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風刺とデモクラシー:今こそ「スピッティング・イメージ・ジャパン」の復活を

ブレイディみかこ在英保育士、ライター

英国の若き左派論客オーウェン・ジョーンズが、ガーディアン紙にこんなタイトルの記事を書いていた。

「笑いたいなら笑え。我々は今こそ風刺を必要としている」

英国で最も売れている政治雑誌は「Private Eye」だ。が、これは政治家や識者が出て来て専門用語やパーセンテージを使ってポリティクスを語っている雑誌ではない。ジョーク満載の風刺雑誌だ。創刊は1961年。創刊者はモンティ・パイソンに多大な影響を与えた伝説のコメディアン、ピーター・クックである。彼のステージを見て人生を変えられたというモンティ・パイソンのエリック・アイドルはこう言ったことがある。

「当時の政権はこれまでにないほど安定し、絶対的なパワーを持っていた。だがピーター・クックはステージの上で、為政者を時代錯誤の取るに足らない滑稽な存在にしてしまった。もはや彼らの言うことを真剣には受け取れないほどにね。風刺というのは時々そういうことを可能にできる」

昔のピーター・クックやモンティ・パイソンのような風刺は、現在はネット上で見られる。例えば最近では、右翼政党UKIPをおちょくり倒したUKIP Trumptonというツイッターのアカウントが有名だ。これは「排外主義のUKIPの理念は1960年代かと思うぐらい古臭い」というテーマで、60年代の子供番組『Trumpton』のキャラクターを使って同党を皮肉ったもので、レトロな人形を使った風刺画像が妙にほのぼのしておかしいと話題を集め、UKIPが法的手段に訴えると威嚇してアカウントを閉鎖しようとしたほどである。

風刺は破壊分子になり得る。それは為政者にとって政治的に致命的なものにさえなる。風刺は権力というもののバカバカしさを暴き、シリアスな顔で大仰なことを言っている支配者の薄っぺらさを露出させるからだ。為政者の顔からもっともらしい信憑性が剥がれた時、その主張の正当性は希薄になり、人びとは彼/彼女に従うことの愚かさに気付く。

権力者をユーモラスにおちょくるのは英国のお家芸だ。雑誌、映画、音楽、小説など様々な分野でそれは見られるが、民放局ITVが1984年から1996年にかけて放送した人形劇コメディ『スピッティング・イメージ』を超えるものはまだない。当該番組は政治家や王室のメンバー、セレブリティーなどの人形に時事問題の風刺劇を演じさせたもので、マーガレット・サッチャーの人形が一番人気のあるキャラクターだった。

サッチャーが近所に住むヒットラーそっくりの老人に政策のアドバイスを求めに行くシーンなどは今見ても抱腹絶倒ものだ(サッチャー:「ヨークシャーの炭鉱の組合がストライキをやめなくて」、ヒットラー似の老人:「うむ、組合はいかん。最大の組合はソ連だ」、サ:「どうしましょう」、ヒ:「侵略しろ」、サ:「炭鉱を侵略・・・?でも大量の失業者は?」、ヒ:「軍隊に送れ。強い軍隊が何より大事だ」、サ:「まあー、なんて素敵なアイディア!」。とかいう番組を見てサッチャー政権下の英国民はお茶の間で爆笑していた)。「私も年を取ったわ」と鏡を見ながらサッチャーがしみじみしていると、鏡の中のサッチャーが「この世には2人のあなたが存在するの。1人は邪悪なあなた。そしてもう1人はもっと邪悪なあなたよ!」と言ってサッチャーの首を絞め始め、2人(いや、1人か)でぎゃーぎゃー言ってるエピソードも秀逸だった。

サッチャーが閣僚に怒鳴り散らす極悪非道な独裁者として描かれている一方で、野党の労働党はどこまでも無能な政治家の集まりとして描かれていたし、王室のメンバーだって例外ではない。人頭税が払えなくなったロイヤルファミリーが公営団地に引っ越すエピソードさえあった。こうして『スピッティング・イメージ』は高視聴率の長寿番組となり、日本を含む海外にも輸出され、サッチャー人形の顔を模した置き物やティーカップが英国みやげとして売られていた時代さえあったのである。オーウェン・ジョーンズはこう書いている。

「良質な風刺は、政治なんて退屈だと思っている人々の目を政治に向かわせることができる。政治というのはそれで笑いを取ることも可能なほど、けっこう乱暴でおもしろいものなんだと気づかせることができるのだ」

だが、現代の英国では、笑われる対象になっているのは生活保護受給者や移民といった下層の人間ばかりだ。貧困賃金しか払わない企業の大ボスとか、脱税富裕層とか、それらを容認している政治家をおちょくって大笑いしてやろうという下からの突き上げが少なすぎる。

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安倍首相は「There is no alternative」という有名なサッチャーのスローガンを「この道しかない」と翻訳して選挙戦を戦ったそうだ。

彼は鉄の女を高く評価しているらしいが、サッチャーは自分が首相を務めていた時代(選挙中も含めて)に『スピッティング・イメージ』のような番組を主要局が製作・放送することを妨害しなかった。彼女を一方的に批判した番組を見て、庶民が大笑いすることを規制しなかったのである。(ということをある英国人に言ったら、「たとえやろうとしたって、この国のメディアが言うこときくわけないじゃん」と言われた)

ちなみに、日本にも「スピッティング・イメージ・ジャパン」(1994年。by とんねるず)はあった。村山富市人形や細川護熙人形がいて、クイーンの「We Are the Champions 」を「連立ちゃんぽん」という替え歌にして歌っていた。ラスト部分の歌詞は、「次ねらっとるのは、小沢~」になっていた。

日本の選挙結果を伝えるニュースで、BBCニュースのリポーターは、安倍首相は近年の日本には稀に見るパワフルな指導者になったと言っていたが、こうした論調を耳にするたびに思い出すのは「スピッティング・イメージ」のサッチャー人形である。

強い首相がいてこそ成功したフォーマットだったと思えば、日本のメディアは今こそ「スピッティング・イメージ・ジャパン」を復活させるべきだろう。

リベラル・デモクラットを名乗る政党の政権が、20年前に許されていた表現の自由を今さらどうこうして「公平な番組づくりをお願いしたい」などと言う筈はないのだから。

在英保育士、ライター

1965年、福岡県福岡市生まれ。1996年から英国ブライトン在住。保育士、ライター。著書に『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)、『いまモリッシーを聴くということ』(Pヴァイン)、『THIS IS JAPAN 英国保育士が見た日本』(太田出版)、『ヨーロッパ・コーリング 地べたからのポリティカル・レポート』(岩波書店)、『アナキズム・イン・ザ・UK - 壊れた英国とパンク保育士奮闘記』、『ザ・レフト─UK左翼セレブ列伝 』(ともにPヴァイン)。The Brady Blogの筆者。

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