金正恩氏の「処刑部隊」が骨抜きに…台頭するライバル勢力
北朝鮮国民の思想や動向を監視、統制する役割を果たしてきた国家保衛省(保衛部、秘密警察)。政治犯収容所の運営や公開処刑を担当してきた、恐怖政治の象徴的な存在だ。
(参考記事:謎に包まれた北朝鮮「公開処刑」の実態…元執行人が証言「死刑囚は鬼の形相で息絶えた」)
そのため、北朝鮮国内ではすこぶる評判が悪い。秘密警察として国民の動向を監視するだけでなく、時には韓流ビデオのファイルを保有していたという容疑だけで女子大生を拷問し悲劇的な末路に追い込む残忍な捜査手法が北朝鮮国民の恨みを買っているのだ。
(参考記事:北朝鮮の女子大生が拷問に耐えきれず選んだ道とは…)
そういったこともあってか、金正恩党委員長は2016年末から同省に対する粛清を進めている。
専横と職権乱用を咎めて金元弘(キらム・ウォノン)国家保衛相を解任、複数の幹部を処刑した上で、省全体に対して「職権を乱用して金儲けをするな」、「住民に対する暴行、拷問などの人権侵害をやめよ」などといった指示を出した。金元弘氏は、自ら身を引く形で、平壌西部の協同農場の農場員になったとの説がある。
(参考記事:「金正恩は、中で殺している」北朝鮮の処刑方法に変化)
国家保衛省に成り代わって、北朝鮮の体制を末端から支える機関として力を付けつつあるのが人民保安省(警察庁)だ。最近になって、国家保衛省が持っていた権限の一部が、人民保安省に移管された。
平安北道(ピョンアンブクト)のデイリーNK内部情報筋によると、移管されたのは「人身売買」に対する捜査、取り調べ、管理監督の権限だ。これと同時に人身売買が「反国家犯罪」から「一般犯罪」に格下げされた。
北朝鮮では一般的に、人身売買は中国に若い女性を売り払ったり、脱北を幇助したりする行為を指す。当局は、後者の意味合いから人身売買を「祖国を裏切る行為」と見なし、国家保衛省の所管としてきた。
また、「北朝鮮に人身売買は存在しない」という点を国内外にアピールする目的で、刑法に人身売買罪を明記する代わりに、反国家犯罪扱いしてきたということもある。
2005年3月、咸鏡北道(ハムギョンブクト)の会寧(フェリョン)で、人身売買に加担した被告が公開処刑されたが、判決に適用された法律は、刑法290条(誘拐罪)、233条(非法国境出入罪)、246条(職権濫用罪)、104条(外国貨幣売買罪)だった。人身売買の摘発事例は少なくないが、人身売買そのものを禁止する法律は存在しないため、別の法律で処罰しているのだ。
在韓米国大使館が2010年に出した「北朝鮮の人身売買報告書」は、北朝鮮の人身売買に関連する法律について次のように言及している。
北朝鮮では公正な裁判を期待できず、政府は法執行情報を透明に公開しないため、いかなる法律条項を適用して人身売買犯を起訴しているのか依然として不確実だ。報告対象期間中に人身売買犯を起訴したり有罪を宣告したりした事例は知られていない。しかし、北朝鮮当局は脱北を含めた一切の出入国行為を制限する法を執行し、これが人身売買犯と被害者の双方に不利に適用されるケースが多いという証拠がある。
あいまいな法適用のせいで、大きな事件でも捜査、裁判、処罰が非公開で行われることが多く、多額のワイロで握りつぶすことも頻繁に起きてきた。つまり、不祥事の温床となってきたということだ。
今回の措置は、中央の指示にも従わない傍若無人ぶりだった国家保衛省の勢いが削がれつつあることと関係があると情報筋は指摘した。
「(当局は)権力機構に力を与えすぎれば、最高機関(金正恩党委員長)にも害になりかねないと判断したようだ」(情報筋)
今回の決定に北朝鮮国内からは歓迎と懸念の相反する声が上がっている。
人身売買の取り締まりと取り調べを国家保衛省が行っていた頃、摘発された人は「一生が台無しになる」と思い、全財産を売り払ってでも多額の現金を用意してワイロにして事件をもみ消そうとしていた。しかし、権限を移管された人民保安省では一般犯罪として扱っており、刑事事件の書類が残っていても政治的な問題にならないため、胸をなでおろしている人もいる。
その一方で「一般犯罪となったが、むしろ処罰は強化されるかもしれない」と懸念する人もいる。権限を移譲された保安員(警察官)は原則に従って捜査、処罰を進め、ワイロが通用しなくなるのではないかということだ。また、国境統制がさらに強化されるかもしれないと心配する人もいる。つまり、脱北は以前にもまして難しくなるということだ。
保安員と保衛員(秘密警察)の間では、神経戦が繰り広げられ、火花をちらし合っている。
「数十年に亘って人民の上に君臨してきた国家保衛省の力が削がれ、保安員たちは内心『ざまあみろ』と思っている。単純に自分たちの地位が上がるのではないかと考えているようだ」
「保安員は『労働党の信頼が権力』だと勘違いしたら大間違いだ、これからは気をつけろ』と言い放ち、保衛員は『お前たちもいつかはわれわれと同じ立場に立たされる、ふざけるのもいい加減にしろ』と言い返す」(情報筋)
冒頭で述べたとおり、北朝鮮国内で国家保衛省の評判はすこぶる悪い。当然、そのトップだった金元弘氏の評判も悪い。そして、権力を奪われ弱った国家保衛省への、北朝鮮国民の恨みは深い。
「司法機関の取り調べを受けたことのある人々は、『庶民を怒鳴りつけていた保安員や保衛員、検察の幹部は、われわれがどれだけしんどい仕事をしてきたか思い知るべきだ』と口々に言っている。『横柄に振る舞い、ワイロを絞り取ることだけを考えている連中が、汗と鼻水を垂らしながら堆肥を運んでいるのを見ると、スッキリする』という人もいた」(別の情報筋)
(参考記事:「腐りきった権力への恨み」北朝鮮で秘密警察への襲撃事件が発生)
しかし、長らく恐怖政治を担ってきた国家保衛省の権威が地に落ちれば、体制の権力維持にも影響が出かねないと思うのだが、金正恩氏はその点、どのように考えているのだろうか。