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オジュウチョウサンの相棒が、同馬と、そして家族と過ごした足掛け8年を語る

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
オジュウチョウサンとパートナーの石神深一騎手

長男が乗馬を始めた頃、出合う

 「常に落馬の危険性のある障害レースですからね。その後に引退式があると思うと変な緊張感があります」

 石神深一がそう語った話の対象は勿論、オジュウチョウサン(牡11歳、美浦・和田正一郎厩舎)。今週末の24日、中山大障害(J・GⅠ)で最後のハードルを飛ぶ。

オジュウチョウサンと石神深一騎手
オジュウチョウサンと石神深一騎手

 「小学生の長男の深道(ふかみち)が乗馬を始めたばかりの頃でした」

 そんな2015年、石神は初めてオジュウチョウサンとタッグを組んでレースに挑んだ。東京障害ジャンプS(J・GⅢ)で、結果は4着。後に“絶対王者”と呼ばれる名ジャンパーも、障害入りした序盤は、幾度も苦杯をなめた。しかし、16年4月の中山グランドジャンプ(J・GⅠ)を勝つと、歴史の扉は開いた。18年4月に同レース3連覇を達成するまで9連勝。丸2年間、この馬より先にゴールラインに達する馬は、ただの1頭も現れなかった。

 「17年にアップトゥデイトと一騎討ちした中山大障害(J・GⅠ)は今でも忘れられません」と言う石神に、当時の家族の反応を伺うと、次のように答えた。

 「家で競馬の話はあまりしませんでした。ただ、小学低学年だった娘は『パパ、オジュウは勝てるでしょ?』とか聞いてくる事もありました」

2017年、東京ハイジャンプを勝った直後のオジュウチョウサン
2017年、東京ハイジャンプを勝った直後のオジュウチョウサン

乗り替わりには家族全員がショックを受ける

 そんな家族との食卓で、オジュウチョウサンの話題になった事があった。18年の初夏の話だ。

 「中山グランドジャンプを勝った後、秋は平地に挑戦する事が決まりました。そして、同時に平地では僕ではない騎手で行くと告げられました。この時はさすがにショックで、家族も皆、同じように落ち込んでいました」

 子供は2人の男の子と1人の女の子。皆が悔しがったし、悲しんだ。その姿を見て、石神は思った。

 「ショックは大きかったけど、この子達のためにも自分がしっかりしないといけないと考え直しました」

 同年7月、平地の開成山特別に出走したオジュウチョウサンはその鞍上に、新たに武豊を迎えた。当時、落馬による怪我でいずれにしろ騎乗出来ない状態だった石神だが、福島競馬場に駆けつけて、平地での戦いを見守った。

18年、開成山特別で平地競走に出走したオジュウチョウサンを見守る石神
18年、開成山特別で平地競走に出走したオジュウチョウサンを見守る石神

 「自分が乗れなくなったのは残念だったけど、オジュウの負ける姿は見たくなかったので、全力で応援しました」

 結果、勝利すると平地ではファン投票による有馬記念(GⅠ)出走までこぎ着けたが、翌19年の春には障害界に復帰。石神にお手馬が帰って来た。

 「また乗れるかどうかも分からなかっただけに嬉しかったです」

 阪神スプリングジャンプ(J・GⅡ)を勝つと、中山グランドジャンプ(J・GⅠ)では4連覇を達成した。

 「その頃は厩舎へ子供達を連れて行き、オジュウに合わせてあげる事もありました」

厩舎でのオジュウチョウサン(20年撮影)
厩舎でのオジュウチョウサン(20年撮影)

同じ「時」を生きる子供達とオジュウチョウサン

 しかし、その後、世界中を騒がせた新型コロナウィルス騒動が競馬界にも及ぶと、たとえ家族であっても厩舎へ行く事が出来なくなった。

 「そればかりか僕等騎手も厩舎への出入りが制限されたけど、オジュウの調教は変わらず乗り続けていました」

 20年春に阪神スプリングジャンプ(J・GⅡ)を勝つと、続く中山グランドジャンプ(J・GⅠ)では前代未聞といえる同一競走5年連続制覇の偉業を成し遂げた。最初に同競走を勝った時、乗馬を始めたばかりだった長男は競馬学校を目指す中学3年生になっていたし、小学低学年だった次男は乗馬にのめり込んでいた。そして、未就学児だった長女は小学3年生になっていた。

 成長していく子供達を見ていると、何にも代えがたい喜びを感じた石神だが、同じようにカレンダーがめくられても、オジュウチョウサンにとっては大きく意味が異なった。9歳となった彼は、無敵の快進撃を続ける事が出来なくなった。京都ジャンプS(J・GⅢ)で3着に敗れると、翌21年、6連覇を懸けた中山グランドジャンプ(J・GⅠ)は5着。更に続く東京ハイジャンプ(J・GⅡ)も3着に敗れると、彼を絶対王者と呼ぶ人はいなくなった。

5着に敗れ6連覇とはならなかった21年の中山グランドジャンプ(ゼッケン4番がオジュウチョウサン)
5着に敗れ6連覇とはならなかった21年の中山グランドジャンプ(ゼッケン4番がオジュウチョウサン)

 変化を見せたのは周囲の人だけではなかった。石神は、家でレースのVTRを見ている時の話を教えてくれた。

 「オジュウが勝つと、上の2人の男の子は『なんであのコースを通ったの?』とか、聞いてきたけど、負けたレースでは何も聞かなくなりました。彼等なりに気を使っているのだと思います」

 そんな中、下の女の子だけは普通に競馬の話をしてきたと続ける。

 「まだ幼いですからね。『オジュウ、何で負けちゃったの?』と言われて苦笑した事もありました」

ラストランに懸ける家族の想い

 それでも昨年暮れの中山大障害(J・GⅠ)を勝って復活の狼煙を上げると、今春には中山グランドジャンプ(J・GⅠ)を6度目の優勝。11歳にして、不屈の勇姿を披露したが、ラストランの中山大障害(J・GⅠ)を前に走った東京ハイジャンプ(J・GⅡ)は9着に大敗。果たして、今回、巻き返しはあるのだろうか……。まずは精神面に関して伺うと、次のような答えが返ってきた。

 「うるさいのはこの年齢になっても変わりません。13日に乗った時も危うく落とされかけました。でもこれはステイゴールドの子供だから仕方ないと考えています。大人しくなったらそれは走らなくなる時だと思います」

 では、フィジカル面はどうなのか?

 「減っていた体は戻っているし、元々涼しい時期の方が走る馬ですからね。前走みたいな事はないと信じています」

 足掛け8年タッグを組んだパートナーとの最後の1戦を前に、石神は現在の心境を語る。

 「ゴールインするまで心配は続くけど、有終の美を飾らせてあげたいです」

 7年前、乗馬を始めたばかりだった長男は、現在、競馬学校騎手課程の2年生。オジュウチョウサンを管理する和田正一郎調教師の下、厩舎研修に汗を流している。そして、小学5年生となった長女は、中学2年生になった次男同様、乗馬に興じるようになった。

 「長男は20日の運動でオジュウに跨らせてもらえました。また、長女は馬に乗る難しさが分かったのか、乗馬を始めてからはオジュウの話を振って来る事もなくなりました」

長男の深道が運動で跨った際のオジュウチョウサン(石神深一騎手提供写真)
長男の深道が運動で跨った際のオジュウチョウサン(石神深一騎手提供写真)

 更に、現在9カ月の三男を連れて、石神一家はオジュウチョウサンの最後の勇姿と引退式を目に焼き付けるため、クリスマスイブの中山競馬場を訪れる予定だという。家族の前での、残された4100メートルのランデブー。石神とオジュウチョウサンが家族にクリスマスプレゼントを届けられる事を願いたい。

家族が見守る中でオジュウチョウサンのラストランと引退式に臨む石神(18年撮影)
家族が見守る中でオジュウチョウサンのラストランと引退式に臨む石神(18年撮影)

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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