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ワクチンを制する者が世界を制す 中国が世界16カ国で新型コロナ「ワクチン外交」を展開

木村正人在英国際ジャーナリスト
「ワクチン外交」で「健康シルクロード」を広げる中国の習近平国家主席(写真:ロイター/アフロ)

トランプ氏「ワクチンは数週間のうちに発表される」

[ロンドン発]11月3日の米大統領選投票日に向け、ドナルド・トランプ米大統領と民主党候補のジョー・バイデン前副大統領が22日、テネシー州ナッシュビルのベルモント大学で最後の直接対決となる討論会を行いました。

討論会は3回予定されていましたが、2回目はトランプ大統領が新型コロナウイルスに感染したため中止されました。3回目は、「史上最悪の非難合戦」とこき下ろされた大荒れの1回目に比べて、比較的落ち着いた論戦になりました。

大統領選の予想では定評がある米統計分析ニュースサイト「ファイブサーティーエイト(米選挙人団の選挙人538に由来)」ではトランプ大統領が逆転勝ちを収める可能性は8月31日の時点で32%ありましたが、12%まで急落しています。

争点は米ギャラップによると(1)経済(2)テロ・国家安全保障(3)教育(4)医療(5)犯罪(6)コロナ対策の順。経済も医療も感染者866万人、死者22万8千人を出したコロナに関係しているため、コロナがやはり最大の争点と言えるでしょう。

トランプ大統領は奇跡の大逆転の切り札となる新型コロナウイルスのワクチンについて「準備できている。数週間のうちに発表される」と強弁しましたが、米疾病予防管理センター(CDC)によると早くても来年春になる見通しです。

バイデン氏は「この人物は以前、イースター(今年は4月12日)の終わりにはワクチンが使えるようになると言っていた。彼には明確なプランがない」と攻撃しました。

世界をリードする中国のワクチン開発、4種が限定承認

米紙ニューヨーク・タイムズによると現在、限定使用が承認されているワクチンは中国やロシアの6種類。第3相試験中が米モデルナ、英オックスフォード大学・アストラゼネカなど11種類。第2相試験中が15種類。第1相試験中が33種類です。

中国はワクチン開発競争でアメリカやイギリスを完全に圧倒しています。限定承認された中国のワクチンを見ておきましょう。

(1)康希諾生物(CanSino Biologics)、軍事医学研究院生物研究所

アデノウイルスをベクターとして使用。中国人民解放軍が6月25日に兵士を対象に使用を承認。サウジアラビアやパキスタン、ロシアを含む国々で第3相試験開始

(2)武漢生物製品研究所、シノファーム(Sinopharm)

不活化ワクチン。7月にアラブ首長国連邦(UAE)で、8月にペルーやモロッコで第3相試験開始。UAEが9月14日、医療従事者を対象にSinopharmワクチン使用を緊急承認

(3)Sinopharm、北京生物製品研究所

不活化ワクチン。UAEやアルゼンチンで第3相試験開始。UAEは9月14日、医療従事者を対象に使用を緊急承認。Sinopharmは10月、上記2つのワクチンについて年10億回分を生産する計画を発表

(4)シノバック・バイオテック(Sinovac Biotech)

不活化ワクチン。7月、ブラジルで第3相試験始める。インドネシア、トルコでも開始。10月19日、ブラジル当局が第3相試験を行っている5つのワクチンの中で最も安全と発表。

ロイター通信によると、中国政府が7月に限定承認。10月、浙江省嘉興市で感染リスクの高い医療従事者や港湾検査官、公共サービス従事者に限って使用を承認。

インドネシアに対して来年3月までに少なくとも4万回分を供給することで合意。来年前半にはアメリカを含む世界中での供給を計画

「マスク外交」の反省を生かした「ワクチン外交」

新型コロナウイルスのエピセンター(発生源)となった中国の感染者は8万5747人、死者は4634人。最新の1日当たりの新規感染者は7日平均で15人。死者はゼロの状態が5月から続いています。

これに対して世界は第2波の拡大に怯え、感染者は約4199万人、死者は約114万人にのぼっています。コロナ封じ込めでもワクチン開発でも中国は日米欧を圧倒しています。

中国はお代を要求したにもかかわらず不良品を供給、しかも見返りに5G(第5世代移動通信)ネットワークへの参入容認まで要求して不評を買った「マスク外交」を反省して、生命に直結する「ワクチン外交」は慎重に進めています。

感染拡大が止まらないアメリカや欧州と違って、感染が止まった中国国内ではワクチンの治験を実施できず、差し当たってワクチンの需要もありません。

一方「アメリカ第一主義」を叫ぶトランプ大統領は貿易赤字や国外に駐留する米軍の経費取り立てに熱心で、他国を助ける考えなど毛頭ありません。それどころか世界保健機関(WHO)は中国寄りと糾弾して拠出金を止めWHO脱退を通告しました。

「ワクチン外交」の歴史

ワクチンの歴史を振り返ると、ワクチンを制する者が世界を制してきたことが分かります。

イギリスの医師エドワード・ジェンナー(1749~1823年)は天然痘を予防する牛痘接種法を開発。ジェンナーはロシアやトルコ、スペイン、メキシコ、カナダ、アメリカでワクチンの使用を広めました。

ナポレオン戦争(1803~1815年)でもジェンナーはフランス国立研究所に「科学に戦争はない」と手紙を書いたそうです。大英帝国はこのあと全盛期を迎え、「パクス・ブリタニカ」と呼ばれる時代を迎えます。

1956~59年には米医学者アルバート・サビン氏(1906~93年)がソ連を訪れ、ソ連のウイルス学者ミハイル・チュマコフ氏(1909~93年)と協力して1千万人の子供、次に20歳未満の1億人を対象に経口ポリオワクチンの試験を実施しました。

超大国のアメリカとソ連の冷戦時代にも米ソのワクチン開発協力は世界中で多くの生命を救いました。

習近平主席「コロナ・ワクチンは世界の公共財」

トランプ大統領が「ワクチン・ナショナリズム」の火に油を注ぐ中、中国の習近平国家主席はコロナ・ワクチンについて「世界の公共財」と宣言、インフラ経済圏構想「一帯一路」に乗せて「健康シルクロード」を広げる考えです。

ドイツのメルカトル中国研究センター(Merics)によると、中国はマレーシア、タイ、カンボジア、ラオス、フィリピン、インドネシア、UAE、セルビア、パキスタン、バングラデシュ、ブラジルなどアフリカ、南米、カリブ海、中東、南アジアなど世界の少なくとも16カ国で「ワクチン外交」を展開しています。

ワクチンの安全性と効果はまだ最終的に確認されたわけではなく、重篤な副作用が発生すれば中国の「ワクチン外交」は裏目に出る可能性もあります。しかし中国が強力な外交ツールを手に入れたことに間違いはありません。

今にして思えば、4年前のトランプ大統領誕生は「西洋の終わり」を告げる弔鐘だったのでしょう。無難なバイデン氏が米大統領になったとしても国内の立て直しと融和が優先し、アメリカの衰退と中国の台頭という歴史の流れを変えるのは難しいかもしれません。

今回のパンデミックは間違いなく歴史の針を先に進めました。いよいよ米中逆転の世界に生きる覚悟がわれわれにも求められています。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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