世界で進むボールパークのイノベーション:アートの国、メキシコにできた新球場
メキシコと言えば、世界中から旅人を受け入れている観光立国である。観光資源としてのマヤ・アステカの遺跡やスペイン統治時代のコロニアル建築はユネスコから世界遺産という「お墨付き」を与えられているが、これら歴史的建造物と並んで比較的歴史の浅い20世紀の建物が世界遺産に指定されている。首都メキシコシティにある「ルイス・バラガン邸と仕事場」がそれだ。ルイス・バラガンは近代メキシコを代表する建築家で数多くのモダニズム建築を残している。そんな彼を生み出したメキシコはアート建築の国で、メキシコシティの町を歩けば、至るところで芸術性の高い建造物やモニュメントを目にすることができる。
そんなメキシコシティに2019年、新球場が誕生した。訪ねてみたいとかねて思っていたが、コロナ禍もあってなかなか足を運べていなかった。日本人の海外渡航・帰国要件が幾分か緩和されたこともあり、今回久々に海を渡ることにした。
メキシコシティのスタジアム史
メキシコのプロ野球の歴史は日本のNPBよりも古く、1925年にメキシカンリーグが創設されている。その長い歴史の中で最多の16回の優勝を誇っている名門球団、メキシコシティ・ディアブロスロッホス(以下ディアブロス)が誕生したのは、リーグ誕生後15年を経た1940年のことである。ディアブロスを迎えるに当たって、リーグが首都での試合をこなしていた(それ以前はフランチャイズ制は確立されていなかった)1928年建造のパルケ・デルタ(デルタ・パーク)が改築され、以後、メジャーリーグと肩を並べようとしたメキシコ野球の黄金時代がここで現出された。
パルケ・デルタは、その後、政府に買い取られ、一旦取り壊された後、1955年に社会保険庁の名を冠したパルケ・セグロソシアルとして改めて建造され、この年からリーグに参入したティグレス(タイガース)もここを本拠とするようになった。以後、シーズン中は毎日のように試合が開催されるセグロソシアルは、メキシコ野球の中心的存在として、その歴史を見つめることになる。
しかし、市の中心・ソカロの南5キロのこの球場周辺にも再開発の波はおしよせるようになり、2000年シーズン限りで首都で覇権を争っていた両球団はホームグラウンドを失うことになった。現在、球場跡地には旧称の「パルケ・デルタ」を名乗るショッピングモールが建てられているが、そこには球場であったことを示すモニュメントの類は一切なく、外野スタンドに当たる部分の建物の緩やかなカーブにそのよすがを留めるのみである。
「家」を失った両球団は、セグロソシアルの東7キロの場所にあるマグダレナ・ミシュカスポーツ公園を市当局からあてがわれることになった。そこには1993年に建設された屋外イベント会場、フォロソルがあったのだ。「コ」の字型の巨大スタンドをもつこの施設を改修して本拠とすることになったものの、そもそもが野球場ではなかったこの施設は、決して野球観戦に向いているわけではなく、スポーツ公園内を周回するサーキットの中にあるとあって最寄りの地下鉄駅からのアクセスも決して良くはなかった。選手サイドからもコンクリートの上に人工芝を敷いただけのフィールドが不評で、何よりもシーズン中もコンサートなどの他イベント優先のスケジューリングを余儀なくされる状況を前にティグレスは2シーズンでこの球場を離れ、120キロ南東の町、プエブラに移転してしまった(その後さらにカンクンに再移転)。
この状況を前にして、世界的富豪でもあるディアブロスのオーナー、アルフレッド・アープ・エルは、自前の新球場建設を決意し、2010年に建設計画を発表するが、その完成を待つことなく、ディアブロスはさらなる本拠地移転を強いられることになる。2014年、スポーツ公園内を走るエルマノス・ロドリゲス・サーキットで1992年以来途絶していたF1メキシコグランプリの復活開催が決定されると、フォロソルはそのコースに組み入れられることとなり、ディアブロスは、追い出されるかたちとなった。ディアブロスはこの球場でのラストシーズンを16回目の優勝で飾り、翌シーズンからは、地下鉄で2駅西にある1957年にアマチュア用として建てられたエスタディオ・フライナノを増築の上、仮の住まいとすることになった。そしてこの年、新球場の建設が始まった。
新球場は当初、2018年シーズンに完成の予定であったが、震災の影響などもあり、1年遅れの2019年3月に開場。杮落としは、オーナーのアープ・エルが株の3割を所有するメジャーリーグチーム、サンディエゴ・パドレスのマイナー・プロスペクト(有望株)チームを迎えて行われた。
アートの国、メキシコの粋を集めたボールパーク
新球場には、ディアブロスのオーナー(現在は退任し子息にその地位を譲っている)、アープ・エルの名が冠せられた。彼からの依頼で球場を設計した2人のメキシコ人建築家は、メキシコのアートによく見られる、メソアメリカ文明という土台に現代メキシコを上乗せするというコンセプトの下に、アメリカのボールパークにも見られない大胆な構図でメキシコならではのボールパークを建設した。
それは球場入り口からスタンドへの通路に象徴されている。
新球場は2代前の本拠・フォロソルと同じくサーキットの内側に立地している。そのためスポーツ公園を囲む道路からはその威容を望むことはできず、観客は公園の入り口からサーキットをまたぐ橋を渡って球場に向かうことになる。その橋を渡りきったところが球場正面入り口で、観客はそこから伸びる幅の広い緩やかなスロープを進んでスタンドに向かうようになっている。この長いスロープはメソアメリカの寺院をモチーフにしたものだという。
このスロープと内野席全体は屋根で覆われているのだが、この屋根は上空から見ると、チーム名の「ディアブロ(悪魔)」が手にしているフォークの形をしている。メキシコの夏の野球シーズンは雨季と重なるため、多くの球場には観客席に屋根が設けられているが、この新球場の場合、内野スタンドはネット裏だけではなく、フィールド近くから両翼のポール際まで完全にこの屋根に覆われている。
野球がマイナースポーツ(現地スポーツ店の店員の話では、サッカー、プロレス、ボクシング、バスケットボールの方が人気)の域を出ないメキシコの球場のほとんどには外野席は設けられていないか、あっても外野の一部に桟敷程度のものがあるに過ぎないが、この新球場には日米の球場にひけを取らない規模のスタンドが設けられている。その外野席へも回遊性のある入り口スロープから続く内野スタンドを囲む通路を進むことになるのだが、その広い通路上には、球団の歴史を語る往年の名選手の垂れ幕が上段スタンドからなびき、また、歴代チームキャップや優勝年を示したボールのオブジェが飾られ、来場者の目を楽しませてくれる。
球場を囲むフェンスは、現代メキシコが誇る芸術家、フランシスコ・トレドの手によるもので、野球をモチーフとした装飾が施されている。
また、場内には、充実した品揃えのグッズショップだけでなく、ディアブロスの歴史を語るミュージアムまでもが設置され、試合前にも十分に楽しめるものになっている。
メキシコをはじめラテンアメリカには、ファンが試合開始前に球場に来る習慣はあまりなく、試合開始1時間位してようやく客入りが落ち着くのだが、この新球場の存在は、そのような習慣を変え、ボールパークで1日楽しむという観戦習慣を呼び起こす可能性を秘めている。
最新式の人工芝を敷いたフィールドはメジャーリーグの試合を実施することを念頭に造られたという。メキシコにおいてもいまだコロナ禍は止んではいないが、完全収束の暁には、ここでメジャーリーグの公式戦も開催されることだろう。
ここを本拠とするディアブロスは、メキシカンリーグ北地区のレギュラーシーズンを首位で通過。新球場移転後初の優勝目指して現在プレーオフを戦っている。
(写真は筆者撮影)