僕が東北でイチゴづくりを始めた3つの理由
僕は東日本大震災で被災した故郷の宮城県山元町を復興させるために、あたらしく農業をはじめることにした。今では日本の農業全体に資する活動を志すようになったが、始まりは故郷の復興だ。
震災復興といっても、別に農業じゃなくてよかったのでは?と思うひともいるだろう。
なぜ農業だったのか。
■タイミング ―加速する限界集落化を阻止するために
ひとつはタイミング、緊急性だ。
故郷の山元町の代表的な産業は、自動車部品産業と農業だった。なかでも、イチゴは約14億円の出荷高を誇っていた。山元町の毎年の一般予算は40億円くらい。そういう町の中で売上14億は、ビッグな産業である。
でもそれが、地震と津波によって、なくなった。だから早期に復活させることが重要だった。
山元町は駅舎が津波で流されて線路もめちゃくちゃ、数少ない公共交通機関だった電車がなくなった。町のひとが持っていた自動車も、もちろん流された。そうすると、通勤するのも難しい。山元町は仙台から約40キロ離れたところにあり、バスの本数も少ないからだ。
仕事をしてお金を稼ぐためには、移住するしかなくなった。震災前からただでさえ町から都市部にひとが流れていっていたのが、加速する。このままでは、いわゆる「限界集落」になってしまう。
それを阻止して町にひとを取り戻す――雇用を増やし、人口を増やしていくには、もう一回、農業法人をやるしかなかった。
■その事業は持続可能か?その場所で自分たちがやる必然性はあるか?
農業を選んだふたつめの理由は、事業として長くつづけられるからだ。サステナビリティ、持続可能性がある産業だからだ。
それとも関係するが、三つめの理由は、町の特色が活かせるから。
宮城県では市町村の首長クラスで、震災後にトヨタ詣でをしたりしていた。おそらく、自動車関係の工場誘致のためだろう。もちろん、「みんな農業をやれ」というのもおかしな話だから、そういう試みを否定するつもりはない。
僕も最初はそういう、誘致型産業を考えた。でも最終的には、僕らがやることではないと思った。なぜなら、地元の文化として根付かないし、ビジネスの経験値も蓄積されないから。
誘致型というのは、たとえば本社が東京にある会社のコールセンターが山元町に来たとしよう。そこで1000人雇用されたとしても、それはそのコールセンターの企業文化で1000人働くだけだ。地元のひとを、一方的に労働力として提供するだけ。しかも、もし本社都合で引き揚げられたら終わってしまう。つまり、一過性の雇用は生まれても、地元の経済を回していくものとしては持続可能なものではないし、地域の文化としても、定着しにくい。
自動車工場がなくなって途方に暮れた日産の工場跡地みたいな例が、日本各地にある。トヨタの愛知県内の工場や、マツダの広島工場はずっとあるだろう。なぜなら、地元だから。地方への企業の工場誘致がうまくいったとしても、中長期スパンで見れば、僕にはどうなるかわからないものに見える。事業者にとっては縁もゆかりもない土地だから。
だから誘致型ではなく、町にもともとあったものに活かしたかった。
地域活性化のための産業創造はゼロから100をつくることではなくて、0.1とか1から100に成長する可能性のあるものを、時間をかけてつくっていくことが大切だ。
われわれ山元町の場合で言えば「1」にあたるものが「イチゴ」だった。東北には農地がある。畑と田んぼしかない土地が、たくさんある。
だから農業をやることは、東北地域においてはわかりやすい。そこには、少なくとも数十年にわたってひとびとが築きあげてきた知恵がある。誘致型の産業では、得られないものがある。
そういう、地元にもともとあったいいものを、僕らが若さとICTとビジネススキルを使ってリファインさせてもらう。リスクを取れる自分たちがチャレンジしてノウハウを獲得し、次の時代のロールモデルをつくり、地元に還元する。それができそうだなと思えたのが、僕らの場合はイチゴづくりだった。
事業として長くつづけられると見込め、しかも地元の特色が活かせるものは、商品やサービスとして魅力があることが多い。競争優位性が生まれるのだ。そこに「今すぐやらなければならない」という緊急性が加わった。だから、農業だった。
農業をやりたい、地域で新規事業を始めたいという人は、
- タイミングは今か?
- 事業として持続可能か?
- 自分達が元々持っている特色は活かせるか? 自分たちがやる必然性はあるか?
たとえばこの3つの軸から検討するといいかもしれない。