北朝鮮拉致問題を国際社会へ訴え。被害者家族・増元照明さんが米政権に望むこと
ニューヨークでは国連総会の期間中、人権問題に関するイベントが行われている。25日には北朝鮮による深刻な人権侵害を知ってほしいとパネルディスカッションが開かれ、日本人拉致被害者家族も登壇した。
増元るみ子さん(失踪当時24歳)が北朝鮮に拉致され、もうすぐ半世紀を迎えようとしている。壇上には弟・増元照明さんの姿もあった。
照明さんによると、るみ子さんは1978年8月12日、鹿児島の海岸から友人と共に忽然といなくなった。翌年末に北朝鮮の工作員による拉致の可能性が浮上。その後、横田めぐみさんの存在が明らかになり、日本で大きな関心事となった。全国から拉致被害者家族が集まり、日本政府を巻き込んでの救出に向けた活動が始まった。
2002年に大きな動きがあった。北朝鮮の平壌で日朝首脳会談が開かれ、北朝鮮が日本人の拉致を認めたのだ。
北朝鮮によってもたらされた13人の安否情報は「5人生存、8人死亡」。増元さん家族には、日本政府からるみ子さんの死亡が伝えられた。しかし「それまで何度も嘘をついてきた北朝鮮のずさんな報告を信じることはできない」「今でも姉の生存を信じている」。照明さんは壇上できっぱり言い放った。
「不思議でならないのは、あの独裁者が支配する地域で行われている人道への罪に対して何もしないどころか、幇助する国すらあること。いかなる理由でも北朝鮮の非道を見過ごすことがあってはならない」。照明さんは北朝鮮の人民や拉致被害者の苦しみを排除するためにぜひ協力してほしいと力を込めて語った。
このイベントではほかにも、自身が脱北者で昨年、中国の警察に妹を北朝鮮に強制送還されたキム・キュリさん(冒頭写真左から2人目)など4人の被害者家族も参加し、涙ながらに国際社会の協力を仰いだ。
パネルディスカッション終了後、筆者は照明さんに話を聞いた。
るみ子さんが生きていると信じているということだが
「もちろんです。当時の官房長官、福田康夫さんから姉が死亡したと伝えられたが、いつどうやってと聞いてもわからないというだけ。何もわからないことを確定のように言われた。『拉致などやっていない。そのような非道なことはしていない』と北朝鮮は言い続けてきたのに、2002年にいきなり手の平を返して8人死亡と言われてもその言葉をどうやったら信じられるだろうか。
何の根拠も証拠もないのに日本政府はそれを良しとして平壌宣言で日朝国交正常化に向かった。これが一番の問題」
アメリカは大統領選が控えている。どちらの候補者に勝ってほしいなど思いはあるか
「強硬な姿勢で脅し(プレッシャー)をかけられる大統領じゃないと北朝鮮は話し合いのテーブルにつかないだろう。
クリントン政権は北朝鮮に攻め込むぞと脅し(北朝鮮の核開発への対応として1994年、北朝鮮への攻撃を計画)、北朝鮮は慌ててアメリカと対話する形をとった(首脳会談準備のため国務長官を平壌に派遣。金正日との会談が実現したのは大統領退任後の2009年)。
ブッシュ大統領はテロとの戦いを外交の柱に掲げ武力行使を辞さない態度を示し、北朝鮮は歩み寄る姿勢を見せた(アメリカとの接触を要請)。その時に北朝鮮が日本に近づいてきたのは、私が思うにアメリカの武力行使を日本に止めてもらいたい思惑、さらにお金など一石二鳥、三鳥を狙ったのだろうということ。
そしてトランプ大統領が脅したことで金正恩がテーブルについた。バイデン政権下では被害者の救出に向け協力するという言葉だけですよね。民主党政権よりも共和党政権の方が北朝鮮を動かしやすいのかなと感じている」
日本では総裁選が迫っている。次期総理として誰を希望しているか
「私の立場から言えば保守の方で高市さんだが、8年9ヵ月続いた安倍政権で何も解決できなかったので今後誰が総理になっても解決できないだろうという気持ちはある。
だからこそ、金正日が拉致を認めた2002年、こんなに酷いことがあったのかと多くの日本人が怒りを露わにした、あの盛り上がりをもう一度再現しなければと思っている。この拉致被害はとんでもないことなんだと訴え続け、国民の理解を得なければならない」
話を聞く限り、諦めのような気持ちも多少あるように感じたが
「半世紀近く会えずにいる姉にただ会いたいだけだが、さすがに70を越えると危ないかもしれないとも思う(るみ子さんは今年11月1日で71歳)。でもね僕らは家族だから最後までやらなければいけないし、姉もそうだが日本には北朝鮮に拉致された可能性を排除できない失踪者が880人近くいらっしゃる。明らかにしなければならない問題であることは間違いないし、解決できる国になってほしいと日本政府に願います。
毎月署名活動を首都圏でしているが、人々の関心は本当に薄れたと感じる。拉致という言葉を聞いたことはあるが詳細を知らないという意見が多く、それが今の現実。だからこそ発信し続けていかないといけない。
姉が日本に生まれ生活していたことを忘れてほしくないんです、日本の人たちに。日本という国で生きてきた証がなくなってほしくない。そういう思いでずっと言い続けています」
(Text and photos by Kasumi Abe)無断転載禁止