1日に3人射殺、7人を自殺させた「金正恩の忠臣」が辿る末路
1961年から1989年までベルリンを東西に分断していたベルリンの壁。社会主義体制を嫌い西ドイツに逃げようとする人を食い止めるべく建設されたが、完成後も壁を越えて西ベルリンに逃げようとする人は依然として存在した。
壁を越えようとした5000人のうち、国境警備隊に撃たれて亡くなった人の数は、確認されただけでも140人。実際はその何倍とも言われている。ドイツ統一後、責任者や命令に従って発砲した兵士の一部は起訴され、有罪判決を受けた。
それから30年。北朝鮮では未だにベルリンの壁と同様の悲劇が起き続けている。北朝鮮当局は脱北を試みて失敗した人に対し、過酷な刑罰を与えている。
(参考記事:若い女性を「ニオイ拷問」で死なせる北朝鮮刑務所の実態)
当局は、捕まって強制送還された人々を処刑することはないのだが、国境警備隊は脱北阻止のため、川を越えようとしている人を捕捉したら発砲するよう命令を受けているとされる。
先月末にも、国境の川を越えて脱北しようとした3人が、国境警備隊に射殺される事件が起きた。
両江道(リャンガンド)のデイリーNK内部情報筋によると、亡くなったのは朝鮮労働党の大紅湍(テホンダン)郡副委員長の30代の息子と、同行していた2人だ。
息子は、恵山(ヘサン)市の人民委員会(市役所)で働いていたが、軍糧米(軍に供給される米)500キロ以上を横領、売り払った容疑で検察所の検閲(査察)を受けていた。 身の危険を感じた彼は、中国に逃亡を図ったようだ。
手助けしたのは、国境警備隊第25旅団直属1中隊のキム政治指導員と兵士2人だ。少しでも安全に脱北するには、国境警備隊とブローカーの手助けが欠かせない。もちろん高額のワイロが必要だが、幹部の息子だけあって、なんとかして用立てたのだろう。
先月28日午前11時ごろ、3人はキム政治指導員と兵士の手招きで川を渡ろうとしていた。ところが、パトロール中だった副中隊長(上尉=大尉と中尉の間の階級)に見つかってしまった。
副中隊長は、現場で張り込んでいた部下に「すぐに発砲せよ」との命令を下した。それを聞いたキム政治指導員は「自分の案件だ」と言って発砲命令を撤回することを指示したが、副中隊長は「理由如何を問わず、川を渡る者は反逆者」だと命令撤回を拒否した。
中隊の政治指導員は、階級は上尉または中尉だが、部隊内に朝鮮労働党の方針を徹底させる役割を担っていることから、副中隊長より上位にあると言える。
しかし、いくら事実上の階級が上の者とはいえ、違法行為を犯しているという弱点を掴まれている。副中隊長と声を荒げて口論しているうちに、3人は隊員に射殺されてしまった。
金正恩党委員長は脱北に対して射殺を含めた厳しい対処を取るように指示している。実際、川を越えようとして射殺される人が少なからず存在するが、犠牲となった人の数はわかっていない。
さらに悲劇は続いた。実は、3人とは全く別に平凡な一家の7人家族が国境警備隊の幇助なしに川を渡ろうとしていた。ところが、3人が射殺されるのを目の当たりにし、持っていた毒を飲んで自ら命を絶ったという。前述したとおり、脱北に失敗した人々には拷問などの過酷な運命が待ち受けており、その恐怖に耐えられなかったのだろう。
(参考記事:北朝鮮の女子大生が拷問に耐えきれず選んだ道とは…)
一方、件の政治指導員は現在、25旅団の保衛部(秘密警察)で取り調べを受けており、「1号方針」――つまり金正恩氏の方針に背いた罪で、銃殺刑に処せられるだろうと情報筋は見ている。
(参考記事:「死刑囚は体が半分なくなった」北朝鮮、公開処刑の生々しい実態)
北朝鮮によるこうした人権侵害や犯罪行為は、わかっているものについては韓国でデータベース化されている。来るべき裁判に備えてのことだ。西ドイツに逃げようとした人を射殺した東ドイツの兵士の中には、30年経ってから裁判にかけられたケースもある。今回、発砲命令に忠実に従った副中隊長にも、裁きの日が来るかもしれない。
しかし北朝鮮の軍人や官僚にとっては、金正恩氏の「怒り」こそが「今そこにある危機」であるのも事実なのだ。