Yahoo!ニュース

戦国最強が無職&住所不定に…超問題児「水野勝成」に一体何が?

山内琉夢歴史プレゼンター
福山自動車時計博物館に展示されている水野勝成の蝋人形

「約140年間続いた戦国時代で最強の武将は?」といわれたら、誰を思い浮かべるでしょうか。

最強の騎馬隊を率いた「武田信玄」や天下統一を成した「豊臣秀吉」など、名だたる猛将の名が挙がることは間違いないでしょう。

今回は、戦国時代のなかでも個人戦力最強と名高い戦国武将「水野勝成」について紹介します。

また、彼が持つ異名「戦国最強ニート」や「戦国最強フリーター」の由縁についても詳しく見ていきましょう。

□水野勝成とは

福山自動車時計博物館の展示物
福山自動車時計博物館の展示物

水野勝成は戦国時代末期に活躍した武将で、「産まれた時期がもっと早ければ、天下統一を成し遂げたのではないか?」ともいわれている人物です。

個人戦力は戦国時代でも随一といわれており、圧倒的な戦力差を覆すほどの潜在能力を秘めていました。

どれだけ不利な戦況や戦力差が生じていても、敵軍に突撃して敵将を討ち取って帰ってくるため、彼を止められるものはいません。

そのため、幕末に制作された「名将言行録」には、誰にも止められない暴馬の意味を持つ「倫魁不羈(りんかいふき)」と記されているほど。

そんな水野勝成は、性格も暴馬な一面があったようです。

□親に勘当されたエピソード

福山自動車時計博物館の展示物
福山自動車時計博物館の展示物

血気盛んな性格の水野勝成は、厳格な性格の父親・水野忠重とは常に折り合いが悪く、いつか大きな衝突が起きることは誰の目にも明らかでした。

そして、1584年の合戦の最中に問題が起きます。

水野勝成は、普段の素行について忠重の家臣と口論になった末、斬り殺してしまうのです。

部下を殺されたことに激怒した忠重は、水野勝成に勘当を言い渡したのでした。

□ただのヤバいやつ

福山自動車時計博物館の展示物
福山自動車時計博物館の展示物

住所不定&無職の浪人となった水野勝成は、京都にある南禅寺の山門で勝手に寝泊まりし、街に出かければ喧嘩三昧。

浮浪者や盗賊紛いの生活を送っていました。

彼が浪人となったのは21歳のときで、それから15年間も放浪生活を送っています。

浪人生活のなかでは豊臣秀吉に仕えた時期もあったようですが、秀吉の怒りを買ってしまい逃げ出したというエピソードも。その後は、フリーターのように主人(勤め先)を転々と繰り返して生活していたそうです。

戦国最強といわれる実力を保持した水野勝成ですが、普段の素行や態度が仇となり、浪人生活を15年も送っています。どれだけ才能があったとしても、周囲への態度や普段の素行が悪ければ、すべてを失ってしまうかもしれません。

歴史プレゼンター

歴史ライターとしての活動経験を持ち、今までに32都府県の歴史スポットを巡ってきました。実際に現地へ行くのが難しい方に向けて、取材した歴史スポットについて紹介します。また、歴史に興味をもったことがなかった方にも楽しんでいただけるよう、歴史偉人の意外な一面や好きな食事・おやつの紹介など、ワクワクするような内容をお届したいです。

山内琉夢の最近の記事