってはじめて、新幹線よりも料金の高かった飛行機で、神戸に帰省しようと思い、突然予約もなく羽田へと向かった。

帰省ラッシュに沸く空港では、どの飛行機も予約がフルであり、キャンセル待ちのスタンバイを申し込むが、キャンセルがでないとまったく搭乗できない。

羽田-伊丹のJAL123便の前に、JALとANAと2便ほど待つが、まったく乗れない。

18:00発のJAL123便がラストチャンスだ。これがなければ、すぐに東京駅に向い新幹線で帰省となる。

幸運にもスタンバイチケットは4番目であった。

ラッキーで飛行機に搭乗しているイメージを抱きながら、スタンバイの順番に並んだ。

…しかし、ついていなかった。

あと2人のところで、JAL123便にボクは搭乗することができなかった。

そこには、キャンセルした人が存在し、キャンセル待ちで乗り込んだ人たちがいる…。

そして、ボクは自分の無計画さと不運さを怨みながら、デッキに吸い込まれている帰省客を羨ましく眺めた。そして、モノレールに乗り継いで、東京駅へと向い、満員の新幹線に飛び乗り神戸へ帰った。

その頃、JAL123便が、御巣鷹山の尾根に消えていたとは、つゆ知らず。

実家に戻って、知人たちと飲み明かし朝を迎えた。

翌日テレビを見ると日航機の123便、そうJAL123便は衝撃的なニュース映像として目に入ってきた。

最初は、客観的に悲惨な事故として映像を見ていたが、「羽田空港を昨日の18:00に出発した日航機123便…」と繰り返されるうちに、ボクの頭の中は、だんだんと真っ白になってきた…。

スタンバイで並んでいた時に、デッキに吸い込まれていく人々をボクは、羨ましく眺めていた。そして、自分だけが空港に取り残された。

しかし、今、テレビのブラウン管に写っている映像は、デッキに吸い込まれていった人たちの数時間後の姿をあられもなく映し出していた。

ボクもその映像の中にいたはずなのだ…。段取りがもっと良ければ…。

この時だけは自分の段取りの悪さに感謝してもしきれなかった。

それと同時に520人もの犠牲者の身代りとして、しっかり生きなければならないという使命感を肩にずっしりと今だに感じ続けている。

その後の、阪神大震災やニューヨーク911、明石歩道橋花火事件などにも遭遇してしまい、ボクの肩に背負った命は1万人に及んでしまった。また、1万人の人たち分の人生をまっとうしなければと想っている。

人は生死の縁を常に歩んでいることをついつい忘れがちだ。

人は生まれたと同時に、死へのゴールに向かって一直線で歩いている。肉体が動かなくなるまで、まっとうした死に方と、不慮の事故で命を落とす死に方。誰かの不注意によって殺されてしまった死に方。死という現象はひとつでも、それにいたるプロセスでそれは大きく違う。

死んだ本人よりも、残された遺族の方が悲しく痛々しい。普段は忘れていることも、この日だけは特別だ。遺族も28年も経つと、亡くなる人たちと、新たに生まれた家族に変わる。

テレビ番組も、この日は特番を組み、風化しないように、年々事故を振り返る番組を送り続けてきた。

しかし、この5年間くらいで、御巣鷹の特番が組まれることはなくなってしまった。

今日の18:00以降の番組をチェックしても、御巣鷹の話題にふれているEPGはなかった。

NHKの特番ですら、「鶴瓶の家族に乾杯スペシャル」だ…。

年に一度くらいはこの事故を風化させない努力が本当に必要だと思う。

新たな情報がないまでも、飛行機の問題、交通事故は毎年多々ある。それらのほとんどが人為的な事故が多く、罪なき利用者の命のみがいつも奪われていく。御巣鷹はその一番の教訓なのだ。

事故や震災における、個人の記憶は残っていても、メディアの記録は次々とさらなる大きな事件へと上書きしていくばかりである。一体いくつもの被害が、上書きされてきたことだろうか?

それでなくても、熱しやすく冷めやすい日本人。いろんな事件、事故の教訓のPDCAサイクルを途絶えさせてはいけない。それでないと、何度も同じことを繰り返してしまう。

広島も長崎も70年も経過しようとしているので遺族の家族構成も大きく変わった。

しかし、今だに従軍慰安婦問題や靖国問題は何も解決していないのは時の政府の怠慢の連続としかいいようがない。日本国内で話題が沈静化しているだけであって、外国とは何も決着がついていないことが多すぎるからだ。曖昧になっているからこそ、当事者ではない人たちが永遠に揉めはじめている。

そして、毎日、汚染水が1日300トンも海に流出している。年間で小学校の25メートルプール304杯分に相当する。しかも、いつから流出しているかわからないという始末だ。

海を汚されて影響を受ける国は、日本国内だけではない。海を汚されて、諸外国もだまっていない。もう2年半も経つ震災の影響とはいつまでもいえない。隠蔽体質だけの問題でなく、すべてにおいて危機管理がずさんすぎるのと、組織の力学でしか動けない体制が問題であることは明白だ。

そんな311の被害でさえも、それ以上の災害が起きれば簡単に塗り替えられてしまいそうだ。

あれから28年、JAL123便に嫌われたからこその命だけれど、あの教訓をもっと活かす方法はないものだろうか?

ITジャーナリスト・ソーシャルメディアコンサルタント

1961年神戸市生まれ。ワインのマーケティング業を経て、コンピュータ雑誌の出版とDTP普及に携わる。1995年よりビデオストリーミングによる個人放送「KandaNewsNetwork」を運営開始。世界全体を取材対象に駆け回る。ITに関わるSNS、経済、ファイナンスなども取材対象。早稲田大学大学院、関西大学総合情報学部、サイバー大学で非常勤講師を歴任。著書に『Web2.0でビジネスが変わる』『YouTube革命』『Twiter革命』『Web3.0型社会』等。2020年よりクアラルンプールから沖縄県やんばるへ移住。メディア出演、コンサル、取材、執筆、書評の依頼 などは0980-59-5058まで

神田敏晶の最近の記事