[訃報]大地の響きを世界に届けた変幻自在のパーカッション|ナナ・バスコンセロスさん逝去
パーカッショニストのナナ・バスコンセロスさんが3月9日に亡くなった。享年71歳。
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ナナ・バスコンセロスが生み出す神秘的なサウンドに触れたのは、パット・メセニー&ライル・メイズ名義で1981年にリリースされた『ウイチタ・フォールズ(As Falls Wichita, So Falls Wichita Falls)』が最初だっただろうか。
続けてリリースされたパット・メセニー・グループの『オフランプ』、1983年リリースの『トラベルズ』でも存在感を示していた彼は、1990年ごろの日本開催のジャズ・フェスでも独特のサウンドで魅了してくれた。
1944年にブラジル北東海岸部に位置するレシフェで生まれたナナ・バスコンセロスは、ギタリストだった父親に連れられ、12歳にして早くも人前で演奏する生活になじむようになっていたという。
あらゆるブラジリアン・パーカッションを瞬く間に習得し、16歳にしてすでにマスター級のビリンバウの腕を発揮する。ビリンバウは、ヒョウタンの付いた弓状の棒に弦を張ったブラジルの民族楽器。
リオデジャネイロに移ると、ミルトン・ナシメントと活動したり、1970年代にはガトー・バルビエリのバンドのメンバーにも抜擢され、程なくしてブラジルを離れて世界を舞台に活躍するようになった。
ドン・チェリー、B.B.キング、トーキング・ヘッズといったビッグ・ネームとの共演を果たしていくが、彼はスタジオ・ミュージシャンというような“味付け”として自分のサウンドを利用されることに甘んじることはなかった。
そうした“意志”がよく反映されているのが、エグベルト・ジグモンチを迎えた1970年代後半から80年代半ばにかけて収録されたアルバムである。
実はこの春にも、エグベルト・ジグモンチとの来日が予定されていたのだが、二度と実現することのない“伝説の共演”になってしまった。
ご冥福をお祈りします。