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アーモンドアイを最もよく知る男が語る「負けたと思った」8度目のG1制覇の瞬間

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
調教でアーモンドアイに騎乗するルメールと左後方が根岸真彦調教厩務員

レースが近付くにつれ些細な事も気になった

 ハッとして目を覚まし、時計を見るとまだ真夜中だった。

 「またか……」

 そう思うと再び眠りにつけるまでに時間を要した。

 「悪い夢をみて目が覚めるとなかなか眠れない。そんな事はしょっちゅうでした。逆に勝つ夢を見た事はありません」

 そう語ったのは調教厩務員の根岸真彦。1982年12月生まれで現在37歳の彼が担当するのはアーモンドアイ(牝5歳、美浦・国枝栄厩舎)。JRA記録となる8度目のG1制覇を懸けた天皇賞(秋)は、数日後に迫っていた。

アーモンドアイと根岸(コロナ禍前に撮影)
アーモンドアイと根岸(コロナ禍前に撮影)

 「放牧から戻った時は“いつもと変わらないハリがある”という第一印象でした。少し立派な体つきではあったけど、疲れてはいない感じだったので、牧場で良い時間を過ごせて来たのだと思いました」

 2週間前の調教に跨ると、感じた。

 「まだ10キロくらい太い状態だったのに突き抜ける勢いで動いてくれました。これは良いぞ、と感じました」

 1週前、そして当該週とクリストフ・ルメールが跨った際、その旨を主戦騎手に伝えた。すると、追い切りを終え、上がって来たルメールに言われた。

 「全然太くないです。凄く良い状態です」

アーモンドアイの調教に跨るルメールと話しかける国枝。左端が根岸(コロナ禍前に撮影)
アーモンドアイの調教に跨るルメールと話しかける国枝。左端が根岸(コロナ禍前に撮影)

 それでも本番が迫ると比例するように些細な事でも気になった。

 「10日ほど前にほんの少しですがウッドチップで脚が擦れました。全然問題ない程度だったのですが、それでも心配になりました」

 その直後は2日連続でダートコースに入れるなどしてケアー。そのお陰もあって傷はすぐに治った。レースまでの日数や程度を考えると全く問題はなかったが「帰宅後も気になった」と言い、更に続ける。

 「アーモンドアイはG1で1番人気が確実な馬。だから、ほんの少しバランスを崩しただけでも不安になりました。どの馬でもそのくらいはあるんですけどね……」

 レース2日前にもこんな事があった。根岸を背にコースに入ったアーモンドアイが、コーナーでコロコロと何度も手前を変えたのだ。

 「他の人には『良い走りでした』と言ったし、実際、気にする事ではないのかもしれません。でも『トモが疲れているのか?』とか『追い切りで疲労が残ったか?』とか、色々と考えてしまいました」

レースが近付くにつれ些細な事でも気になったと語る根岸(2019年ドバイにて撮影)
レースが近付くにつれ些細な事でも気になったと語る根岸(2019年ドバイにて撮影)

自分で体を作る馬

 10月31日。土曜日には東京競馬場に入った。前日入りしなくてはいけない理由があるわけではなかった。ただ、過去のほとんどのレースでそうしてきた馬なので、この時もそれに倣った。出張馬房に付随する施設に泊った根岸は外出せず、テイクアウトで購入した商品を部屋で食べた。何かあればすぐにアーモンドアイを見に行ける環境にいたかったのか?と問うと、一瞬の間を置いた後、答えた。

 「そういうわけではありません。あまり頻繁に見に行くのも馬からしたらリラックス出来なくなってしまいますからね。アーモンドアイはカメラマンとか全く気にしないので大丈夫かもしれないけど、とは言っても必要以上に見に行かないように気をつけました」

アーモンドアイの調教に跨る根岸。右は国枝調教師
アーモンドアイの調教に跨る根岸。右は国枝調教師

 こうしてレース当日を迎えた。朝6時に体重を計ると496キロあった。「まだ立派かもしれない」と感じたが、その後の飼い葉を残したのを見て、次のように感じた。

 「『まだ少し余裕があるかな?』と思う時に限って飼い葉を残す。自分で体を作っているのかな?と良い方にとらえました」

 普段は残さずに食べるアーモンドアイだが、過去にも何回か当日の飼い葉を残した事があった。一昨年のジャパンC。2分20秒6の快レコードを叩き出した時もそうだった。だから「良い傾向だ」と考え、レース直前の計測をすると490キロ。「仕上がった」と感じた。

レコード勝ちした2018年のジャパンC。この時も「当日の飼い葉で自ら体を作った」と根岸は言う
レコード勝ちした2018年のジャパンC。この時も「当日の飼い葉で自ら体を作った」と根岸は言う

 「少しお客さんが入っていたせいか、パドックではここ二走よりも気が入っていました。でも、力んでいる感じは全くなく、ジョッキーが乗った後も落ち着いていました」

 ゲート裏まで行って様子をうかがうと「ここでも落ち着いている」と感じた。安田記念はスタートで後手を踏んだが、これに関しては次のように思っていたと言う。

 「中間、美浦では3回ゲート練習をしました。その時は全く問題ありませんでした。競馬へ行ってまたどうなるか?という心配はあったけど、今回はゲートの中でも変に動く事なくジッとしてくれていました」

「ゲート練習は何も問題ない」とは管理する国枝(右)も口を揃えて語る(コロナ禍前に撮影)
「ゲート練習は何も問題ない」とは管理する国枝(右)も口を揃えて語る(コロナ禍前に撮影)

こらえきれず溢れた涙

 それでもゲートが開いてちゃんと出てくれるかどうかは別問題と思っていた。しかし、そんな心配を他所に女王は好発を切った。スタートを見届けると、ホッと胸を撫で下ろしながら脱鞍所まで向かう小型バスに乗り込んだ。バスにはテレビが付いておらず、実況中継を聞きながら、窓の外に視線を向けて馬群を追った。

 「あまり見えなかったけど、実況では好位にいると言っていたので『悪くないぞ……』と思いながら聞いていました」

 馬群が4コーナーをカーブする頃、バスは1コーナーのダート付近に到着。一旦、そこで停車してレースをやり過ごした。

 「『楽な手応えで抜け出してきた』と実況されていました。遠目に見ると、先頭に立っているのが分かったので『何とかそのまま頑張ってほしい』と思いました」

 こうして迎えたゴール直前。クロノジェネシスを振り切ったのは分かったが、次の刹那、外からフィエールマンが追い上げて来るのが目に映った。

内馬場から見た天皇賞のゴール付近(写真:日刊現代/アフロ)
内馬場から見た天皇賞のゴール付近(写真:日刊現代/アフロ)

 「見ていた角度が斜めだったので、負けたと思いました」

 うなだれかけた根岸の耳に実況の声が飛び込んだ。

 “勝ったのは9番、アーモンドアイです!!”

 「え?!」と思うと同時に涙が込み上げそうになった。

 「でもバスには負けた馬の厩務員さんも乗っているのでグッと我慢しました」

 各馬が行き過ぎた後、再びエンジンをかけたバスが脱鞍所まで移動。そこで下車した後、根岸だけがコースへ戻り、G1最多勝馬を出迎えた。

 ゴール板付近で馬を捕まえ、ルメールに「ありがとうございました」と告げた。その瞬間を述懐する。

 「ルメールは『信じられないです』と言いながら泣いていました」

 それを見た瞬間、根岸の瞳からも「こらえきれない」とばかりに涙が溢れた。

 アーモンドアイを曳きながらターフから地下馬道、そして脱鞍所へ戻った。その間、2人の男は涙を流しながらほとんど会話を出来なかった。

 「その後、国枝先生に会い、言葉をかわしました。でも、僕も興奮していたので具体的に何を話したか覚えていません。アーモンドアイ自身は3歳の時みたいにレース後にフラつく素振りは無くなっていたので、久しぶりに口取り写真を撮れました」

2017年、牝馬3冠を決めた秋華賞。この後すぐにアーモンドアイがフラついたため口取り写真撮影は早々に切り上げた
2017年、牝馬3冠を決めた秋華賞。この後すぐにアーモンドアイがフラついたため口取り写真撮影は早々に切り上げた

 翌朝も「前夜の飼い葉を残さずしっかり食べていたし、脚元も問題なかった」と言い、更に続けた。

 「新聞はチラッと見た程度ですが、G1、8勝というのは改めて凄い馬ですよね」

 次なるターゲットがどこになるのか、正式な発表はまだされていないが、レコードホルダーを支える男がやる事は「どこへ向かっても同じ」と言う。

 「無事にレースへ向かい、無事に競馬を終えて帰って来られるように全力を尽くすだけです」

 8つ目のG1制覇はまだ道半ば。根岸と共に記録が更新される日が来る事を信じたい。

アーモンドアイが制した8つのG1の中には海外で勝ったドバイターフも。右が根岸で左端が国枝
アーモンドアイが制した8つのG1の中には海外で勝ったドバイターフも。右が根岸で左端が国枝

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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