静岡大・奥山皓太。時給900円のアルバイトをしていた国立大生が阪神にドラフト指名されるまで
アパートで訪れた運命の時
「これでスタートラインに立ったんだな、と身が引き締まる思いでした」
指名の瞬間をそう振り返った奥山皓太(おくやま・こうた/静岡大)。
全国的にはまったくの無名の存在だが、186cm93kgと大柄ながら50mを5秒8で走り、遠投も120mを投げるなど高い身体能力を生かした走攻守で存在感を放つ大型外野手だ。強豪私立大とは異なりスポーツ推薦もなく、決して野球環境が恵まれているわけではない地方国立大で腕を磨きプロ志望届を提出。阪神からのみ調査書が届いていたが、指名の確約はなくドラフト当日を迎えた。
野球少年・少女なら誰もが憧れるNPBによるドラフト指名の瞬間だが、その瞬間は派手な会見場ではなく、いつもと同じ質素な空間で奥山は待っていた。
下宿先であるアパートの一室。硬式野球部の仲間たちと高山慎弘監督でドラフト会議の様子を見守った。「楽しみにはしていますが、指名されなかったら次のチャンスに挑もうという気持ちです」と不安の方が大きい気持ちで臨んでいた。
支配下ドラフトは野球部の仲間たちとの事前の予想の答え合わせをするなど和やかな雰囲気で観ていたが、育成ドラフトとなると緊張感が高まった。また、1巡目に同じ右投右打の大学生外野手である小野寺暖(大商大)が指名されると、重苦しい空気が流れた。
だが、数分後に運命の瞬間が訪れた。
まず高山慎弘監督のスマートフォンが鳴った。阪神の吉野誠スカウトからの着信だった。席を外し何やら答える高山監督の姿を見て状況を飲み込めなかった奥山と部員たちだったが、1,2分遅れのネット配信で名前が読み上げられると、緊張から解かれたような笑顔を見せ、部員たちとハイタッチを繰り返した。高山監督は吉野スカウトに「本当にありがとうございました!!」と頭を下げて電話を切ると、奥山と抱き合い、固い握手を交わした。
「プロを目指せ」。投手への未練が消えた
担当の吉野スカウトは指名の理由をこのように述べた。
「身体能力抜群の大型アスリート系外野手。高校時代は投手だったこともあり野手としてはまだ荒削りな部分はあるが、強いスイングと外野からのスローイングは非常に魅力的で、プロの世界で大化けする可能性を感じる選手です」
1度は野球を諦めようかと思ったこともある。大学1年の夏、投球練習中に高校時に故障していた右肘に再び痛みを覚えた。幸い手術するまでには至らなかったが、約3ヶ月間ボールを投げることすらできず。また医師からは「野球はできるが、投手をやるには負担がかかりすぎる」と忠告を受けた。
それでも投手への未練を断ち切れず、2年時は投手と野手をする「どっちつかず」の状態に。リーグ戦出場さえできない日々が続いた。
それでも仲間たちの言葉が奥山を奮い立たせた。特に大きかったのが2年前の主将である鈴田修也(現俳優)からの言葉だったという。外野手への本格転向に迷っていた際、「お前なら本当に頑張ればプロに行けると思う。マジで頑張れよ」と励まされたことが、今でも一番嬉しかったと振り返る。
そして3年秋から高山監督がコーチから昇格して指揮を執るようになると、高山監督もまた「上のレベルを目指せる選手だ。プロを目指せ」と奥山を鼓舞。考えすぎてしまうことがあったが「1試合1本ヒット打てばいいから」と声をかけて、その潜在能力を引き出させた。
こうして3年秋にレギュラーを掴んだ遅咲きながらも、3季すべてで3割を超える打率を残すとともに、大きな将来性を感じさせるポテンシャルを見せつけた。
吉野スカウトは「“ひょっとしたら”と思わせる身体能力に加え、右打者ということもすごく大きかったです」と指名を振り返り、「野球の動きはこれからな部分がまだありますが、野球以外の賢さも生かして成長を遂げて欲しい」と国立大生ゆえの期待を語る。
普段の素顔はどこにでもいる大学生と変わらない。7月末までは焼肉店で時給900円のアルバイトをしていた。かつての同僚や同じアパートの住人は、すぐ近くにプロ野球選手が生まれたことを把握しているのか。知った者は驚いているに違いない。
「野球をなんで続けているんだろうと思う時期もありましたが、高山監督、横山先生(総監督)、部員のみんな、たくさんの人に支えられて指名をいただくまでに成長することができました。静岡大の野球部に入って本当に良かったと思います」
人生を大きく変えた奇跡のような1年だった。ただそれは偶然では起こりえないことだった。いわゆる野球界の王道ではない道を歩んできた奥山だからこそ、見せられる夢がある。
2019年10月17日。その序章がまだ始まったに過ぎない。
文・写真=高木遊
大学入学までのエピソードやプロへの抱負は前回の記事にて。