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新型コロナ・パンデミック宣言から3年 コロナ病棟の医師が見てきたもの

倉原優呼吸器内科医
(第4波当時の当院のコロナ病棟)

3年前の今日、世界保健機関(WHO)は、新型コロナを世界的な流行である「パンデミック」と認定しました。コロナ病棟で働いてきた医師の目線で、この3年間を振り返りたいと思います。

戦いの始まり

2020年の年明け早々、にわかに「中国武漢で、原因不明の肺炎が広がっている」と報道されました。中国の医師から、両肺が真っ白になるという報告がちらほら観測されていました。

当時、海南省の医療機関で働いていた知り合いが、「ロックダウンしても、このウイルスは水際では止められないかもしれない。結構まずいことになる」とメールしてくれたのを覚えています。

武漢からのチャーター機が帰国し、ダイヤモンド・プリンセス号が入港したとき、「日本の多くの医療機関で新型コロナを診ることになる」と覚悟しました。

当初はほとんどデータがなく、肺炎を起こしやすいウイルスであることや、個人防護具を着用して感染対策を講じる必要があることくらいしか、分かっていませんでした。

コロナ病棟の立ち上げ準備をしながら、多くの医療従事者が恐怖を感じていました。まさか、この戦いが3年以上も続くとは予想していませんでした。

「当たり前のケアができなかった」

コロナ病棟内のレッドゾーン(感染区域)で個人防護具を着用していると、フェイスシールドとマスク越しの患者さんは、別世界にいる人のように思えることもありました。その逆も然りで、患者さんにとっては医療従事者は同じ服を着た宇宙人のような感覚だったかもしれません。

直接ケアにあたる看護師にとって、患者さんから得られる「五感」の情報が個人防護具によって遮断されていた弊害が大きかったと思います。

個人防護具の着用に時間がかかり、グリーンゾーン(非感染区域)からレッドゾーン(感染区域)に駆けつけたくても、なかなか行けない場面もありました。また、ケアにあたる自分が感染するわけにはいかないという気持ちもありました。

最前線にいた多くの看護師が口にしたのは、「これまでやっていた当たり前のケアができなかった」「時間を作って患者さんのそばにいてあげられなかった」という言葉でした。

(当院のコロナ病棟)
(当院のコロナ病棟)

酸素の音がする廊下

私の働く大阪府では、2021年4~5月の第4波で未曽有の病床逼迫が起こりました(1)。当時連日報道されていたように、「医療崩壊」と言っても過言ではない事態でした。

コロナ病棟には肺炎を起こした患者さんが次々と運び込まれてきました。長らく医師をやってきて、左右の肺にこれほど高頻度に肺炎を起こすウイルス感染症を経験したことがありませんでした。間違いなく、自分は歴史的な局面に立っていると感じました。

アルファ株・デルタ株が流行していた頃は、入院患者さんの多くが酸素飽和度90%未満でした。つまり、酸素療法が必要な呼吸不全に陥っていたということです。

たくさんの部屋で、高流量の酸素がシューシューと音をたてていました。コロナ病棟の廊下に立って、「医師になって、こんな光景は見たことないなぁ」と思っていました。

朝まで病棟の廊下を歩いていた人が、数時間後に挿管しているということもありました。死の受容もままならないまま、患者さんの亡きがらと棺桶越しに対面する家族もたくさんいました。

600床以上の集中治療室を配備する布陣で臨んだ大阪府内の重症病床のキャパシティも、あっという間に「転院待ち」が発生する状態になってしまいました。

マンパワーが必要な重症例を軽症病床で診なければならず、当時の現場は悲鳴を上げていました。

次第に弱毒化していった新型コロナ

第3波の頃から、封じ込めは難しい感染症で、収束のためにはウイルスが変異するか、ワクチンを開発して接種するしかないだろうと感じていました。

治療法として使用されていた薬剤は、根治させるための薬剤ではなく、ウイルスと患者さんとの戦いを手助けするくらいのものでした。

過去の新興感染症の時代から長らく研究されてきたメッセンジャーRNAワクチンが、高い有効性でもって実用化されたことに、多くの医療従事者が驚きました。

接種した国民にとっては実感が湧かないかもしれませんが、接種がすすむにつれて医療機関では如実に効果が実感され、「肺が真っ白」という感染者がだんだんと減ってきました。もちろん、ウイルスの毒性が下がっていったということも寄与しているとは思います。

最前線に立っているのは看護師

コロナ禍でずっと最前線に立ち続けてきたのは、医師ではなく看護師です。

皆既日食のとき、月に明るい太陽が隠されることで、淡い光が肉眼で見ることができます。未知の感染症という、闇に覆い隠された世界であっても、その後ろから輝いて見えるのは、それでも太陽の光なのです。人はこれを「太陽コロナ」と呼びました。

太陽コロナ(イラストACより使用)
太陽コロナ(イラストACより使用)

コロナと名がついている新興感染症によって、なぜか世の中はどんよりと暗くなりました。しかし、今人類がコロナ禍を乗り越えられようとしているのは、この暗い中、太陽コロナとなって医療現場を照らし続けてくれた看護師がいたからだと思います。

小さな光がたくさん集まり、新型コロナと戦うための大きな看護の光になりました。

未来の医療を見据えて

現在の新型コロナは、当時よりもはるかに毒性が低いため、医療従事者の多くはもう恐怖を感じていません。個人防護具も引き算できるでしょう。

しかし、バーンアウトして現場を去っていく医療従事者が増えています(2)。このままでは、救急医療や感染症医療に従事する人が減ってしまいます。

新型コロナは100年に1度と呼ばれるパンデミックですが、いつまた新興感染症がやってくるかもしれません。これからの日本の医療を維持するために、医療従事者を守る策を講じてほしいと痛切に感じています。

(一部、自著『新型コロナ病棟ナース戦記: 最前線の現場で起きていたこと』[メディカ出版]より引用)

(参考)

(1) 大阪府コロナ第4波、医療現場はどうなっているのか? 医療逼迫の原因、対策は(URL:https://news.yahoo.co.jp/byline/kuraharayu/20210429-00235077

(2) バーンアウトで現場を去っていく医療従事者 離職対策が急務(URL:https://news.yahoo.co.jp/byline/kuraharayu/20230226-00338737

呼吸器内科医

国立病院機構近畿中央呼吸器センターの呼吸器内科医。「お医者さん」になることが小さい頃からの夢でした。難しい言葉を使わず、できるだけ分かりやすく説明することをモットーとしています。2006年滋賀医科大学医学部医学科卒業。日本呼吸器学会呼吸器専門医・指導医・代議員、日本感染症学会感染症専門医・指導医・評議員、日本内科学会総合内科専門医・指導医、日本結核・非結核性抗酸菌症学会結核・抗酸菌症認定医・指導医・代議員、インフェクションコントロールドクター。※発信内容は個人のものであり、所属施設とは無関係です。

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