習近平と李克強の権力闘争はあるのか?――論点はマクロ経済戦略
習近平と李克強の間の権力闘争が激しいという報道が目立つ。江沢民に買収された香港メディアに惑わされている。中国の実態を見極めない限り、日本の正確な対中政策は出て来ない。そのまちがいと論点を考察する。
◆中国政治構造の基本を知らない誤分析
中国政治の基本は「党と政府」あるいは「中共中央と国務院」という「ペア」で動いていることだ。党(中共中央)で会議を開催して議論する議題は、同じ時期に政府(国務院)でも同じように会議を開くか、あるいは「座談会」を開催するかなどして議論する。いうまでもなく、「同じ議題に関して」だ。
これが第一の基本で、次に「イロハ」として頭に入れておかなければならないのは、中国は「一党支配体制の国家」であり、全ては「党」が先に決定して、政府(国務院)は、その決定に従う「執行機関」に過ぎないということである。
この「党の決定」には、いくつかのレベルがあり、年に一回開かれる第○次中共中央委員会全体会議(三中全会とか五中全会とか呼ばれている会議)と中共中央政治局会議および中共中央政治局常務委員会会議などがある。
李克強国務院総理が、どんなに政府側のトップであっても、必ずその前に「党の決定」がなければならず、その決定を執行する、いわば事務方の業務が、中国で言うところの「政府(国務院)」なのである。
それでも「政府」を前面に出しているのは、人民に対しても、また国際社会に対しても、「一党独裁」ではなく、「ちゃんと全人代(全国人民代表大会)を通して合法的に国家を運営していますよ」という見せかけの虚構を構築するためだ。
この基本を忘れてはならない。
この基本を知らない間違った分析には、たとえば以下のようなものがある。
1.2016年3月の政府活動報告
「習近平の目を通しておらず、李克強の一存で書き、習近平に対抗しようとしている」といった趣旨の分析があるが、政府活動報告と第13次五カ年計画の内容は、2015年11月に開催された「五中全会」で討議し決定している。全人代における李克強の報告は、あくまでも五中全会の決定を文書化した「事務的作業」に過ぎない。
2.地方視察に関して
「2016年4月24日に李克強が四川省を視察しているのに、同日に習近平が安徽省を視察したのは異例で、北京に党内のナンバー1とナンバー2がいないのは、対抗心以外のなにものでもない。きっと相手の日程をこっそり調べて、わざとぶつけているにちがいない」といった趣旨の分析がある。
これもまったく見当違いの分析で、2016年4月には、「地方視察を徹底する」という、中共中央政治局会議の決定と日程調整に従ったまでだ。たとえば関連する中共中央政治局委員の日程を見てみよう。
4月11日~14日:孫春蘭(中央統一戦線部部長)、陝西省視察
4月17日~20日:張徳江、湖北省視察
4月22日~25日:劉雲山、陝西省視察
4月24日~27日:習近平、安徽省視察
4月24日~27日:李克強、四川省視察
4月24日~25日:劉延東(国務院副総理)
たしかに習近平と李克強の日程だけを取り出せば重なっている。そして党内序列ナンバー1とナンバー2が同時に北京を離れることは、一般にはそう多くはない。しかし、調整がつかない時には党内序列ナンバー3か4が北京にいて、なんとか緊急事態に対処するという大原則が、党の政治の中にある。
このとき北京には党内序列ナンバー3の張徳江あるいはナンバー4の兪正声がいたはずで、これを以て「習近平・李克強の権力闘争」とするのは基礎知識の欠如によるものと判断される。
3.同じ議題の会議の同時開催に関して
「5月6日に劉雲山が“習近平の人材体制開発”に関する学習会を開き、同じ日の5月6日に李克強が類似のテーマの“人材資源の座談会”を開催したのは、習近平の李克強に対する嫌がらせである」という分析がまかり通っている。
これは、まさに「党と政府」「中共中央と国務院」という「ペア」になっている政治の基本を知らない顕著な例と言っていいだろう。
同様の例は「3月22日に習近平が開催した“中央全面深化改革領導小組第22回会議”と6月27日に開催した“中央全面深化改革領導小組第25回会議”に李克強が出席していないのは、李克強を排除するための習近平の暗闘以外のなにものでもない」という分析にもみられる。
しかし第23回会議(4月18日)および第24回会議(5月20日)には、李克強は出席しており、22回会議の時は李克強は海南島で開催されていたボーア・フォーラム(3月22日~25日)に出席しており、第25回の時は、天津で開催された夏季ダボス会議(6月26日)に出席していた。
また、2人の間に権力闘争があるとする論者は、「7月8日に習近平が“経済形勢専門家座談会”を開催したというのに、それに対抗して李克強が7月11日に“経済形勢に関する専門家と企業家による座談会”という同じテーマで座談会を開き、互いに相手が主宰した座談会に出席していないのは、二人が対抗している動かぬ証拠だ!」と主張する。
これも中国政治構造のイロハを知らない人たちの邪推に過ぎない。
◆論点はマクロ経済――国家経済政策に関する重点の置き方
それなら習近平と李克強の間に、まったく論争がないのかと言ったら、そうではない。
大きな意見の相違がある。
それは中国経済のマクロ政策に関する両者の観点の相違だ。
●李克強の考え:市場化、城鎮化、イノベーション
李克強は北京大学で経済学を学んだだけでなく、国務院副総理時代(2008年3月~2013年3月)から政府系列の国家経済に関して担当していた。だから経済に強いし、また国内に山積する問題に関して強い関心を持ち、それを先に解決しないと中国の国力は落ち、一党支配体制が維持できないと考えている。
だから彼の主張は「国営企業の構造改革と市場化・民営化」および「2.67億人に及ぶ農民工の定住のための城鎮化(都市化)政策」を重視し、そのために「イノベーションを加速させる」が最重要課題だと考えている。
生産能力過剰は供給側の問題で、国有企業の改革が肝要と主張する。
●習近平の考え:一帯一路(党が全てを決めるという毛沢東的発想。党司令型)
習近平は今さら説明するまでもなく、毛沢東とともに戦った革命第一世代の「紅い血」を受け継いだ「紅二代」だ。親の習仲勲のお蔭で、文化大革命後に軍関係の仕事に就いたが、大物の下にいると、いつ政権変動が起きて権力者が引きずり降ろされるか分からないので地方から叩き上げよという親の忠告で地方の党の仕事を始めた。その「地方」のレベルをどんどん上げていき、江沢民の推薦により、2007年の党大会で国家副主席の座に就き、こんにちに至っている。
そこで見られるのは、親(紅一代)の七光りにより「党」の指導者側に立って歩んできた道のりである。経済に関しては、素人だ。
だからあくまでも「党が全てを決める」という「党司令型」の思考回路しか持てず、経済に関しても「中国の特色ある社会主義政治経済学」という、「党司令型」の経済を提唱している(たとえば、7月8日の経済座談会)。
言うならば、毛沢東時代の「哲学政治経済学」を踏襲しており、実は改革開放が目指すべき「市場経済的思考」からは、ほど遠い。
結果、生産能力過剰は「党主導の一帯一路構想で解決する」というのを、最優先としている。
ここには、中国経済の未来、もっと言うならば中国の未来が掛かっている決定的な分岐点があるのだが、習近平にはそれが見えていない。
そこで経済学者の「劉鶴」を頼りに、彼にブレインの役割をしてもらっている。独断を続ければ、文化大革命を招いた毛沢東と劉少奇の関係になりかねないので、劉鶴に助言を求めたのは、非常に良いことだ。
◆「権威人士」の発言――本当に李克強を攻撃しているだろうか?
5月9日に、党の機関紙である「人民日報」に「権威人士」と名乗る人物の評論が出た。それは表面的には「劉鶴が、李克強のマクロ経済戦略を(習近平に成り代わって)攻撃している」ように見えるが、詳細に読んでいくと、必ずしもそうではない。「供給側の構造改革を行なわない限り、中国の経済は破綻する」という含意がキッチリ含まれており、しかも「我々の目的は政府の干渉を減らすことで市場のメカニズムに委ねなければならない」とまで明言している。
なんと、これは李克強の意見に一致しているではないか。
◆香港メディアを操る江沢民
これら一連の現象を、すべて「権力闘争」に矮小化したがる影の軍団がいる。
それを操っているのが、江沢民だ。
やがて「大虎狩り」のターゲットが自分に向けられることを知っている江沢民は、習近平の力を削ごうと、一部の香港メディアを買収して、盛んに「権力闘争説」を流しまくっている。
日本のメディアや一部の中国研究者は、すっかりその情報に乗っかってしまい、論理的に中国政治構造との間に矛盾があることも考えず、凄まじい勢いで「習近平と李克強の権力闘争説」を拡散させているが、これが日本の国益にかなうか否かは、論ずるまでもないだろう。
結果、どうなるのかに関しては、長くなりすぎたので、今後継続して論じていきたいと思う。