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真利子哲也監督の『宮本から君へ』があまりにも傑作だったもので…映画祭スタッフはそのとき何を感じた?

壬生智裕映画ライター
新宿バルト9ほか全国公開中(配給提供) (C)2019「宮本から君へ」製作委員会

■『宮本から君へ』を監督した真利子哲也とは?

 映画『宮本から君へ』が9月27日から公開され、SNSや口コミサイトなどには熱量の高い感想が次々と寄せられている。「ぴあ映画初日満足度ランキング」でも1位を記録しており、「本年度ナンバーワン!」と興奮気味に綴られる口コミも多い。

池松壮亮、蒼井優らによる、まさに魂のぶつかり合いとも言うべき役者陣の芝居の熱量の高さ、締め付けるような痛みを感じさせる容赦ない物語展開、そして主人公の名前の由来となった宮本浩次がこの映画に生きる人たちを激しく讃えあげた主題歌「Do you remember?」などいくつもの要素が奇跡的に絡み合って、多くの観客の心をわしづかみにした。もちろん賛否両論分かれる作風で、「重い」「爽快じゃない」「つらい」といった感想もあったが、それも含めて、好き嫌い問わず、観客が傍観者であることを許さない。この映画らしいリアクションが繰り広げられていた印象だ。

9月28日に新宿バルト9で行われた『宮本から君へ』公開記念舞台あいさつに立つ真利子哲也監督(筆者撮影)
9月28日に新宿バルト9で行われた『宮本から君へ』公開記念舞台あいさつに立つ真利子哲也監督(筆者撮影)

 そんな熱量の高い作品を生み出した真利子哲也とはいったいどのような監督なのだろうか。まずは『宮本から君へ』の公式サイトに掲載されているプロフィールを引用したい。

 1981年、東京都生まれ。法政大学在学中に8mmフィルムで自主制作した短篇作品が、国内外で注目される。その後、東京芸術大学大学院の修了作品『イエローキッド』が、国内外で高い評価を受けると、学生映画として異例の劇場公開に。『NINIFUNI』『FUN FAIR』など中編作品を経て、2016年に劇場公開された『ディストラクション・ベイビーズ』が、第69回ロカルノ国際映画祭で最優秀新進監督賞を受賞をはじめ、国内外の映画賞で多数の賞を受賞した。

出典:『宮本から君へ』公式サイトより

 

 自主映画『極東のマンション』(2003)、『マリコ三十騎』(2004)といった作品群がゆうばり国際ファンタスティック映画祭で2年連続でグランプリを獲得したのをはじめ、数々の映画祭で高い評価を受けた真利子監督は、20代の頃からインディーズ映画界隈でもよく知られた存在だった。

 そこで、その頃の真利子監督のことをよく知る「仙台短篇映画祭」の菅原睦子さんに話を聞きたいと思い、仙台に向かった。

■仙台から真利子監督を見守る

 「仙台短篇映画祭」は、仙台では上映されていない若手映画作家の作品上映を目的として2001年から行われている映画祭。真利子監督をはじめ、濱口竜介監督、入江悠監督、内藤瑛亮監督など、多くの優秀な監督を輩出してきた。菅原さんと真利子監督との出会いは、2003年の「仙台短篇映画祭」でのコンペティションの時にさかのぼる。当時、『極東のマンション』を応募した真利子監督は、そこで見事グランプリを獲得している。ちなみに余談だが、その時の資料を見返すと、この年の審査員のひとりとして、写真家・佐内正史氏の名前が。彼は『宮本から君へ』のエンドロール監修&特写としてクレジットされているが、これはきっと偶然ではなく、映画祭が出会いの場であることの証左なのだろう。

仙台短篇映画祭内の展示品。真利子監督の応募封筒(筆者撮影)
仙台短篇映画祭内の展示品。真利子監督の応募封筒(筆者撮影)

 「もともとうちの映画祭は20分までという縛りがあったんですが、ある年にうちのスタッフがその20分の縛りをなくしたいと言ったことがありまして。翌年にはやはり大変だということになって、規定を元に戻したんですが。たまたまその年に真利子さんが、32分の映画だった『極東のマンション』を応募してきてくれた。本当に偶然だったんですよね」という菅原さん。だがその偶然が、後の深いきずなを紡ぎ出すこととなった。

「やっぱり真利子さんの作品は面白いですからね。その時はすでに次回作『マリコ三十騎』を撮り始めていて。飲み会の席で、(海賊が映し出される同作の名シーン)浜辺のシーンを見せてくれたんです。これで、スタッフみんなが観たい、これはやらなきゃ駄目だと盛り上がって。それからみんな真利子作品が気になってしょうがなくなったという感じですね」(菅原さん)。

 その後も「仙台短篇映画祭」ではことあるごとに真利子作品を上映し、彼の活動を応援してきた。2010年の映画祭10周年の際には「祝10周年!ほんとにおめでとうございます。ぼくが初めてお世話になったのは2003年・グランプリ受賞でいただいたものはフィルム代のために使いました。それからも度々取り扱ってもらって、運営スタッフの変わらない情熱と毒舌を体に染み込ませながらここまで続けてきて思うのは、仙台短篇映画祭は姉貴のようなものだってことです。大変なことも多いと思いますが、まだまだどんどん新しい発見とお節介に期待してます」という祝福メッセージを寄せている。

 東日本大震災後の2011年にはももいろクローバーの出演も話題となった『NINIFUNI』を無料上映。さらに2013年には東日本大震災後の仙台の何気ない風景を記録に残すべく、宮城フィルムコミッションと仙台短篇映画祭がコラボした、オムニバス短篇映画制作プロジェクト「新しい日常 仙台ラブストーリー(愛のある風景)」に、入江悠監督、冨永昌敬監督と共に参加。真利子監督はその中の1本『宿木』に参加し、「限られた時間と予算ながら、可能なだけ仙台に足を運んで地元の人たちと映画を作る」こととなった。「やはり映画祭で上映した監督には、大きくなって帰ってきてほしいと思うんですよ。だから真利子さんの活躍は本当にうれしいですし、我々も少しは見る目があったんだろうなと思いますよね」(菅原さん)。

■楽しんでもらうためならとことんやり遂げる監督

今年で10回目を数えたちば映画祭。若手の映像作家の作品を中心に上映する(ちば映画祭提供)
今年で10回目を数えたちば映画祭。若手の映像作家の作品を中心に上映する(ちば映画祭提供)

 そしてもうひとり、真利子監督に魅了され、その活躍を見守ってきた人がいる。「ちば映画祭」の鶴岡明史さんだ。2008年からはじまった「ちば映画祭」は、千葉市のみならず、千葉県初上映の作品、特に若手監督の作品をメインに上映。現在までの開催は10回を数える。山戸結希監督、二宮健監督、杉田協士監督といった気鋭の監督の作品をいち早く紹介してきた映画祭となる。

 もちろん真利子監督の特集も行っており、第4回「ちば映画祭」では『極東のマンション』『マリコ三十騎』等の自主映画時代の傑作を、第6回「ちば映画祭」では『NINIFUNI』『FUN FAIR』『宿木』『あすなろ参上!』を上映した。「真利子さんは決してブレない。損得でなく、言ったことや約束したことは有言実行する。また楽しんでもらうためなら、とことんやり遂げる。映画監督としてもそうではないでしょうか。それはちば映画祭も同じ気持ちなんです」と語る鶴岡さん。真利子監督自身も「日本で最も世界に近い映画祭であり、実家から最も近い映画祭でもある ちば映画祭。楽しいことは苦労してでもやり切る人たちがここにはいます。親族と同じく、彼らを忘れることはありません」とちば映画祭への思いを切々と語っている。(筆者注:「最も世界に近い~」はどうやら成田空港に近いという意?)

第6回「ちば映画祭」の様子。「あすなろ参上!」のゆるキャラ、ゆるキュンと(ちば映画祭提供)
第6回「ちば映画祭」の様子。「あすなろ参上!」のゆるキャラ、ゆるキュンと(ちば映画祭提供)

 鶴岡さんは、第6回「ちば映画祭」の終了後、真利子監督から「上映できる作品はやりつくしちゃいました」と言われたことを思い出す。だが真利子監督には次のステップに踏み出す時が来ていることを感じた鶴岡さんは「次は呼びません」とキッパリ。「今度は千葉の映画館で上映するような作品を撮ってください」と答え、肩を叩き、送りだしたという。真利子監督にとっては商業映画デビュー作となる『ディストラクション・ベイビーズ』(2016)が公開される2年前のことだった。

ディストラクション・ベイビーズ』は、柳楽優弥、菅田将暉、小松菜奈といった著名な役者が出演するメジャー感あふれるパッケージでありながら、その中身は暴力的な衝動が支配した、非常にゴツゴツした手触りの、まさに真利子作品としか言い様がないものとなった。第69回ロカルノ国際映画祭や第38回ナント三大陸映画祭などの海外映画祭をはじめ、国内映画賞レースでも高い評価を受けた。

 そしてあの時の約束通り、同作は実際に千葉の映画館(京成ローザ)でも上映されることとなった。「とにかくうれしかったですよね。本当は(メイン館である)テアトル新宿で観たかったんですが、あえて千葉の京成ローザで観ることにしました」と笑う鶴岡さんは、「真利子さんにはたくさんアドバイスをいただいたり、いろいろな方を紹介してもらったり、ちば映画祭の認知度も高めてくださった。様々な面でお世話になっているので、感謝しかない。それだけにこの作品が発表されて本当にうれしかったですね」。

『ディストラクション・ベイビーズ』は「しんゆり映画祭2016」内の俳優・菅田将暉の特集上映のうちの一本として上映された(KAWASAKIしんゆり映画祭提供)
『ディストラクション・ベイビーズ』は「しんゆり映画祭2016」内の俳優・菅田将暉の特集上映のうちの一本として上映された(KAWASAKIしんゆり映画祭提供)

 「わたしが真利子さんの作品を知ったのが確か2005年、アテネフランセ文化センターで上映された「刑事まつり」シリーズの1本、『シャクティーパット刑事』だったと思います。それから『極東のマンション』『マリコ三十騎』といった映画を見て、ファンになりました。とにかく誠実な監督だなという印象があります」と語るのは、「KAWASAKIしんゆり映画祭」スタッフの越智あいさん。越智さんは、以前に関わっていたTAMA CINEMA FORUMなどでも真利子作品の上映を企画するなど、長きにわたり真利子哲也という才能に注目をしてきた。

■音の良さに気付くことも映画祭スタッフの醍醐味

 『ディストラクション・ベイビーズ』は、KAWASAKIしんゆり映画祭でも上映されたが、その上映の時をスタッフの越智さんはこう振り返る。「上映前、音のチェックをした際に、音のレンジが広く、音の深みがあることに驚きました。どこを聞かせたいのかがハッキリと分かっているなと。その上映の時も真利子さんは、音をしっかり聞かせてくれた、良かったと褒めてくれて。ただ映画を作るというだけでなく、大きなスクリーンで観せる、体感してもらうこともしっかりと考えてくれているというのがありがたいなと思いました」。

 かつて真利子監督は、3人の若手監督の中編映画を上映する「movie PAO」に『NINIFUNI』で参加したが、その音に満足できなかった。それゆえ、後に『NINIFUNI』が単独で劇場公開されることが決定した際は、あらためて音響を作り直したという。それほどまでに音響にこだわりを見せていたことを聞いていただけに、越智さんも「真利子作品は身体性のことを言及されることが多いですが、音でもきちんと伝えたいんだという意志を感じますね。こういうことに気づけるのも、映画祭スタッフという上映する側にいる醍醐味かなと思います」と語る。

 真利子監督は、連続ドラマ版「宮本から君へ」の映像化が決定した際に「この原作の映像化は生半可な覚悟でやれません。主演の池松壮亮を筆頭に、集まるべくして集まったキャスト・スタッフと共に、並々ならぬ愛をもって直球勝負を挑んだ渾身の作品です」と意気込みを語っていた。企画が立ち上がってからおよそ7年。制作は困難を極め、紆余曲折あったというが、こうやって無事に映画版まで駆け抜けることができたということで、本作の映画化を熱望し続けてきた真利子監督の執念が報われた。

 実は、真利子監督がもがき続けた7年間の苦闘の顛末は、菅原さん、鶴岡さん、越智さんたちの耳にも、直接的、間接的にかかわらず、ことあるごとに耳に入ってきていたという。「『宮本から君へ』を映画化したい」――。この企画に対する真利子監督の思い入れの強さ、というよりも執念のような思いを聞いていただけに、「この映画を真利子さんがやらなくて誰がやるんだ」という思いを抱えていたという。それだけに今回の企画が実現したことに対して、「良かったね」という思いはひときわ強かった。ちば映画祭の鶴岡さんは「『ディストラクション・ベイビーズ』の時、東京に比べ千葉ではあまり盛り上がらなかったという後悔があるので、今回はもっと盛り上がってほしいと思ったんですよ」という思いから、千葉県内で率先して『宮本から君へ』のPRにいそしんだ。

「宮本から君へ」はまず、テレビ東京で連続ドラマ化。その後、映画版が公開された。(配給提供)
「宮本から君へ」はまず、テレビ東京で連続ドラマ化。その後、映画版が公開された。(配給提供)

 企画が実現したことも喜びだったが、出来上がった映画『宮本から君へ』は、想像以上の傑作だった。それだけに彼らの喜びもひとしおだった。

「これまでの真利子さんの作品は閉塞感を抱えていた作品が多かったように思いますが、この『宮本から君へ』は、閉塞感の先にあるものに向かって最終的には突っ走っていけという明るさがある。現状を直視して、違う側面を見せてくれる作品となった。真利子さんはドキュメンタリーも撮れる人なので次はどういう作品を撮られるかな?と期待が膨らみます」(越智さん)。

「真利子監督にしか撮れない恐ろしい大傑作で、大号泣でした。42.195kmを全力疾走するような、かつて観たことのない人生映画で、自身が自主映画の時代に身体をはってやってきたようなことを、池松壮亮さんや蒼井優さんら素晴らしい役者の方々が演じ、人物が生きていて、とても演技とは思えませんでした。また映画は宮本と靖子の愛の物語であると同時に、幾つもの〈親子〉と〈命〉の物語で、全力疾走ながら、原作や原作の前半部分を描いたテレビドラマを体験していなくても楽しめる構成となっていて、監督としての冷静さも感じましたね」(鶴岡さん)。

「いろいろな人から映画制作が危ぶまれている話を聞いていたので、真利子監督でこの映画が作られたことがうれしく、ファーストショットが流れた時はただただ良かったという気持ちでいっぱいになりました。殴られる痛さを真利子さんは知っている人だから『宮本から君へ』の痛みが伝わります。その痛みの先を知っている人だから、エンドロールになった時にひたすら胸が熱くなりました。相変わらずうまく伝えられないので、また観ます」(菅原さん)

9月28日の公開記念舞台あいさつには主題歌を担当する宮本浩次も祝福に駆けつけた(筆者撮影)
9月28日の公開記念舞台あいさつには主題歌を担当する宮本浩次も祝福に駆けつけた(筆者撮影)

 映画の作り手はしばしば「映画はお客さんに見てもらって初めて完成する」と語る。だが、そのためには観客と映画が出会うことが出来る「場」がなくてはならない。その「場」を守り続けてきた人たちは、数々の若き映画監督を見守ってきた。そしてその「場」からは多くの才能が巣立っていった。真利子哲也という監督は、その才能と将来を嘱望されながらも、入江悠監督ら同世代の監督に比べて遠回りをしてきたように言われることもあった。しかし、だからこそこのような傑作が生まれたことに、誰よりも喜びを感じる人たちがいる。

「真利子さんならやり遂げると信じていました。人生に遠回りなんてない。なにごとにも全力で取り組むことは決してムダではない。そう真利子さんから教わりました」(鶴岡さん)。

映画ライター

福岡県生まれ、東京育ちの映画ライター。映像制作会社で映画、Vシネマ、CMなどの撮影現場に従事したのち、フリーランスの映画ライターに転向。コロナ前は年間数百本以上のイベント、インタビュー取材などに駆け回る毎日で、特に国内映画祭、映画館などに力を入れていた。2018年には、プロデューサーとして参加したドキュメンタリー映画『琉球シネマパラダイス』(長谷川亮監督)が第71回カンヌ国際映画祭をはじめ、国内外の映画祭で上映された。近年の仕事として、「第44回ぴあフィルムフェスティバル2022カタログ」『君は放課後インソムニア』『ハピネス』のパンフレットなど。

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