富士スピードウェイ50周年イベントに伝説のF1マシンやグループCカーなどが総出演!
2017年3月12日(日)に富士スピードウェイ(静岡県)は開業50周年メモリアルイヤーの締めくくりとなる記念イベント『富士ワンダーランドフェス』を開催する。かねてから富士の歴史を彩ってきた名車が次々に集められていると噂されていたが、自動車レースが若者の心を鷲掴みにしていた1970年代から80年代の名車を中心に、まさしく50周年の歴史を飾るに相応しいマシンが総出演することになった。
富士スピードウェイ 歴史のはじまり
1966年に開業した「富士スピードウェイ」。ひと足先の1962年に開業した鈴鹿サーキットと並んで日本を代表する国際規格のサーキットだ。しかしながら、鈴鹿と富士ではその成り立ちもコースの特徴も大きな違いがある。
まず、レーシングコースを見ても、鈴鹿がバイクレースを主体としたヨーロッパ思考で作られたサーキットであるのに対し、富士スピードウェイはアメリカのデイトナ・スピードウェイのような楕円形のオーバルサーキットを基にした「アメリカ思考」で作られたサーキットだった。
元々はアメリカ人ビジネスマンが日本で「NASCAR(ナスカー)」を開催しようと計画したところからスタートしている。後に楕円形のアメリカンサーキットではなく、右に左にカーブするコーナーを設けたヨーロッパとアメリカのミックスチャーなサーキットに計画が変更されてオープンすることになるが、富士が「高速コース」のコースレイアウトになった原点はアクセル全開で駆け抜けるアメリカンレースの発想にある。現在はトヨタ資本のサーキットであるため、トヨタが作ったと勘違いされがちだが、実はルーツは全く異なるところにあるのだ。
1966年に1周約6kmの高速コースとしてオープンした富士スピードウェイで人気を博したのが「日本グランプリ」と呼ばれる国内最大の自動車レース。鈴鹿から舞台をオープンしたての富士に移し、日本を代表するメーカーと熱狂的な自動車ファンが作ったプライベートチームが日本一のタイトルを争ったのである。テレビでお茶の間にも放映された「日本グランプリ」はまだ自家用車を所有できる家庭が少なかった時代に憧れの存在として多くの人々に影響を与えることになる。
富士といえばハコ車!
人気を博した年に1度の「日本グランプリ」は自動車メーカーの撤退の影響を受け、1969年を最後に終了する。当時のモータースポーツは物珍しさから多大なる影響を日本人に与えたが、世間の理解が乏しく、メーカーも排ガス規制の影響を受けてモータースポーツ活動を行いにくい時代がやってくる。そこで台頭してきたのがプライベートチームだ。
富士スピードウェイは「日本グランプリ」で人気だったレーシングスポーツカーによる「富士グランチャンピオンシリーズ」を開催。GCと呼ばれる迫力満点のレーシングカーをプライベートチームが走らせ、レースファンを熱狂させた。
また、GCではメインレースだけでなく、前座で開催された市販車ベースのツーリングカーレースも大人気に。手が届く市販車をプライベートチームがレースに勝つために知恵を絞り、様々なモディファイをして戦う姿が当時の若者の心を鷲掴みにしていったという。屋根なし車両のGCメインレースよりも人気が高かったというのも今や語り草になっている。富士といえば「ハコ車」(屋根付き市販車ベースの車)のレースというイメージを抱く人が多いのもこの辺りにルーツがあるのだろう。
F1を初開催したのは富士
一方で富士スピードウェイの歴史で欠かせないのが世界最高峰のモータースポーツに位置付けられる「F1」の開催だ。1976年(昭和51年)に富士スピードウェイは国内初となる「F1世界選手権イン・ジャパン」を開催。フォーミュラカーのレースを推進してきた鈴鹿サーキットよりも早く、最高峰のF1を開催した。F1は開催国の国名と「グランプリ」(大賞という意味のフランス語)を使用するのが通例だが、「日本グランプリ」は休止していた国内最大の自動車レースの名称であったため、これが使えず「F1世界選手権イン・ジャパン」という名称で1年目が開催された。当時はまだ外国に行ける人も少なかった時代。何とも日本らしいドメスティックな感覚のエピソードだが、1回目のF1開催は日本のレース業界に多大なる影響を与えることになる。
1976年の「F1世界選手権イン・ジャパン」は今の伝説のレースだ。ジェームス・ハント(マクラーレン)とニキ・ラウダ(フェラーリ)によるチャンピオン争いの決着がついたのがまさにこのレース。最近になってロン・ハワード監督の映画『ラッシュ/プライドと友情』で描かれたあの名勝負である。今回開催される「富士ワンダーランドフェス」の最大の見所はこの1976年のF1を戦ったマシンが走行すること。ハントの「マクラーレンM23」、ラウダの「フェラーリ312T2」、優勝したマリオ・アンドレッティの「ロータス77」などが走行する。
さらにこの「F1世界選手権イン・ジャパン」には日本人ドライバーと日本のコンストラクター(車体製造社)がスポット参戦。当時はF1が興行団体として今のようにオーガナイズされておらず、F1規格のエンジンを積んでスポット参戦できた時代だった。今回のイベントではスポット参戦した長谷見昌弘(はせみ・まさひろ)が驚異的な走りを見せた「コジマKE007」が登場する。当時を再現する走りに注目だ。
日本と世界の架け橋になった富士
1970年代のF1開催は僅か2回でストップするが、80年代前半の富士スピードウェイではグループCカーと呼ばれるプロタイプカーのレース「WEC(世界耐久選手権)」が開催。トヨタ、日産、マツダといった自動車メーカーが市販車のイメージに近いプロトタイプカーで耐久の王者ポルシェに対抗。またツーリングカーの世界選手権イベント「インターTEC」も人気を博した。またバブル期には後のF1ワールドチャンピオン、ミハエル・シューマッハも参戦したF3の特別戦「インターF3リーグ」なども開催。F1開催権を失ってもなお、世界のスタンダードと日本のモータースポーツ業界をつなぐイベントを開催し、自動車レースの発展に貢献してきた。
2000年にF1に参戦したトヨタが資本参加し、2005年にリニューアルオープン。2007年と2008年には富士スピードウェイに念願の「F1日本グランプリ」が復活した。リーマンショックの影響でトヨタも後にF1から撤退することになり、富士でのF1開催はまたもや2年で途絶えることになったが、現在は世界選手権レースとしてはトヨタが参戦する「FIA WEC(世界耐久選手権)」を開催している。
歴史を振り返ると、一時はレース場廃止の危機も乗り越えて50年の歴史を重ねてきた富士スピードウェイ。一般的にはF1の開催に注目が行きがちだが、首都圏から近い国際サーキットとして人気が高く、「SUPER GT」では観客動員で全国最多を誇る。またレースや走行会への参加者も多く、参加型レースが非常に盛んだ。さらに、モータースポーツ以外でもママチャリレースなどを開催し、新しいユーザーを獲得している努力も忘れてはならない。
50周年を記念して『富士ワンダーランドフェス』に集結するマシンはF1、F2、グループC、GC、ツーリングカーなど本当にバラエティ豊富。歴史を彩ってきたマシンが走る姿を見て、懐かしい思いにふけるのも良いだろう。そして、次の50年に向けて歩み始めた富士スピードウェイに似合うマシンはどんな車か、次なる展開に思いを馳せてみたい。二度とない貴重なマシンの競演は必見だ!