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泣いても笑っても今日で最後。廃止される夕張支線の1鉄道ファンの記録

鳥塚亮大井川鐵道代表取締役社長。前えちごトキめき鉄道社長
3月24日 最後の大雪と列車 鹿ノ谷

今日が最終日。

廃止されるJR北海道の石勝線・夕張支線。

廃止されることは残念ですが、地域交通としては結果としてバスに軍配が上がったということです。

鉄道って、地域交通だけではなく、地域外からの人を呼びこむ交通としてはとても重要なツールであり、今の田舎は全国的に地域外からどうやって人を呼びこむかが問われている時代なんですが。

今さらどうこう言っても始まりません。

その夕張支線を最後の最後まで記録した1鉄道ファンの作品をご紹介して、惜別としたいと思います。

撮影したのは筆者の友人で札幌在住の矢野友宏さん。

北海道鉄道観光資源研究会の一員です。

春の夕張支線 鹿ノ谷駅
春の夕張支線 鹿ノ谷駅
秋の鹿ノ谷駅
秋の鹿ノ谷駅
冬の鹿ノ谷駅
冬の鹿ノ谷駅

鹿ノ谷駅の俯瞰。

ホームから反対側に長い陸橋が伸びているのがわかります。

実は昔、この長い陸橋の下は全部線路だったところ。

炭鉱から掘り出した石炭を搭載した貨車が入換をして、室蘭方面へ積み出していた駅の構内です。

この陸橋1つ見ても歴史が刻まれています。

最後の一週間は最大編成の3両編成で運転
最後の一週間は最大編成の3両編成で運転

今までは1両で運転されていた列車は、最後の1週間は3両編成で運転されています。

ホームの長さを考えるとこれが最大編成です。

鉄橋を渡る列車
鉄橋を渡る列車

鉄橋を渡る列車。

冬のこの時期だと木が枯れて、複線だったころの面影が顔を出します。

手前に古い橋脚が見えます。

石炭列車が走っていたころは複線だった名残りです。

この鉄橋の名前は「七番第六志幌別川橋梁」。

そんな名前も忘れ去られてしまいます。

廃止される駅と廃止を決定した人(下)
廃止される駅と廃止を決定した人(下)

地域の中心地的存在の清水沢駅。

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駅舎の中にはたくさんの思い出が飾られています。

1983年の夕張線
1983年の夕張線

矢野さんご自身の思い出の1枚。

中学生だった頃、1983年当時の夕張線の列車です。

3両編成だったことを見ると、それなりの利用者がいたことがわかります。

貴重な記録ですね。

夕張支線で撮影する矢野友宏氏(永山茂氏撮影)
夕張支線で撮影する矢野友宏氏(永山茂氏撮影)

最後の最後まで夕張支線を追いかける矢野さんです。

思い出のSL運転。2008年9月3日。新夕張駅
思い出のSL運転。2008年9月3日。新夕張駅

JR化後にもSLが走ったこともありました。

すべてが思い出です。

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そして、この景色も明日には思い出に変わります。

最後の最後まで、無事故で無事に運転終了できることを祈っています。

今後はバスの増便等で夕張市民の皆様の地域の足が便利になることを願ってやみません。

全国の皆様、これからも夕張のことを忘れないように、よろしくお願いいたします。

※写真撮影:矢野友宏さん(北海道鉄道観光資源研究会)

矢野さん、貴重な記録活動ありがとうございました。

大井川鐵道代表取締役社長。前えちごトキめき鉄道社長

1960年生まれ東京都出身。元ブリティッシュエアウエイズ旅客運航部長。2009年に公募で千葉県のいすみ鉄道代表取締役社長に就任。ムーミン列車、昭和の国鉄形ディーゼルカー、訓練費用自己負担による自社養成乗務員運転士の募集、レストラン列車などをプロデュースし、いすみ鉄道を一躍全国区にし、地方創生に貢献。2019年9月、新潟県の第3セクターえちごトキめき鉄道社長、2024年6月、大井川鐵道社長。NPO法人「おいしいローカル線をつくる会」顧問。地元の鉄道を上手に使って観光客を呼び込むなど、地域の皆様方とともに地域全体が浮上する取り組みを進めています。

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