Yahoo!ニュース

「このままではタリバンに殺される」ーー亡命求めるサッカー選手、踏みとどまる医師 アフガン女性のいま

新田義貴映画監督、ジャーナリスト

「このままではタリバンに殺されます どうか助けてください」

イスラム原理主義組織タリバンが全土を制圧したアフガニスタンを取材しようと筆者が9月に入国。帰国後、カブール郊外で出会った女子サッカー選手から悲痛なボイスメッセージが届いた。米軍の通訳をしていた兄をタリバンに殺害された経験を持つ24歳のモンヌ(仮名)は今年10月、自身にもサッカーをやめるよう脅迫状が届いたことで追い詰められていた。タリバンが権力を再び掌握する中で、モンヌは海外への亡命を求めて潜伏生活を送っていた。かつて、女性の権利を厳しく制限したイスラム原理主義組織タリバンが再び統治しようとするアフガニスタンで、女性たちはいまどんな思いで日々を過ごしているのか。2人の女性を取材した。

*タリバン全土制圧から間もないカブールへ

 9月8日、私はパキスタン北西部から陸路でアフガニスタンに入国しカブールへ向かった。途中、車窓から見える風景は延々と続く褐色の大地だ。国境から車で4時間、タリバンが制圧した首都はニュースで見ていたイメージとは違い、比較的治安が保たれているようにも見えた。町の至る所に銃を持ったタリバンの兵士が立ち、ISなどによるテロを警戒している。以前より町中に女性の姿は少ないものの、顔を出して歩いている女性も多い。90年代後半にタリバンがアフガニスタンを統治していた時代、女性はブルカという全身を覆う服装を強要され、教育や就労の権利も認められなかった。女性たちは今後タリバンがどういう政策を取っていくのか、不安な思いでじっと見守っていた。

*海外への亡命求める女子サッカー選手

 かつてのタリバンは女子のスポーツも禁じていた。いま女子アスリートたちはどうしているのか。様々な情報を収集した結果、カブール郊外に潜伏中のサッカー選手がいることが分かった。さっそく彼女の居場所を訪ねた。24歳のモンヌ(仮名)はアフガニスタンの国内リーグに所属しフォワードとして活躍、代表チームに選出されたこともある。14歳でサッカーを始めたとき、家族も含め周囲の多くの人々から反対された。アフガニスタンではそもそも女子がスポーツをすることに否定的な見方が強かったという。それでもモンヌは「女性が男性と同じことをできると証明したかった」と周囲の反対を押し切りサッカーを続けた。

 モンヌには兄をタリバンに殺害されたつらい経験がある。兄はアメリカ軍の特殊部隊の通訳として働いていたが、12年前のある日タリバンに車を運転中に襲撃され殺害されたという。事件後、タリバンから家族に「アメリカ軍に協力する不信心者」であるとして、殺害をほのめかす脅迫状が届いた。いま、タリバンが権力を再び掌握する中で、一家は海外への亡命を求めて潜伏生活を送っている。実は私がモンヌに出会う前にアフガニスタンの女子代表サッカーチームの選手たちがFIFA(国際サッカー連盟)の協力を得てオーストラリアに亡命するというニュースが伝えられていた。彼女にはなぜかその連絡が来なかったという。多くのチームメートが出国する中で、モンヌは焦りを募らせているように見えた。「私だけでなく、アフガニスタンの人たち全員が同じ人間です。私たちには安全な国に行く権利があります」。どうすれば出国できるかアドバイスを求める彼女に対し、タリバンに殺害された兄の件を米軍の関係機関に報告し協力を求めるべきだと助言した。彼女の今後が不安であったが、外国のメディアが訪問したことが知れると彼女の身に危険が及ぶ。長居はそのリスクを高めてしまう。後ろ髪を引かれる思いでその場を立ち去った。

*「タリバンは怖くない」麻薬中毒患者と向き合う女性医師

 一方で、アフガニスタンに残る覚悟を決めた女性もいる。32歳のセリナ(仮名)は麻薬中毒患者のための病院に勤める医師だ。私はセリナの麻薬中毒患者の訪問診療に同行した。訪ねたのは貧困地区に暮らす家族。父親は不在だったが、母親と息子と娘の3名が薄暗い部屋にいた。この家庭では建設現場で働く父親が疲れを取るために麻薬を始め中毒に。やがて家族にも強要するようになり、ついに一家全員が麻薬中毒になってしまったという。セリナはこの家族をもう何度も訪問して麻薬をやめるよう説得しているが、なかなか効果が出ないという。国連によると世界に流通するアヘンやヘロインの8割はアフガニスタン産だ。麻薬産業が生み出す資金はGDPの50%に匹敵するともいわれ、貧困層へのまん延は大きな社会問題のひとつだ。セリナはこうした家庭を訪問し、薬を処方したりカウンセリングを行い、入院のサポートもする。セリナは言う。「国民を助けるこの仕事を辞めたくないのです。このような家族は私を必要としています。タリバンは怖くありません。私が恐れるのは神のみです」。セリナもまた幼少時代に兄をタリバンに殺害されている。その後一家でイランに避難し、タリバン政権崩壊後に帰国。大学で医学を学び医師となった。彼女はタリバンのカブール制圧後、女性の人権保護を求めるデモにもたびたび参加しているという。「女性なしの社会は発展しません。男女平等は当然の権利です。望みは薄いですがアフガニスタンに残って様子を見続けます」

*「心改めなければ、あなたに罰を与える」 サッカー選手に新たな脅迫

 カブールでの取材を終えて日本に帰国すると、女子サッカー選手のモンヌからSNSを通じてメールが頻繁に届くようになった。なんとか海外に脱出したいのでサポートしてほしいという内容だった。彼女はスイスやアラブ首長国連邦などのFIFA(国際サッカー連盟)担当者に対し自分がアフガニスタンのサッカー選手であることを証明してほしいと懇願してきた。私はFIFAに彼女をカブールで取材したことや、彼女から入手した写真や証明書を添付してメールを送り続けた。現地で撮影した彼女のインタビュー動画も添付した。そうこうしているうちに、モンヌの元にタリバンからの脅迫状が新たに送られてきた。「サッカーは西洋的で不信心な活動で、心を改めなければ国はあなたに罰を与える」という内容だった。モンヌから現地時間の深夜に涙声のボイスメッセージが届くようになった。「精一杯のことをしているのに、FIFAは私がサッカー選手だと証明できないので助けることはできないと言います。このままではタリバンに殺されます。私はまだ若く死にたくありません。いったいどうしたらいいのでしょうか。ヨシ、どうか助けてください」
 私はモンヌを励まし続け、FIFAにメールを書き続けた。そして、10月11日。モンヌからメールが届いた。「カナダが私にビザをくれました!」。FIFAとアフガニスタンサッカー協会のサポートのもと、カナダ政府からビザが発給されたという。ほっとすると同時に、自分の中で大きな肩の荷が下りた気分だった。私をはじめ彼女の支援者がFIFAにモンヌの情報を送った結果、彼女がサッカー選手だということが証明されたようだ。いまモンヌは女子サッカーのチームメートとカタールのドーハに滞在し、カナダへ行く手続きを待っている。カタールでは来年、中東で初めてのワールドカップが開催される。そのメインスタジアムでモンヌたちは、カタールのチームとサッカーの試合もしたという。彼女は新たな人生に向けて着実な歩みを続けている。
 アフガニスタンでは今もタリバンが女性の人権に対してどのような政策を行うのか先が見えない状態が続いている。祖国を去ったモンヌ、残ることを決めたセリナ。対照的な選択をした2人を通して、強い意志としなやかな決断力を持った美しいアフガニスタン女性の姿を見た気がした。

クレジット

監督・撮影・編集 新田義貴
プロデューサー 前夷里枝
製作 ユーラシアビジョン

映画監督、ジャーナリスト

1969年東京都出身。慶応義塾大学卒。NHK報道局、衛星放送局、沖縄放送局などで、中東やアジア、アフリカの紛争地取材、沖縄の基地問題や太平洋戦争などに焦点を当てた番組制作を行う。2009年独立し、映像制作ユーラシアビジョンを設立。テレビや映画など媒体を超えてドキュメンタリー作品の制作を続けている。劇場公開映画は、沖縄の市場の再生を描いた「歌えマチグヮー」(2012年)、長崎の被爆3世が日本の原子力の現場を旅する「アトムとピース〜瑠偉子・長崎の祈り」(2016年)。

新田義貴の最近の記事