【大学野球】「夢は叶っていない」6人がドラフト指名された富士大が叶えたいこと/明治神宮大会
先月24日に行われたプロ野球ドラフト会議で北東北大学野球連盟に所属する富士大(岩手)の選手6人が指名された。支配下で4人、育成で2人。“プロ6人”を擁し、20日に開幕した第55回記念明治神宮野球大会に東北3連盟の代表として出場。きょう22日、創価大(関東5連盟第1代表)との初戦(2回戦)を迎える。目標は昨年の4強を超える、日本一だ。
■史上最多6人のドラフト指名
「6人の夢は叶ったけど、まだ俺の夢は叶っていないから」
富士大のサードを守るキャプテンの山澤太陽(4年・啓新高)は仲間たちを前に言った。
ドラフト翌日の10月25日のこと。早朝から岩手県花巻市の大学で打撃練習をし、チームは明治神宮大会の出場権をかけた東北3連盟の代表決定戦に臨むため、バスで福島県いわき市に向かった。会場となるヨークいわきスタジアムに到着し、練習を行う前のミーティングで山澤が口にしたのが先のセリフ。
「ないとは思うんですけど、やっぱりドラフトにかかったら浮き足立つこともあるかなと思って。試合に集中してほしかったので、そういう意味を込めて言いました」
10月24日のドラフトで富士大は6度の歓喜に包まれた。
オリックス1位 麦谷祐介外野手(4年・大崎中央高)
広島2位 佐藤柳之介投手(4年・東陵高)
ソフトバンク3位 安德駿投手(4年・久留米商高)
広島4位 渡邉悠斗内野手(4年・堀越高)
巨人育成1位 坂本達也捕手(4年・博多工高)
ロッテ育成3位 長島幸佑投手(4年・佐野日大高)
7人がプロ志望届を提出し、ドラフト史上最多となる同一チームから6人の指名。「育成はなし」とプロ側に伝えていた佐々木大輔内野手(4年・一関学院高)は社会人野球に進む。
ドラフトからわずか2日後に開催されたのが明治神宮大会の出場切符がかかった東北3連盟の代表決定戦。1戦目で東北公益文科大(南東北大学2位)を10-2の7回コールドで下し、翌日の仙台大(仙台六大学1位)との決勝は2-1で制した。1点を先制され、追いついたのは7回。失策で出塁した麦谷が盗塁で二塁に進み、2死から佐々木がタイムリーを放った。1-1で迎えた9回には渡邉が決勝打。ギリギリの痺れるゲームをものにした。
激闘の翌日、大会の試合内容を振り返った時に麦谷が言った。
「ドラフトの2日後だろうと、6人みんな、そんなことは関係ないということを重々分かっているので。本当に個人の夢が叶っただけであって、チームの、山澤の日本一という目標が達成されていないので」
山澤の夢は、チームの日本一だ。
■不完全燃焼から日本一へ
埼玉県三郷市出身の山澤は草加ボーイズから甲子園を目指して福井・啓新高に進学した。1年秋の北信越大会では決勝に進出。奥川恭伸投手(現ヤクルト)を擁する星稜高(石川)と対戦し、延長15回、2-2で引き分けた。再試合で敗れたものの、翌春のセンバツに初出場。遊撃手として甲子園の土を踏んだ。
3年夏は新型コロナの流行により、甲子園が“消えた”。「完全燃焼とはいきませんでした」。
「うちは日本一を目指す大学だから」と言って、声をかけたのが富士大の安田慎太郎監督だった。
「そういう(日本一を目指す)レベルのチームに初めて入ることになり、じゃあ、俺も日本一になるという気持ちを持ってやらないとダメだなと思いました。実際に入ったら、先輩たちも高いモチベーションで、高い意識を持ってやっていたので、自然とそういう気持ちになっていきました」
ただ、若干の迷いはあったようで…。
「また寒いところか、って(笑)。めっちゃ悩んだんです(笑)。福井で雪の大変さもわかったので、また4年間、雪かって思ったんですけど、全国大会に出られて、日本一を獲れる可能性も高いと考えて決めました」
■入学時から周囲が認めるリーダー
同級生は約60人。学生野球がスタートするタイミングで、彼らは安田監督に集められた。言われたのは、「お前たちの代からプロが6、7人出るぞ」ということと、「お前たちは日本一を獲らないといけない代だ」ということ。
「日本一は分かるけど、いや、分かるというか、確かにそれを目標に入ってきたんですけど、プロ6、7人は衝撃でした」
こうして始まった世代で山澤は学年長を任された。高校時代に主将だったとはいえ、やりたくなかったそうだが、入学時から誰もがリーダーとして認めていたようだ。広島2位のエース左腕・佐藤が話す。
「1年生の時からキャプテンは太陽だろうな、という感じは自分の中であって、周りもそうだと思うんです。実際にキャプテンになっても『え?』と思う人はもちろんいなくて。もう、太陽でお願いします、みたいな感じでした」
ロッテ育成3位の長島も「みんな、キャプテンは山澤かな、というのは、1年生の頃から思っているところがありました」と言う。
■中心は太陽
7人がプロへの意思表示をした学年で1年生の頃から示していたリーダーシップ。その特徴が声がけのようだ。佐藤の話。
「試合中は野手もピッチャーも見て、周りに気を使って、それでいて、しっかりと自分の役割を果たす。できる人、っていうイメージです。プライベートでももちろん明るいんですけど、試合中もすごく明るい言葉をかけてくれます。サードとピッチャーで距離も近いので、コミュニケーションを取ることも多いんですけど、自分のプレーに集中できないだろうなって思うくらい、周りのことに気を使ってくれる。富士大は志望届を出した人が7人もいて、他のみんなも個性が際立っているので、そのクセの強い人たちをまとめるのは大変だと思うんですけど、なんか、みんなの中心にいるのが太陽だなっていう感じはすごくしていて。プライベートでも明るくて元気にわちゃわちゃしている感じで、野球をしていてもそうですね。もうずっと、自分たちの中心は太陽って感じです」
ファーストネームの通り、富士大の太陽。
一緒にいる時間が多く、「一番レベルで信頼できる」と言う広島4位の渡邉もこう話す。
「野球をやっている時と、それ以外の時のオンオフの切り替えがすごくて、尊敬しています。そして、野球部のこの大人数をまとめていて、なんて言うんですかね、個性的というか、(笑)ふざけた人たちが多い中で、チームをうまくまとめてくれたのは太陽ですから。本当にすごいなって思っています。自分だったら、チームのこともやって、自分のこともやってなんて難しいですよ」
そして、こう続ける。
「太陽は容赦なく、みんなにガツガツ言えるので、そこはもうキャプテンとしても最高です!」
よくないことは、よくない。分け隔てなく、遠慮なく、誰にでもモノを言う。「チームを同じ方に向けるために誰にでも言えるので」とは巨人育成1位の坂本。それも富士大の選手たちが山澤をリーダーとして認める要因の1つだ。長島が「いろんな選手に満遍なく、贔屓もなく、強く言えるので周りから信頼されているんだと思います」と言えば、「太陽がキャプテンじゃなかったら、ここまでまとまっていないと思います」とソフトバンク3位の安德。自分のことも踏まえ、こう続ける。
「活躍していて実力が抜けている人にはみんな、言えないところもあったのですが、太陽は誰でも関係なく言います。そして、多分、自分が一番、怒られているんじゃないかなぁぐらい、太陽に叱ってもらっているんですけど。自分、こんな感じなんで、ふざけていると『やれ』って言われて、『はい』って(笑)」
入学時、130キロちょっとだったストレートの球速が最速152キロに達した安德は、大学に入って初めてウエイトトレーニングに取り組んだという天然素材。肉体強化に比例して強くなっていったそのボールとは裏腹に、マウンドを降りれば「へへへッ」と愛らしく笑っている。記者会見ではコメントした後に(これでよかったのかなぁ)と首を捻り、“フワン”とした雰囲気を放つが、あまり自信がなさそうな発言も、その右腕から披露するストレートのような強さがある。
「ドラフト1位とか、6人がプロに指名されても、やっぱ、中心は太陽なんで。太陽が中心のチームです」
■春の苦悩
“太陽が中心のチーム”は1年前の明治神宮大会でベスト4に進出した。この世代を中心に6月の大学選手権に続く全国4強。来年は全国優勝も夢ではない――。今年の躍進が期待されたし、彼らも日本一へ士気を高めた。
ところが、春は全国舞台を踏めなかった。
「なんか、やっぱりこう…、これだけ選手が残っていて、勝つのが当たり前なので。全員が『リーグ戦で負けるわけがないでしょ』くらいに思っていた。それが全部、出ちゃいました。それはやっぱり、キャプテンの責任かなとか、考えました」と山澤。青森中央学院大との開幕ゲームを2-4で落とし、第2週の1戦目もノースアジア大に2-3で敗れた。第3週の2戦目で岩手大に2-0から逆転負けし、目が覚める。
「3敗して、やっと我に返ったというか」(山澤)
時すでに遅し。リーグ戦は7勝3敗で2位に終わった。
「チームの勝利のためではなく、全員が自分のために野球をやっていたというか。例えば、攻撃で1点ほしい場面、1死三塁とかで外野フライや内野が下がっていれば内野ゴロで得点できるケースでバッターは思いっきりフルスイングして三振したり。カウントが追い込まれても大きい当たりを狙ったバッティングで凡退したり。チームのためのバッティングをしなくても、それでも勝てるだろうっていう気持ちもあったと思います」(山澤)
野球は甘くない。“わがまま”は結果に正直だった。今となっては「めちゃくちゃ苦しかったです」と山澤は吐露するが、仲間の前で弱音は吐かず、落ち込む姿も見せなかった。そのため、チームメイトに春のリーグ戦の最中や終えてからの山澤の様子について訊いても「悔しい思いをしたと思うんですけど」や「大変そうだったなというのはありますけど」とはっきりしなかった。「それを周りに見せないので、すごく強い人だなとも思います」とは佐藤。そして、渡邉の「太陽はみんなの前では明るくて、本当に暗い顔を見せないっていうか。辛そうにしているのは見たことあるんですけど、そんなに印象には残っていません」という言葉に、フランス革命の英雄、ナポレオン・ボナパルト(1世)の名言がよぎる。
――リーダーとは、「希望を配る人」のことである。
■“就職先”は持ち込まない
山澤が「空白の6月」と表現する時期から盛夏も練習に打ち込み、オープン戦も数多くこなした。秋のリーグ戦は1敗こそ喫したものの、それは3季ぶりの優勝が決まった後。V奪還で全国舞台へ前進した。
春はリーグ優勝することで大学選手権に出場できるが、秋は東北3連盟の頂点に立たなければならない。その大会があったのがドラフトの2日後からだった。そのため、ドラフトの1週間ほど前、安田監督は志望届を出した7人に対し、釘を刺した。
ドラフトにかからなかったから気持ちが落ちるとか、かかったから上がるとか、そういうことはやめてくれ。お前たちの“就職先”がどうなるかの問題。指名されても、されなくても、お前たちの“就職先”のことをチームに持ち込むことはしないでくれ――。
指揮官の心配は無用だった。
「ドラフトの次の日の朝、バッティングをしてからいわきに向かったのですが、全然、浮ついていなかったんです。事前にそう言っていたとしても、ちょっとあるじゃないですか。ひと喝、入れないとダメかなと思って準備していたんですよ。でも、そういうそぶりが一切なかったので、こいつら、ちょっと大人になったなと思いましたね。(指名がなかった)佐々木もちゃんとやっているし、ドラフト1位でも麦谷も浮かれずにやっていましたから」
嬉しい肩透かし。「6、7人がプロに行くよ」と話した時、18歳だった彼らは実現し、“社会人”の自覚を持つアスリートへと成長していた。“就職先”が決まったことよりも、そんな変化の方が指導者の活力かもしれない。
でも、仲間内では念には念を。喝を入れたのは山澤だった。いわきに着いて発したのが冒頭の言葉。
6人の夢は叶ったけど、まだ俺の夢は叶っていないから――。
「ドラフトで6人が夢を叶えたじゃないですか。でも、自分の夢は日本一を獲ることなので」
春のリーグ戦、何も気づかなかったわけじゃない。言っても、言っても、締まらなかったところがあった。「もっと言った方がよかったのかな」。そんな危機感が決戦の地で口を突いた。
■決勝前の円陣
1戦目の東北公益文科大にはコールド勝ちしたが、初回に2点を失って追いかける展開からひっくり返した。
翌日の決勝前の円陣。いつもは山澤が指名した選手が“声出し”をするが、この時は自らが中心に立った。
「本当は神宮の決勝でやろうと思っていたんです。でも、今日も一応、決勝だから。俺がやったら一番、締まるかなと思って」
今日の試合は負けたら全員の責任、勝ったら全員のお陰。誰か一人のせいにするのではなく、チーム全員で戦おう――。
そして、続けた。
「神宮の決勝で俺はもう1回、円陣をするから。絶対に今日、勝つぞ!」
仙台大との決勝。0-1の7回、今年のドラフトが“タイミング”ではなかった5番・佐々木のタイムリーで追いつき、9回に広島との縁があった4番・渡邉が殊勲打。どちらに転ぶか分からないゲームをつかんだ。
「春だったら先制点を取られてズルズルいくパターンだったと思います。それを逆転して勝ち切れたというところに春から秋にかけての自分たちの成長というか、春との違いを出せたのかなと思います」
過去の戦績も、“プロ6人”も、勝利の保証はない。どん底から這い上がろうと仲間と過ごした日々、そして、一戦に束となって向かっていけたこと。歓喜の輪を抜け、整列に向かう時、背番号10の頬は濡れていた。
■すごいのはプロ志望7人ではなく…
「感謝しているというか、自分がすごいなと思うのはキャプテンですね。山澤はプロ志望届を出さないんですけど、これだけクセのあるというか、個が強いというか、クセしかない選手がいっぱいいるチームをまとめてきた。今のチームがあるのは山澤のお陰だと思うんです」
今年9月。野球雑誌で安田監督とプロ志望届を出す7人の選手たちに話を聞くため、北東北大学のリーグ戦を訪ねた。突き抜ける青空が気持ちのいい日。選手7人に同じ質問をした。「プロ志望届を7人も出すということについてどう感じるか」という問いに上記の回答をしたのが坂本だった。妙に引っかかった。
ドラフト後、その真意を改めて訊いた。
「大学生で、みんな、大人に近づいていく中で自主性というか、自分の意思が強くなると思うんです。これだけクセが強いメンバーが集まれば、そりゃバラバラになりますし、自分の好きなことをしたいという選手も多い。その中で太陽は同じ方向を向かせようとして誰に対しても言えますし、それを続けてきたというのは本当にすごいことだなと思います」
誰かに指摘するというのは簡単なことではない。遠慮は「ないっす」と言う山澤だが、以前はそうでもなかったそうだ。
「(遠慮など)そういうのも捨てなきゃなって思ったんです。『もう聞かねぇし、言わなくていいや』って思ったやつもいたんですけど、でも、それだとやっぱり、チームは成り立たないなって思って。そういうやつこそ言わないといけないと思って、変えました」
ベンチでの立ち振る舞いが悪いこと。全力疾走を怠ったこと。
「フライを打っても相手が落球するかもしれない。全力で走っていれば二塁まで行ける可能性がある。それを打ち取られたからといって自分の感情でタラタラ走っていたらチームにとってマイナスなので。お前の気持ちなんか、どうでもいい(笑)、ですよ」
目指しているものは何か。日本一。そのために、それでいいのか。
「太陽は自分が言ったことを率先してやるので。口だけじゃなくて、姿でも見せるので」
安德の言葉に仲間たちの総意が見える。
■富士大の最強世代
「みんな、キャラが立っているので面白いっすよね。いないっすね、キャラ被り(笑)。言わなきゃいけないことは多いっすけど(笑)、自分は『やることをやろうよ』とか言っていただけなので。一緒に野球をしていても本当に能力が高いので、楽しいっすね」
そう言った山澤はちょっと照れながら付け加えた。「いや、本当に、最高の仲間だと思います」
戻ってきた神宮球場。日本一まで、きょうから3試合。
オリックスの1位指名選手として注目されるであろう麦谷は「全員で日本一を目標にやっているので。春の悔しさを持って秋に勝つことができたので、次の目標である日本一を達成できるようにチーム全員でやっていきたいなと思います。個人の成績よりもチームの勝利に貢献することが一番。個人のことは考えずにチームのためにやっていきたいなと思います」と誓う。
“広島コンビ”も佐藤が「キャプテンから言われた言葉があるので、それを成し遂げられるように頑張りたいと思います」と言えば、「みんな、自分たちの代が本当に好き。それも太陽のお陰です(笑)。個人のことは忘れて、日本一を獲って、花巻に帰ってきたいです」と渡邉。
山澤と中学時代に対戦があり、「ピッチャーをやっていて完封された」という長島は「個性が強くて活気がある学年を山澤がちゃんとまとめてくれた。まとまった時は強いチームなので、感謝というか。よく、まとめていただいたな、と思います(笑)」と謙譲語で敬意。「山澤を中心に今までやってきたことはチームが1つになって戦うことなので。その結果、日本一になれたらいいなと思います」とは副主将の坂本。そして、最後に安德がまとめる。
「みんなで切磋琢磨してやってきました。最後は『富士大のあの代、強かったよな』、『最強世代だったよね』と言われるようにしっかり優勝したいと思います。これだけプロが出たら、最強世代じゃないとダメですよね!」
明治神宮大会への意気込みを問うと、誰もが自然とこれまでの歩みを踏まえて答えた。言わずもがな。個人がプロ野球を目指し、チームで日本一に向かってきた日々は確かなもの。消えることのない事実がそこにある。
■真夜中のロングティー
と、ここで終わればいいものを、ちょっと“延長”へ。
ドラフト会議の日。富士大は指名を待つ7人と、全部員が同じ階段教室で「運命の瞬間」を待った。部員席の最前列で見守ったのがキャプテンである山澤。6人の指名の中で「一番びっくりしたというか、嬉しかった」と言うのが渡邉の広島4位指名だった。
「仲のいい人は他にもいるんですけど、悠斗とは一番、時間を一緒にしていたので。あいつ、不安が大きくて、前の日もずっと緊張していたんです。夜ご飯も食べられなかったんですよ。いつもは誰よりも早く食うやつが全然、食べ終わらなくて、『喉、通んねぇ』とか言って。卵をもらって、卵かけご飯にしてかき込んでいました」
“就活”はとうに終わり、あとは神に祈るしかない。182センチ、98キロの大食漢。打席で大きく見える背中が小さくなっていた。こんな時は野球が一番だ。風呂にも入り終わっていたが、「連れ出したんです、グラウンドに」と山澤。照明を1基だけ灯し、ホームからライトに向かって打球を飛ばした。同級生7、8人で真夜中のロングティー。暗闇の中、打ったボールを回収し、足場をならして何事もなかったかのようにドラフト当日を迎えた。
「自分と悠斗は1年生の時から夜中まで素振りをしてきたんです。5号館と6号館の間、24時間、電気がついているのでガラスを鏡にしてスイングしたり、羽打ちしたり。あとはテニスボールを持って行って、自分は壁当てしたり(笑)。僕らの学年は結構、いましたね。でも、めっちゃ仲がいいんですけど、僕ら練習している時は一言も喋んないんです(笑)」
行こうぜ、なんて誘わなくても、「いい場所だったっす」という練習場所に向かえば同志がいた。黙々と、上手くなろうとした。野球に費やしてきた時間。野球でできた通じ合える仲間。野球の技量を向上させた空間。すべてがあっての富士大・山澤世代である。
(写真はすべて筆者撮影)