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(元)歌手の万引き報道という暴力 そして「万引き老人」時代

常見陽平千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家
『万引き老人』(伊東ゆう 双葉社)を読んで、「下流老人」社会について考えてみた

少し時間が経ってしまったが、複雑な心境になる事件報道を見かけてしまった。デュエットした曲が大ヒットした女性歌手が万引きで逮捕された件だ。私がこれから論じることの内容からして、正直、その歌手の名前は書きたくないのが本心ではある。ただ、誰のどの件かを表記しないと、何のことか分からないし、変な憶測を呼んだり、他の人に疑惑が飛び火する可能性があるので、以下に、記事のタイトルと、リンク先を表記することにする。

「3年目の浮気」で人気の「ヒロシ&キーボー」のキーボーを万引で逮捕 コンビニでアイカラー盗む(産経新聞) - Yahoo!ニュース

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160725-00000546-san-soci

曲名も、ユニット名も見かけるのは実に久々である。40男としては、たしかにこの曲は覚えている。当時は小学校低学年だった。別にファンではなかったが、なんせ娯楽の種類の少ない時代だし、テレビの影響力も大きかった。彼らの姿もよく歌番組で見かけた。真似して歌って、家族が苦笑いしたこともなんとなく覚えている。

事件の報道にもある通り、このユニットの活動した期間は約2年間である。逮捕された女性歌手は、「元歌手」と言ってもいい状態だ。この1曲しか世間は覚えていないし、その後、いくつかの企画物でテレビに登場したようだが、35歳以下の人はほぼ知らない歌手だと言っていいだろう。言葉を選ばず言うならば、「一発屋」と言ってもいい。もはや、芸能人ではなく、民間人として生きている。しかし、「一発屋」とはいえ、大ヒット曲という強烈な「一発」があったがゆえに、全国紙が報じ、ヤフートピックスに取り上げられるという。

私は盗む人や殺す人をいかなる理由があれ擁護するつもりはまったくない。例えそれが、少額の商品の万引きであったとしても、だ。芸能人の落ちぶれ話は大衆が好物とするものではある。更に言うならば、著名人の逮捕は大衆に対する見せしめの意味もあるのだろう。

とはいえ、罪に対して社会的制裁の度合いが大きすぎないかと思った次第だ。

まだ罪状が確定したわけでもない状態なので、何とも言えないし、物を盗む者に同情の余地はないが、「芸能人はいつまで有名人なのか問題」というか、かなり過去に歌手として活動したあと、特に実績もないにも関わらず、罪状以上に社会的制裁を食らわす社会に対する違和感を述べることにする。

本題はここからだ。彼女の逮捕というのは、ある社会問題を可視化させる大きな一歩にはなったのはたしかではある(まどろっこしい書き方ですまない)。それは「万引き老人」問題である。これは、今、そこにある危機なのだ。

※厳密には逮捕された女性歌手は59歳で「老人」ではない。ただ、それに近い年齢ではある。

ちょうどこの事件の前後に万引きGメン伊東ゆう氏による『万引き老人』(双葉社)を拝読し、この問題の根深さについて考えてしまった。なお、この本を読んだキッカケは、私が日本のメタルバンドの中で最も好きなANTHEMというバンドのギタリスト、清水昭男氏のブログでこの本が紹介されていたことだった。ずっとANTHEMファンでいてよかった。

昨年、このYahoo!個人でも人気の藤田孝典氏が提唱した「下流老人」は書籍がベスト・セラーになり、「ユーキャン新語・流行語大賞」にもノミネートされたのだが・・・。伊東ゆう氏による『万引き老人』は、この「下流老人」問題の一側面をリアルに描いた渾身の現場レポートだ。そこには貧困と孤独が支配する絶望老後の世界が描かれている。

万引きと言えば、青少年がつい薄暗い誘惑でしてしまう行為という印象があることだろう。ふと、中学生時代のことを思い出した。同級生が万引きで捕まり、学年集会が開かれたのだった。生徒指導の先生は「万引きは心の病」と注意を促していた。スーパーで万引きをする中学生が捕まえられる場面を見たこともある。

しかし、それは昔の話だ。本書によると、高齢者の万引き犯が増えているという。いまや、65歳以上の高齢者における最も多い犯罪は万引きを含む窃盗だ。平成27年度版犯罪白書によると、一般刑法犯として検挙された65歳以上の高齢者の罪名は窃盗が7割を超える。そのうち、6割が万引きだ。もともと高齢者の犯罪においては万引きの比率が高かったが、この四半世紀のうちに65歳以上の人口が2倍強に増えた中で、検挙者数は5倍近くに増えている。まさにこれは「下流老人」社会が出現しているということなのだろう。

はっきり言って、読んでいて辛くなる本だった。事例も、取り締まりのノウハウも具体的すぎるがゆえに切なくなる。ただ、そこで可視化されるのは60歳を超えて、定年退職し、年金と貯金で悠々自適に暮らすという老後が誰にでもやってくる時代ではないという冷たい事実だ。店で捕まる所持金数十円の老人たち。カネがないから、得したいから、寂しいから、彼ら彼女たちは万引きをする。

このような社会が軋んでいる現実を我々は虚心に直視しなくてはならないだろう。

もう忘れ去られていた芸能人が、万引きをした件で犯罪の大きさ以上に晒されるのもいかがなものかと思うものの(もちろん、盗みを擁護するつもりはない)、これは、今後ますます広がるであろう、絶望の老後の予告編なのである。

千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家

1974年生まれ。身長175センチ、体重85キロ。札幌市出身。一橋大学商学部卒。同大学大学院社会学研究科修士課程修了。 リクルート、バンダイ、コンサルティング会社、フリーランス活動を経て2015年4月より千葉商科大学国際教養学部専任講師。2020年4月より准教授。長時間の残業、休日出勤、接待、宴会芸、異動、出向、転勤、過労・メンヘルなど真性「社畜」経験の持ち主。「働き方」をテーマに執筆、研究に没頭中。著書に『なぜ、残業はなくならないのか』(祥伝社)『僕たちはガンダムのジムである』(日本経済新聞出版社)『「就活」と日本社会』(NHK出版)『「意識高い系」という病』(ベストセラーズ)など。

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