11月29日、新たな人生をスタートさせるジョッキーの、週末のGⅠに懸ける思い
水泳に興じた幼少時
「肉が大好きなので……」
“いいにくの日”である本日11月29日、新たな人生をスタートさせた男がいる。
原優介。2000年6月生まれだから現在23歳のジョッキーだ。
東京都調布市の一般家庭に生まれ、幼少時に興じた水泳は、中学時代、都大会に出るほどの腕前。同時に、動物好きな一面を持っていた。
「殺処分になる犬や猫を少しでも救いたいと思うような子供でした」
しかし、そのためにはお金が必要だと気付かされた。
「そういったお金を水泳で捻出できるようになるには、オリンピックに選ばれるようなひと握りの選手にならないとダメでした。ただ、身体も小さくて、そこまでのレベルには達しませんでした」
そこで考えたのが“騎手”だった。ゲームで競馬を知り、東京競馬場にも観戦しに行った。先述した通り動物好きだったため、馬と暮らせるのも良いと思った。そこで騎手になりたいと両親に相談した。
「ただ、水泳の強い高校に推薦で取ってもらっていたので、母親から反対を受けました」
そこで高校に入学。しかし、騎手になりたい気持ちは強くなる一方で、改めてその旨を伝えると、母親が折れた。
「高1で競馬学校を受験しました。馬に乗った事がなかったから一発では受からないと思っていたのですが、予想に反して合格しました」
途方に暮れる中、助けてくれた調教師
20年3月、美浦・武井亮厩舎からデビューした。デビュー日は中山競馬場で4鞍。2番人気の馬を含む全てが師匠の武井が用意してくれた馬だった。
「武井先生はオーロラテソーロ等、重賞級の馬にも乗せてくださいました。ただ、期待に応える結果を残す事が出来ず、半年と経たずに厩舎を後にする事になりました。今でも申し訳ない気持ちで一杯です」
途方に暮れた原は、騎乗馬を探して各調教師に自ら電話をして売り込んだ。そんな電話に反応した調教師が1人いた。
「『こんな電話をしてくるなんて、どうしたんだ?』と問われ、事情を説明したら『1度、厩舎へ来なさい』と言われました」
小桧山悟だった。
言われるまま厩舎へ出向くと、助け船を出してくれた。
「それまではほぼ面識すら無かったのに、厩舎の所属として、受け入れてくださいました」
こうして小桧山厩舎所属になると、最初は驚きの連続だった。
「厩舎でも競馬でも、ほとんど指示される事がありませんでした」
だから、自分から問うなり、考えるなりして、行動しなければならなかった。
「そうする事でコミュニケーションも取れたし、まだまだですけど、自分を少し成長させてくれました」
そんな小桧山から、今年、年頭の競馬で初めて指示が出た。
「1月7日の中山競馬でトーセンメラニーに乗った時の事でした。小桧山先生から『返し馬の際、この馬のご機嫌だけとってあげて』と、言われました。初めて指示されたので、ハミに重心がかからないように等、充分に注意をして返し馬をしました」
すると、単勝46・0倍の7番人気馬とは思えない、目の覚めるような末脚を披露。見事に勝利した。
「さすが小桧山先生、と感服しました」
週末のGⅠ騎乗を前に新たな一歩を踏み出す
デビュー年こそ3勝に終わったが、2、3年目は16、14勝。そして、4年目となる今年は、先週の11月26日を終えた時点で既に自己最多を大幅に更新する25勝。今週末のチャンピオンズC(GⅠ)ではウィルソンテソーロ(美浦・小手川準厩舎)の鞍上を任され、自身2度目となるGⅠ騎乗が決まった。
「3週間ほど前に、小手川先生から直接、電話で依頼していただきました。唐突過ぎて最初は現実味がなかったけど、後から我にかえって嬉しくなりました。また、同時にいつもチャンスをくださる了徳寺オーナー(名義は了徳寺健二ホールディングス)にも感謝しました」
ちなみに小手川は開業前、小桧山厩舎に所属していた。つまり、原の兄弟子にあたる存在だった。
「小手川先生と青木(孝文)先生は共に兄弟子で、お二方ともよく乗せてくださいます。最初は小桧山先生が頭を下げてくださったのだと思います」
そんな原が、冒頭で記したように今日11月29日、新たなスタートを切る。3年間の交際を経た女性と、入籍をしたのだ。
「“いいふうふの日(11月22日)”にしようかと思ったのですが、2人共に肉好きだし『友引』でもあったので“いいにくの日”に籍を入れる事にしました。結婚後、最初に迎える週末でGⅠに乗れるなんて夢のようです。あとは、お世話になった沢山の方々に恩返しが出来るように、全力で騎乗するだけです!!」
「殺処分になる犬猫を少しでも救いたい」と、しかるべき機関に寄付をし続ける新郎ジョッキーは、新婦も駆けつけるという中京競馬場での手綱捌きについて、そう誓った。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)