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レースに負けた事実を感じない、美しいフォルム。トヨタ博物館のレーシングカー企画展

辻野ヒロシモータースポーツ実況アナウンサー/ジャーナリスト
トヨタ博物館の企画展【写真:DRAFTING】

愛知県長久手市にある自動車ミュージアム「トヨタ博物館」で、『トヨタモータースポーツ列伝:弛(たゆ)まぬ挑戦者たち』なるモータースポーツの企画展示が行われている。

「トヨタ博物館」はどちらかというと世界の名車(市販車)の展示が大半を占め、レーシングカーの常設展示はごく僅かという印象であるが、昨年11月から開催されている同企画展が素晴らしいのでご紹介したい。

もはや懐かしいトヨタのF1

会場には最近では目にする機会がめっきり減ったトヨタのF1カー「TF109」が展示されている。

トヨタ最後のF1カー、TF109(手前) 【写真:DRAFTING】
トヨタ最後のF1カー、TF109(手前) 【写真:DRAFTING】

トヨタは2002年から2009年まで8年間に渡りモータースポーツの最高峰「フォーミュラ・ワン世界選手権(=F1)」に参戦した。すでに撤退から10年以上の月日が経っており、懐かしさすら感じる。トヨタのF1をリアルタイムで見ていない若いファンもいるだろう。

8年間のF1活動での結果は「0勝」。歴史が途絶えた今となっては、一度も勝てずにF1から撤退したという事実がクローズアップされがちだ。ある意味、黒歴史だったと捉える人もいるだろう。

しかし、あの自動車メーカーがこぞって参戦したF1戦国時代の中で、トヨタはポールポジション3回、表彰台13回、コンストラクターズ選手権最高位4位(2005年)という成績を残した。これはかなり健闘したと言えるのではないだろうか?エンジンサプライヤーとしての参戦経験もなく、いきなり車体もエンジンも自社開発するフルコンストラクターとして参戦したことを考えれば。

モナコGPを走るトヨタF1カー「TF109」
モナコGPを走るトヨタF1カー「TF109」写真:Action Images/アフロ

展示されている「TF109」は最後の年となった2009年のF1カーである。合計5回の表彰台を獲得し、秋のF1日本グランプリ(鈴鹿)ではヤルノ・トゥルーリが2位表彰台に登った。また、シーズン終盤、アブダビGPで小林可夢偉が衝撃的な走りを見せたのもこのマシンだ。

新レギュレーションの施行で勢力図に変化が起きた2009年に、トヨタは最盛期の2005年に匹敵する活躍を見せた。その後の活躍が期待されていたが、リーマンショックの会社経営への影響は大きく、トヨタはF1から撤退し、その後、ル・マン24時間レースとWRCに軸足を移すことになる。

ホンダが先に去った鈴鹿の日本グランプリで表彰台に上がったトヨタのヤルノ・トゥルーリ
ホンダが先に去った鈴鹿の日本グランプリで表彰台に上がったトヨタのヤルノ・トゥルーリ写真:ロイター/アフロ

美しさをぜひ見て欲しい、トヨタGT-One

2020年、トヨタはル・マン24時間レースの総合3連覇を果たした。ライバルメーカー不在の中での優勝は賛否が分かれるところだが、トヨタは2018年に悲願の初優勝を得るまでの間、ル・マンで幾度となる苦渋を味わってきた歴史がある。

ただ、優勝はしてなかったものの、ル・マンにチャレンジするトヨタのレーシングカーにはカッコいいという印象を持つ人は多い。企画展で間近に見ることができる1998年のル・マンカー「トヨタ・GT-One」はその代表で、トヨタの歴代レーシングカーの中でもひときわ美しいデザインを持つマシンである。

トヨタGT-One(TS020)【写真:DRAFTING】
トヨタGT-One(TS020)【写真:DRAFTING】

「トヨタ・GT-One」はドイツ・ケルンのトヨタ・チーム・ヨーロッパで製作されたマシンで、車体のデザインではフロント部分にディフューザー状の複雑な空力処理がなされているのが特徴。その空気のトンネルを側でじっくり眺めてみると、当時の空力開発の競争の過熱ぶりを改めて感じることができる。すでに20年以上が経過しているが、現代のスーパーカー、ハイパーカーにも通じるデザインは実に秀逸で、古さをあまり感じさせないから不思議だ。

トヨタGT-Oneの空力の造形美に目を奪われる【写真:DRAFTING】
トヨタGT-Oneの空力の造形美に目を奪われる【写真:DRAFTING】

1998年、LMGT1クラスで3台参戦した「トヨタ・GT-One」はミッショントラブルを抱えながらも一時首位を走行するが1時間と少しを残してリタイアするという憂き目にあった。しかし、優勝はできずも当時はテレビ朝日がル・マン24時間レースを中継しており、多くのファンの心に今もその記憶は刻まれている。

展示車は総合9位完走となった27号車で、片山右京鈴木利男土屋圭市という「日本人トリオ」が乗っていた。現代ではグローバルなPRが求められているため、日本人トリオという日本のファンだけが喜ぶドライバーラインナップは実現しづらい。日本のファンに向けた特別な演出がまだ残っていた特別な時代。リアルタイムで体感できたファンは幸せだと思うし、選手を含めて日本のモータースポーツ界が得たものは大きかったと感じる。

メルセデス、ポルシェ、BMWなどと対決したトヨタ。
メルセデス、ポルシェ、BMWなどと対決したトヨタ。写真:ロイター/アフロ

なんと3台もあるトヨタ7

こういった自動車のヒストリックカーの展示では子供の頃に憧れた車、見慣れたデザインの車が印象に残りやすいものだ。古い車になればなるほど、クルマファンではない人は特に興味から外れていってしまいがちになる。やはりデザインの古くささ、洗練されていない感が飽きを呼んでしまうのかもしれない。

トヨタ7【写真:DRAFTING】
トヨタ7【写真:DRAFTING】

しかし、企画展『トヨタモータースポーツ列伝:弛(たゆ)まぬ挑戦者たち』に展示されている1969年〜70年のレーシングカー「トヨタ7(セブン)」に関してはそうはならないだろう。もう50年も前のレーシングカーなのに極端な古さを感じず、スッキリとしたデザインと白く爽やかなボディは車とは別の乗り物のイメージだ。

「トヨタ7」はトヨタのモータースポーツを語る上で欠かせない名車ではあるが、リアルタイムでその走りを見た人は還暦オーバーの年齢の人たちになるだろう。

日本のモータースポーツ黎明期に富士スピードウェイで開催された国内最高峰の祭典「日本グランプリ」に勝つために作られたマシンで、7(セブン)は当時の2座席レーシングカー規定=グループ7の車両であることが名前の由来になっている。トヨタ2000GTと同様にオートバイでレースに長けたヤマハ発動機が開発したマシンである。

トヨタ2000GT【写真:DRAFTING】
トヨタ2000GT【写真:DRAFTING】

1969年の「日本グランプリ」はプリンス自動車と合併した日産のマシン、ニッサンR382が強く、予選ではトヨタ7は4秒も遅れてしまう。120周(=約720km)という長距離で争われた決勝レースを一人でドライブした川合稔が3位に入ったものの、1-2フィニッシュを決めた日産に敗れた。

翌1970年、「日本グランプリ」は排ガス規制への対応に追われた社会情勢もあり「日本グランプリ」は中止に。トヨタ7は「日本グランプリ」で優勝できずじまいだった。

1969年 日本CAN-AMで優勝したトヨタ7
1969年 日本CAN-AMで優勝したトヨタ7

1968年〜70年の僅か3年間しか活動しなかった「トヨタ7」だが、今回の企画展では3台も展示されている。1968年の初代モデルは現存しないが、数多くの個体がレストアされたりしながら現存しているのは、そのルックスは迫力満点でファンが多いからだろう。

こうして見ていくと、企画展『トヨタモータースポーツ列伝:弛(たゆ)まぬ挑戦者たち』の展示車は決して華々しいリザルトを残してきたマシンばかりではない。しかし、負けたという事実を背負いながらも、なぜかトヨタのレーシングカーには共通した「美しさ」があると感じるのだ。

企画展『トヨタモータースポーツ列伝:弛(たゆ)まぬ挑戦者たち』 【写真:DRAFTING】
企画展『トヨタモータースポーツ列伝:弛(たゆ)まぬ挑戦者たち』 【写真:DRAFTING】

これだけ沢山の人気レーシングカーがひとつの部屋に集合して展示されることはなかなか無いので、貴重なチャンスと言える。また企画展が開催される文化館の図書館では、非常に貴重な1969年日本グランプリを特集した雑誌なども閲覧できる。

企画展の会期は4月11日(日)までと長い期間が設定されているので、少し状況が落ち着いてから足を運ぶのもいいだろう。キャッチーなクイズも出しながら初心者向けに案内するガイドツアーもオススメだ(先着順/3月19日まで)。

『トヨタモータースポーツ列伝:弛(たゆ)まぬ挑戦者たち』

場所:トヨタ博物館(愛知県長久手市)

会期:2021年4月11日(日)まで

公式サイト

モータースポーツ実況アナウンサー/ジャーナリスト

鈴鹿市出身。エキゾーストノートを聞いて育つ。鈴鹿サーキットを中心に実況、ピットリポートを担当するアナウンサー。「J SPORTS」「BS日テレ」などレース中継でも実況を務める。2018年は2輪と4輪両方の「ル・マン24時間レース」に携わった。また、取材を通じ、F1から底辺レース、2輪、カートに至るまで幅広く精通する。またライター、ジャーナリストとしてF1バルセロナテスト、イギリスGP、マレーシアGPなどF1、インディカー、F3マカオGPなど海外取材歴も多数。

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