【富士宮市】狸和尚の伝説が残る『安養寺』 杉田用水を一人で掘り進めた和尚の地元愛にも驚く!
市内杉田にある『安養寺』は、開創は783年とされ、1231年に臨済宗、1528年には曹洞宗に改められ、1289年雲中慶公僧が再開基したといわれる古刹です。
県道76号線を大渕側に向かって走ると、左側に『ENEOS杉田屋』さんが見え、その先の信号を左折してすぐです。
寺の入口には大きなイチョウの木があり、秋には黄色く色づいた大木が見事で、道行く人の目を愉しませてくれます。
駐車場を越すと、左側には保存樹林が広がり、その先には静かに清水が流れ出していました。
杉田の生活用水は天水に頼っていましたが、1861年に生活用水と畑を水田化するための灌漑用水の確保のため開削されます。水源から安養寺まではトンネルを掘る必要があり、安養寺の恩智和尚は寺山の木を売って人夫を雇い工事を進めましたが、財源がなくなってからは和尚が一人でトンネルを掘り、1862年に完成させたそうです。
恩智和尚の人々に対する愛と諦めない精神が杉田用水を完成させたのですね。
杉田用水は水量が少なく灌漑用水としては使用できなかったそうですが、市営水道ができるまで100戸余りの生活用水として利用されていたそうです。
またここ『安養寺』には、『狸和尚の昔話』が残っています。
昔話には諸説がありますが、ここでは私が一番好きな昔話のあらすじを紹介します。
~安養寺に名僧が来住してから修行僧が多くなり、近くの岩穴に住んでいた狸がその教えを乞いたいと小僧に化身して修行しました。しかし、寺で犬を飼うようになると、この犬をひどく恐れ、和尚に礼状を残して旅立ちました。
10年ほどして犬が死ぬと、小僧は再び現れました。和尚がなくなっていたので、村人は立派になったこの僧を住職に迎えます。
僧はよく人々を導きましたが、以前と同じくひどく犬を恐れていました。
ある日、法事に行く途中駕籠に乗った和尚に犬がかみつき、それが原因で病になり亡くなっってしまいました。その亡骸は十余年前に亡くなった和尚の姿でした。~
なんだか考えさせられる内容ですが、この狸、和尚がとても好きで、和尚が亡くなった後、お寺を守ろうとしていたのかなぁ。もしかしたら和尚さんは、小僧が狸と知っていて修行させていたのかなぁ。などと思いを巡らせてしまいました。
狸おしょうさんの石像の正面には階段を登ると山門があります。
登り切ると右側に鐘、正面に本堂があります。少し濡れるくらいの小雨の降る境内に立つと、「何か御用かね?」と狸和尚さんが出て来そうな自然と融合した境内で、誰かのために、行動することの意味を考えさせられました。
曹洞宗 安養寺
住所:富士宮市杉田489
アクセス:県道76号線を大渕側に向かい左側に『ENEOS杉田屋』さん先の信号を左折