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習近平はなぜ、そんなに国家安全法を急ぐのか “香港の鉄の女”にインタビューした(上)

木村正人在英国際ジャーナリスト
中国の習近平国家主席(右)と香港のラム行政長官(写真:ロイター/アフロ)

[ロンドン発]中国の全国人民代表大会(全人代=国会)で香港国家安全法の導入が決定された問題で、香港民主派の中核政党・民主党の前党首で、報道の自由と人権のために闘う“香港の鉄の女”劉慧卿(エミリー・ラウ)同党国際問題委員会議長に5月31日、電話インタビューしました。

「香港国家安全法導入決定にはみな驚いた」

木村:現在の香港の状況について教えて下さい。

ラウ氏:中国共産党の意見をそのまま通す議会である全人代が香港国家安全法の導入を可決しました。これは誰にとっても大きな驚きでした。香港政府も全人代の香港代表団の何人かも発表されるまで全く知らなかったと思います。彼らが知ったのは北京に到着した時です。

それは大きな驚きであり、香港政府に対しても香港代表団に礼を欠くものでした。私たち香港人は今、非常に憂慮し、心配しています。北京によって起草された香港のミニ憲法、香港基本法には私たち香港自身の手で国家安全法を制定すると定められているからです。

それは香港立法会が国家安全法を制定することを意味します。しかし香港が1997年に中国に返還されたあと、国家安全法は制定されておらず、北京は非常に動揺していました。突然、北京は忍耐を失ったと思います。それで香港の頭越しに国家安全法の導入を決めたのです。

国家安全法の詳細は6月、全人代常任委員会によって検討され、作成されるでしょう。対象とする犯罪には中央政府に対する反逆、分離、扇動、転覆、そして外国や外部勢力による干渉、テロ行為が含まれます。これらは非常に重罪です。

まだ詳細は分かりませんが、香港人はとても心配しています。自由と法の支配、個人の安全を失うことを恐れ、香港を離れたいと考えている人もいます。若者たちは不幸です。彼らは闘い続け、不満を表明し続けるでしょう。

しかし、私たちはまだ新型コロナウイルス・パンデミックと闘っています。コロナ対策として社会的距離、9人以上の集会の禁止措置が続いています。そのため行進とデモを組織して国家安全法への不満を示すことはかなり困難です。

香港の人々は禁止措置が解除され、不満を表明するため平和的かつ大規模な抗議活動を行うことを望んでいます。でも人々は憂慮し、心配していると思います。事態が深刻化すれば、できる人たちは香港から逃げ出す方法を見つけたいと望んでいるかもしれません。

「習近平の登場で状況は一変した」

木村:香港が中国に返還されてから大きな抗議活動が何度か行われています。これまでと今回はどのように違うのでしょう。

ラウ氏:過去にも多くの大規模デモがありました。もちろんイギリスの植民地時代にも大きな抗議活動はありました。それは1989年の天安門事件が引き金でした。返還後の2003年には初代行政長官の董建華氏が香港基本法23条に基づいて国家安全法を制定しようとしました。

この時、多くの人々が恐れ、好ましくないと感じ、 50万人超のデモを行いました。結局、董氏は国家安全法の制定を断念しなければなりませんでした。デモは大規模でしたが、多くは平和的でした。国際社会はこれまで香港の平和で秩序だった大規模デモを見てきました。

しかし中国の習近平国家主席が2012年に権力を握ってから、状況は変わりました。それ以前の江沢民や胡錦濤は民主主義者ではありませんでしたが、少なくとも強硬派でも過酷でもありませんでした。

しかし習主席の中国政府は2014年に「一国二制度」に関する白書を発表し、「一国」を重視する立場と香港を完全に支配することを望んでいることを強調しました。

一国二制度と高度な自治のために残された余地はほとんどありません。普通選挙制度実施を求める「雨傘運動」が起きましたが、それでも暴力的な衝突は今ほどひどいというようなことはありませんでした。

しかし昨年、林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官が犯罪容疑者の中国本土引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案を持ち出しました。

中国本土には法の支配は存在しないことを知っている多くの人々は恐れおののきました。中国本土に送られると、公正な裁判を受けることができません。そのため人々は恐怖心から暴力的になりました。警官隊と衝突して多くの負傷者と逮捕者を出しました。

警察の暴力は前例のないものでした。状況はとても悪くなった。短期間のうちにどうして警察は変貌し、残忍な力になり、容赦なく人々に暴行を加えるようになれたのか、香港人には理解できませんでした。

警察官は1人として逮捕も起訴もされていないのに市民は8000人以上が逮捕されたのです。

過去のデモとは大きく異なります。一番大きな違いは習主席の存在です。習主席が中国本土を統治している手法を見れば、非常に厳しいことが分かります。反体制派、人権派弁護士、ジャーナリスト、新疆ウイグル自治区の人々、宗教団体は本当に多くの迫害を受けています。

習近平はなぜ急ぐのか

木村:習主席はなぜそんなに急いでいるのでしょう。

ラウ氏:彼は香港を完全にコントロールしたいだけだと思います。そしてもちろん、暴力化した昨年の衝突は彼にもうたくさんだと感じさせたのでしょう。彼らが突然、香港国家安全法導入という行動に出た理由の1つはパンデミックと関係しています。

国際社会はパンデミックとの闘いで頭がいっぱいで、香港について考える時間がありません。国際社会は自分の国の健康と医療、経済を回復させる方法を考えなければなりません。とても忙しいので、香港のことを考える時間がないのです。

中国は香港国家安全法を押し進める良い機会だととらえたのです。中国共産党は裕福で強力な国の国際世論を気にしています。もし、これらの国々が異論を唱えないなら、北京にとって好都合です。だから彼らは今が絶好のタイミングと考えたのでしょう。

「香港警察は、習近平以前は暴力的ではなかった」

木村:習主席が権力を握ってから、香港の警察は暴力化したのでしょうか。

ラウ氏:その通りです。私が言ったように、香港警察は以前は、暴力的ではありませんでした。今ほどひどくはありませんでした。警察に対する香港人の印象も問題ないというものでした。2014年の雨傘運動でも警察はここまでひどくはありませんでした。

しかし昨年から状況は悪化し、警察は極度に暴力化し、人々をただ殴打しています。ご存知のように、とてもひどく、ね。中国本土の治安部隊が香港に入って警察になりすましているという噂や憶測もあります。しかし証拠はなく、それが真実かどうかは分かりません。

香港人の多くは、警察は香港政府ではなく中国本土の当局によって事実上、管理されていると信じています。

木村:パンデミック対策としての集会禁止措置が天安門事件の追悼集会が予定される6月4日まで延長されました。

ラウ氏:ひどいことだと思います。毎年6月4日、香港のヴィクトリア公園でキャンドルライトの集会が開催されます。10万人以上の人々が集まります。とても平和なイベントです。でも今年はパンデミック対策のため、集会の人数が厳しく制限されています。

香港政府はヴィクトリア公園でろうそくの火を灯す追悼集会はできないと発表しています。もしそうなったなら1989年以来初めて追悼集会が開かれないことになります。それはとても悲しいことです。しかし政府はパンデミックを口実に追悼集会の開催を許可していないようです。

「イギリス政府は香港のためにもっとできることがあるはず」

木村:イギリス政府の英国民(海外)旅券による滞在期間を6カ月から1年に延長する提案をどう思いますか。対象は1997年以前に生まれた香港人で、その後に生まれた若い世代には影響はありません。

ラウ氏:1997年以前から私はイギリスの香港人に対する責任について話してきました。英国民(海外)旅券保有者はイギリス国民です。しかしイギリスに住む権利はありません。今、香港は極めて困難な状況にあり、英国民(海外)旅券保有者は深く憂慮しています。

イギリス政府は彼らを助けるためにもっとできることがあるはずです。1997年以降に生まれた人は英国民(海外)旅券を取得できません。しかし、イギリス政府は英国民(海外)旅券保有者の子供や親族に関しても支援するよう協議が行われるべきです。

現在の提案では英国民(海外)旅券保有者がイギリスで勉強するか、働くなら1年間滞在できます。それが過ぎたら延長を申請して5年間滞在したあとにイギリスでの居住権を申請できます。しかし要件は厳しく、イギリス政府はもっと緩和すべきだと思います。

香港は1997年に中国に返還されるまで約1世紀半にわたってイギリスの植民地でした。より重要なことはイギリスの人々が英政府や英議会に香港人をもっと支援するよう求めることです。

中英共同宣言の精神は素晴らしい。しかし香港には民主的な選挙も人権保障も法の支配もありません。今、香港の全ての人々が懸念を深めています。イギリスはもっと行動を起こすべきです。

すでに海外に政治亡命

木村:すでに海外で政治亡命を申請した例を知っていますか。

ラウ氏:ええ、いくつかの報道を見ました。台湾に逃れた人もいます。もちろん香港政府は詳細を検証しません。台湾の蔡英文総統は香港人を支援するため台湾移住を認める方針を表明しました。私はそれを支持します。

とても良い考えだと思います。カナダに逃れて政治亡命を申請しているというニュースも見ました。まだ大きな数ではありませんが、そうした話を耳にしています。ドイツでも昨年、香港から逃れた2人の政治亡命が認められたという報道を聞きました。

どれだけの人がイギリスやその他の国に行ったのかは分かりません。確かにそうした例はありますが、そうした政治亡命はあまり報道されず、表に出てきません。

木村:ドナルド・トランプ米大統領は5月29日、香港への通関・旅行などの優遇措置を撤廃する手続きを始めるよう指示するとともに、香港国家安全法導入に関係した中国や香港の高官に対して制裁を科す方針を表明しました。

ラウ氏:香港人は中国共産党に対して大変怒っており、ラム行政長官に腹を立て、国際社会が彼らを罰するために行動を起こすことを望んでいると思います。中国共産党が香港に対して行っていることは非常に悪いと香港人は考えているからです。

アメリカやイギリスは人権侵害を行った人や家族の資産を凍結したり入国を禁止したりできるマグニツキー法を持っています。こうした狙いを絞った法律は効果的です。香港の人々は国際社会が支援のため中国共産党の行動を支持しないというシグナルを発することを望んでいます。

(筆者注)マグニツキー法とは、税金横領を告発したセルゲイ・マグニツキー弁護士がロシア当局に拘束され死亡した事件に関係したロシア人に制裁として資産を凍結したり入国を制限したりする法律。

アメリカや欧州連合(EU)、日本、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなどの国々が声を上げることを望んでいます。私たちはこうした国々が香港に支援の手を差し伸べることを期待しています。

劉慧卿(エミリー・ラウ)氏

本人提供
本人提供

1952年香港生まれ。アメリカの南カリフォルニア大学で放送ジャーナリズムを学んだ後、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで国際関係の修士号を取得。香港の英語日刊紙サウスチャイナ・モーニング・ポスト、テレビTVB、BBCテレビなどでジャーナリストとしての経歴を重ねる。初の直接選挙となった1991年の香港立法会選挙で当選。2012年から4年間、民主党党首。

(つづく)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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