【泉佐野市】 実は“空”だけじゃない「関西航空少年団」での学び。自分で生き抜く力を育む 第3の居場所
みなさんは「関西航空少年団」をご存知ですか?
おそらく聞いたことはあるけれど詳しくは知らない、という方が多いのではないでしょうか。
今回は、わたしたちの街で活躍する「関西航空少年団」について、その30年の歩みと共にご紹介します。
(この記事は、2/20 NPO法人 TEAM KIX Aviation 関西航空少年団 顧問 大和屋 貴彦さんへの取材、2/24 に開催された「関西航空少年団発団30周年記念式典」の内容をもとにまとめたものです)
「航空少年団」とは
「航空少年団」は、航空と宇宙に関する知識を学びながら、野外活動、奉仕活動、他団体との交流を行い、日常生活では体験できない活動を通して、規律、リーダーシップ、問題解決力を養う青少年団体。
また、身近な地域社会や未来の航空業界で活躍する人材育成も目的のひとつとしており、日本の航空業界の発展と地域繁栄を願って日々活動を続けています。
歴史を振り返ると「航空少年団」は1956年(昭和31年)から存在していたことがわかります。当時、全国で22団あった団は15団に縮小されているものの、大きな空に夢を抱き、航空業界と地域を勇気づける活動は今も盛んに行われています。
1994年の関西国際空港 開港を機に誕生した「関西航空少年団」もそのひとつ。
関西国際空港を拠点とし泉佐野市を中心に活動を続け、今年 発団30周年を迎えます。
その30年の歩みは、資金難による休団やコロナによる活動自粛など、決して平坦な道のりではなかったといいます。
国会見学や国際交流も?! 「関西航空少年団」30年の歩み
1994年5月15日、関西国際空港 開港を機に社会福祉センターにて発団した「関西航空少年団」。その30年の歩みを貴重な資料をもとに振り返ります。
国会見学や国際交流など、当時はとても贅沢な活動も行われていたようです。
1995年4月15日 2度目の入団式を迎える。規律訓練や紙飛行機大会など、現在と同じような活動が行われていた。ANAの整備士さんによる航空教室、そして、同時にりんくうタウンの象徴でもある「ゲートタワービル」が完成間近というところだった。
1996年10月1日 「ゲートタワービル」開業
時を経て、「ワシントンホテル」「シークル」ができ、りんくうの街は関西国際空港の恩恵を受けて発展することとなり、「関空アイスアリーナ」も誕生。
1998年8月1日~3日 名古屋・大阪・関西の航空少年団が合同で夏季航空教室を行う。
ヘリコプターの試乗では、「着陸がむずかしかった」などの感想ものこされていた。
(当時から他の団と合同活動をしていた事実が明らかに!)
1998年12月13日 「関西航空少年団5周年記念事業」で国会見学に!
JALの整備工場の見学、ディズニーランドにも行っていた。当時は団員の保護者の参加も多く、とても賑わっていた。JALの方が親切で子どもたちもとても喜んでいた。
2004年3月27日~29日 「関西航空少年団10周年記念事業」で中国上海友好訪問も行われていた。当時は30人規模の大きな団に成長しつつあり、非常に盛り上がりをみせていた。
2007年8月2日 関西国際空港 第2滑走路供用を開始。
スターフライヤー就航時には遊覧飛行も行われていた。
当時は国際交流が毎年行われ、その活動は約40年続いた(ワシントンDCへ訪問も!)。
2013年 山梨サマーキャンプ
団員数も減り、おそらくこの頃に休団を決断していたか?
経費が少なく悩んでいた、という記録も。ヨットの基礎練習が行われていた(ヨットの帆は飛行機の羽とおなじ原理?)
2014年1月1日 休団を決断
当時の団員から「休団」を知らせるメッセージがSNSにのこされている。
「関西航空少年団」奇跡の復活
2015年6月26日 運命の日
千代松市長に呼ばれ、「関西航空少年団を復活させてほしい」と言われた大和屋さん。
泉佐野市議会議員としての職務もあることから、(両立は)自分には無理だと途方に暮れます。
その後、たまたま呼ばれた近所のBBQの集まりでそのことを相談したところ、なんとその場にいたメンバーが全員「関西航空少年団一期生」だったという奇跡。
ほとんどのメンバーは子育てで忙しく活動を共にすることは叶いませんでしたが、ただ一人 澤原 弘輔さんが二つ返事で復活に力を貸してくれることに。
その場にいたメンバーの後押しもあり大和屋さんは 復活を心に決めます。
ところが、団員の募集をかけるも 入団希望者はたった1名。
当時の団長は「5、6名で休団したのだからもう諦めよう」と言います。
でも、1名の入団希望者がいる。その1名のために復活させたい!
そんな想いで入団式を5月にずらし、再度募集をかけたところ7名の入団希望者が集まり復活を果たします。
当時、千代松市長から「日本一の航空少年団になってください」と言われたことを今も忘れない、と話す大和屋さん。後に泉佐野市の代表団として参加した2泊3日の「高知県宿毛合宿」で、台風直撃の中 困難に打ち勝つ子供たちの姿をみて“この子達は台風の目、時代の風雲児、日本一の航空少年団になれる”と確信したといいます。
しかし、その後も資金難が続き “廃団” の不安を抱える日々。そのような中、事務局体制の構築や協賛を集めて多くの方々にご支援いただける流れをつくります。
大和屋さんは当時を振り返り、「この時、保護者のみなさんにたくさんのご支援をいただいた。みなさんを巻き込んで大きく成長することができた。その方々のお力がなかったら今の航空少年団はない」と話します。
その後も全国の航空教室に参加するなど、「関西航空少年団」は 大きな成長を遂げていきます。
新型コロナウィルスによるパンデミック到来
2020年4月に行われるはずだった復活後2度目の入団式は、新型コロナウィルスの蔓延によって9月に延期されることに。また、翌年もホテルの地下一室を借りて一人一人に帽子を手渡すのみの寂しい入団式となりました。
「空のエールプロジェクト」を始動
「関西航空少年団」は、コロナ禍で活動もままならない中、パンデミックによる初の緊急事態宣言発出によって今後大変な状況になるであろう航空業界と地域にエールを届ける活動に着手します。
「動画のエール」「手紙のエール」、そして「NPO法人TEAM KIX Aviation(チームキックスアビエーション)」を立ち上げ、「ブルーインパルスを呼ぼう!」「ピーチのチャーターフライトをやろう!」「地域のみなさんを巻き込んだイベントをやろう!」と様々な取り組みを行っていきます。
中でも一番の思い出となったのは「ピーチのチャーターフライト」(*)でした。
*遊覧飛行「空飛ぶ航空教室」を実現し、団員たちが空港見学と遊覧飛行を通して、航空業界の感染症対策と低リスク性を取材し全国に発信することで、航空業界を支援する取り組み
ある団員は当時を振り返り、このように話します。
「記者のみなさんに囲まれて、ピーチの方々と一緒に飛行経路や機内食、航空教室を一から企画しました。プロジェクトを成功させる難しさを感じた」
この時のことをPeach Aviation(ピーチ・アビエーション)株式会社 顧問の角城 健次さんは、「コロナで落ち込んでいる社員がどれほど勇気づけられたか。ほんまにありがとう!」と感謝の気持ちを言葉にされました。
「ブルーインパルス来て!」その活動に込める想い
「空のエールプロジェクト」のひとつ “ブルーインパルスの招致” については、2021年10月15日、プロジェクトチーム「TEAM dreamers(チームドリーマーズ)」を発足し活動を展開しています。
「ブルーインパルス」とは、大空に「夢・感動」を描く航空自衛隊のアクロバットチームで2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会での飛行が記憶に新しいと思います。
2020年5月、新型コロナウィルスと闘う医療従事者に感謝を届けるため、東京の都心上空をブルーインパルスが飛んだというニュースに接し、「自分たちの身近で頑張っている人たちにも元気になってほしい」とみんなで話し合い、「関空周辺でブルーインパルスの飛行という大イベントがあれば 関西の医療従事者をはじめ、たくさんの航空業界の方々、そして周辺住民の方々にエールを送ることに繋がる」と当時中学3年だった 団員は、関空の苦境や地元病院の奮闘にも触れた上で、河野防衛相に宛てた手紙で、そう訴えます。
この前の年に泉佐野市のこども議会で召請を提案するも「関空の飛行ダイヤに影響する」と返された経緯もあり、「運休が続く今なら来てもらうことができるはず。夢が叶わないまでも何かの反応があればうれしい」と期待します。
それから時は過ぎ、2024年。
奇しくも関西国際空港開港30周年の年となるこのタイミングに “南大阪からあらゆる閉塞感を脱却する巨大なエールを届けよう” と団員たちを中心に企画が進められ、関西国際空港対岸自治体の首長・議員、大阪府議会議員、大阪府知事、防衛大臣などに対し、これまで様々な要望活動を続けてきました。
(詳しい内容については「関西航空少年団」公式facebook(外部リンク)~ブルーインパルス展示飛行への道~をご覧ください)
しかし、 最終的にブルーインパルス招致を行う申請手続きができず、惜しくも2024年は わが街でのブルーインパルス展示飛行は叶いませんでした。
「本当だったら『関西航空少年団発団30周年記念式典』で、ブルーインパルス招致に向けてエイエイオーをする予定だった」と大和屋さんは肩を落とします。
「関西航空少年団発団30周年記念式典」
2月24日(土)、ホテル日航関西空港で開催された「関西航空少年団発団30周年記念式典」には多くの関係者、支援者のみなさんが集まり、その歩みと功績を称えました。
「ブルーインパルスが飛んでくれたらうれしかった。でも、今まで先輩方がリーダーとして頑張ってきたことは決して無駄にはならない。わたしたちの夢は終わっていない。2025年の大阪・関西万博では、(ブルーインパルスの)大阪府全域飛行を実現したい」と、活動に尽力いただいたみなさんへの感謝の言葉と共にそう締めくくりました。
自分で生き抜く力を育む『第3の居場所』
今回の取材で一番印象に残ったことは、「関西航空少年団」で学ぶことが “空や宇宙” のことだけではなかったということです。
なんでも便利になった世の中は、ありがたい反面 “困難”に遭遇する機会も少なくなりました。「関西航空少年団」の彼ら、彼女らは、さまざまな実体験を通して 柔らかい頭と心の時期に猛スピードで色々なことを吸収しています。
何度も困難を乗り越え仲間と笑いあった日々、少々のことではくじけなかったその経験が、生きる糧となるはずです。
「関西航空少年団」の活動は、基本 月に一度 日曜のみですが、その活動内容は想像以上に幅広くとても驚かされます。
空や宇宙に関する知識を学ぶことはもちろん、スキー、茶道、パラグライダー体験、稲刈り、BBQ、クリスマス会、清掃活動、募金活動など。
いろんな場所を訪れ、多くの人と出逢い、心に響く景色を享受し活動を続けています。
詳しい活動内容はこちらから→「関西航空少年団」公式インスタグラム(外部リンク)
発団30周年記念式典の際に実施された「令和6年 能登半島地震災害義援金」の募金活動では、30,180円の募金が集まり日本赤十字社へ届けられました。
4月14日に入団式(関西国際空港 展望ホールにて実施)を控える11名の新団員たちは、37名の先輩団員たちと共に新たな春を迎えます。
その中の一人、パボン 翼くん(12歳)は航空自衛隊になるのが夢。
発団30周年記念式典で、背筋をピンと伸ばして先輩方の話を聞いていた姿がとても印象的でした。
“航空” と名のつく少年団であっても意外な職業に就いた人もいるようです。
なんと「仮面ライダーゼロワン」にも出演していた 橋渡 竜馬(はしど りゅうま)さんも同団の出身なのだとか。
入団のきっかけも様々で、現団員の奥野 元揮(おくの げんき)さんは、「グループ活動が好きだったから入団を決めた」と話してくれました。
さいごに
無自覚なものの中にあるおもしろさや美しさは、自分の今いる世界から一歩踏み出すことで気づく機会が増えると感じていて、家庭や学校とは違う『第3の居場所』での “非日常体験” から得られる学びは計り知れません。
先日、高校史上最多の通算140本塁打を放った 佐々木 麟太郎内野手のスタンフォード大学進学のニュースが大きな話題となりました。
聞くところによると海外の名門大学は「勉強」や「スポーツ」だけでなく、各分野で秀でた才能を持つ者にも入学のチャンスが与えられ、サポート体制も充実しているそうです。もちろん、勉強との両立が必要とはなりますが、一昔前には想像もできなかったような「 “好き”を活かして世界中で生きていける未来 」が すぐそこまで来ています。
ある団員は全体の活動を通して感じたこととして、「先輩方の切り替えの早さ(起床時や食後の切り替えの早さなど)を尊敬している」と話します。
令和5年 東北を表敬訪問した際、津波に夫と父親が流され木につかまって助かった、という女性の話を聞いた団員は、「10年経った今も津波の被害がのこされていることを目の当たりにした。石川の発展も願いたい」と “遠い街の出来事” で終わらせない決意を滲ませます。
培ってきた日々、巡っていった季節、きっと、ずっと彼ら、彼女らは忘れないのでしょうね。
「関西航空少年団」発団 30周年、おめでとうございます。
これからも 街のみんなで温かく見守り、応援していきましょう。