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「元気、大人になったな」。原口元気が遂げた『やんちゃ少年』からの変貌

安藤隆人サッカージャーナリスト、作家
大人になった今だからこそ、見せて欲しいやんちゃなドリブル。関係者はそれを期待する(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

「元気、本当に大人になったなぁ…」。

ロシアW杯を戦う日本代表の右サイドハーフとして、開幕戦のコロンビア戦、第二戦のセネガル戦と先発出場し、ラウンド16のベルギー戦でもスタメンが予想される原口元気。

ロシアの地で躍動する彼の姿を見て、かつて浦和レッズでチームメイトだった湘南ベルマーレに所属する梅崎司はこう感想を漏らした。

「ユースからトップに上がって来た時はあんなにやんちゃで、言うことを聞かなかった元気が、経験を積んでどんどん大人になって行ったけど、ドイツに行ってからさらに見違えるほど大人になりましたね」(梅崎)。

これは何も梅崎だけが抱いた感情ではない。若かりし頃の原口を知っている人間なら誰もがそう抱く感情であった。

原口が浦和ユースからトップチームに昇格したのは2009年のこと。江南南サッカー少年団時代から『天才』と呼ばれて来た男は、浦和ジュニアユースでもその才を発揮し、中3でユースに昇格。そして高3に進級を待たずしてトップ昇格を果たした。

将来を嘱望され続けた天才だったが、とんでもないやんちゃで、挨拶はロクに出来ない、プレーで納得がいかなかったら悪態をつくような、手の掛かる少年だった。

それでも誰にも真似出来ない天賦の才を持ち、特にドリブルは恐ろしいほど技術レベルとスピード、アジリティー、そして相手の逆を突く上手さを持ち、一度乗ったら手がつけられないレベルで、1人で3、4人をぶち抜くこともざらだった。

ジュニアユース、ユースでは無双レベル。筆者も江南南サッカー少年団時代から彼のプレーを見ているが、ドリブルの切れ味と、迷うこと無く前へとグイグイ仕掛ける姿勢は脅威だった。

ユースに上がると、身のこなしが格段に上手くなり、躍動感溢れるドリブルはより破壊力を増していた。

駒場スタジアムでのユースの試合後、ダウンをする原口。態度は微妙だったが、持っている才能はやはりずば抜けていた。(安藤隆人撮影)
駒場スタジアムでのユースの試合後、ダウンをする原口。態度は微妙だったが、持っている才能はやはりずば抜けていた。(安藤隆人撮影)

「ドリブルは凄まじかった。本気で行かないと簡単にやられるし、底知れぬ才能だと思った」と、原口がトップ昇格時には22歳だった梅崎も舌を巻く一方で、「生意気だし、最初は『なんやコイツ』と思った」と、性格は相変わらずだった。

それ故に、彼自身も相当苦労した。実力があれど、人間性が伴わないことで、彼はずいぶんと損をして来た。

当時の原口の性格を表すエピソードがいくつかある。2009年には練習中にフィジカルコンタクトでチームメイトに檄昂をして暴言を吐いたり、2011年には練習中のチームメイトの悪ふざけに檄昂し、そのチームメイトに蹴りを入れて怪我をさせ、謹慎処分を課せられた。

2012年には試合で交代を告げられた時に、不満を全面に出して監督に詰め寄り、さらに試合後にはサポーターに挨拶をせずに引き上げてしまい、翌日に謝罪をすることもあった。

さらに2013年にも練習試合の交代で監督に怒りを露わにして、ピッチサイドのクーラーボックスを蹴り上げ、チームメイトの柏木陽介の大激怒を買って、練習もそのまま中止にさせてしまった。

数々の悪童エピソード。ただ普通の選手ならこのままクラブと契約解除になったり、移籍させられたり、時にはそのまま消えて行くパターンが多いが、彼は違った。

「確かにやんちゃだったけど、事件のすべてはサッカーに関することだった。元気は心の底からサッカーを愛していたし、サッカーに一生懸命だからこそ、熱くなって周りが見えなくなってしまっていた。深く接してみると、根は凄く良い奴ですから」。

梅崎がこう語ったように、原口は『根っからの悪』ではなく、サッカーに懸命なあまりすぐにヒートアップしてしまうものだった。それ故に、普段の練習はストイックに取り組んでいた。だからこそ、類い稀なる才能は着実に磨かれて行き、それはチームに必要な武器であった。

筆者もユース時代から何度か取材をしたが、態度はそこまで良いとは言えなかったが、梅崎が感じたように彼のサッカーに対するストイックさは十分に伝わった。

「僕のドリブルでチームの勝利に少しでも繋がれば良いと思っています。迷わず仕掛けることで、味方に勇気を与えられると思う。そのためにはこの武器に甘えないで、磨き続けないといけない」。

これは彼が高2の時に話していた言葉だ。『ただの悪』がこのような発言はしない。サッカーが好きで、自分の成長を貪欲に欲するサッカー少年そのものだった。

だからこそ、決して褒められない事件を繰り返したが、彼はサッカーから離れること無く、着実に成長をした。

日本クラブユース選手権でドリブルを仕掛ける原口元気。ずば抜けた才能はずっと健在で、将来を楽しみにさせてくれる選手の一人だった一方で、性格的に消えて行ってしまわないか不安も大きかった。(安藤隆人撮影)
日本クラブユース選手権でドリブルを仕掛ける原口元気。ずば抜けた才能はずっと健在で、将来を楽しみにさせてくれる選手の一人だった一方で、性格的に消えて行ってしまわないか不安も大きかった。(安藤隆人撮影)

2012年から浦和の監督に就任したミハイロ・ペトロヴィッチ監督(現・コンサドーレ札幌監督)の下でプレー出来たことも大きかった。

ペトロヴィッチ監督とも何度も衝突をしながらも、指揮官は見捨てること無く、逆に愛を注いだ。ラッキーな面もあったが、それも彼のサッカーへの想いがある所以でもあった。

ペトロヴィッチ監督の下、ドリブルだけでなくオフ・ザ・ボールの動き、守備への献身を磨き、ポジションも得意の左サイドハーフだけでなく、右、トップ下、FWとアタッキングポジションならどこでもこなした。

そして、2014年5月にブンデスリーガのヘルタ・ベルリンへの完全移籍が決まった時、彼は大きな変化を自覚していた。

原口にとってヘルタ・ベルリンのオファーが来たタイミングは、直前でブラジルW杯メンバーから落選するなど、自分自身を改めて見つめ直す時期だったのだ。

「レッズではいろんな人に助けられた。だからこそ、より自分が成長するためには、そういった助けがない環境でイチから積み上げて行きたいと思った」。

6月1日に埼玉スタジアムの名古屋グランパス戦後に行われた自身の壮行会では、涙を浮かべながら、やんちゃ少年だったと思えないほど、丁寧かつ心がこもった言い回しで、レッズというクラブ、関わってくれた人々への感謝の意を述べた。

この姿を見ただけでも、「原口、大人になったな」と感じるほどだった。

そしてドイツに渡って、彼は望み通りの成長を手にすることが出来た。

妻との生活、そしてメンタルトレーニングを取り入れ、すべてはサッカーのため、すべてはヨーロッパで成功し、ロシアW杯に出場するために。根っからのサッカー少年が、経験を積んでよりサッカーに没頭する。

選手としても、人間としても成長することは必然であった。

「浦和の関係者、サポーターだったら、みんな元気のやんちゃぶりは知っている。だからこそ、今の元気は本当に大人になったし、彼自身が努力して人間としても変わった証拠ですよね」。

これは梅崎同様に浦和の元チームメイトで、今はロシアの地で日本代表として共に戦っているDF槙野智章の言葉だ。

原口元気は変わった、大人になった―。

誰もが異口同音に発するこのフレーズ。最後に梅崎は今の原口にこうエールを送った。

「大人になったのは良いことなんだけど、元気はまだまだ出来ると思う。もっと積極的に、時にはわがままに仕掛ける元気の姿が見たい」。

大人になった今だからこそ、やんちゃ少年だった原点に返って、ピッチ上で思う存分躍動をして欲しい。それは梅崎を始め、あの頃関わった人たち全員が思っているだろう。

今日、日本代表は決勝トーナメント初戦のベルギー戦を迎える。そこで『やんちゃ少年』の面影が映し出された時、日本代表の攻撃は活性化されている。

そう、そこに『永遠のサッカー少年』がいる限り―。

サッカージャーナリスト、作家

岐阜県出身。大学卒業後5年半務めた銀行を辞めて上京しフリーサッカージャーナリストに。ユース年代を中心に日本全国、世界40カ国を取材。2013年5月〜1年間週刊少年ジャンプで『蹴ジャン!SHOOT JUMP!』連載。Number Webで『ユース教授のサッカージャーナル』を連載中。全国で月1回ペースで講演会を行う。著作(共同制作含む)15作。白血病から復活したJリーガー早川史哉の半生を描いた『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、カタールW杯27試合取材と日本代表選手の若き日の思い出をまとめたノンフィクッション『ドーハの歓喜』が代表作。名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクターも兼務。

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