長与千種参戦の仰天プランも⁉ “K-1女子”の歴史をひも解いてみた
K-1女子フライ級戦線が一気にざわつき出した?
K-1の登竜門として知られ、明日のK-1ファイターたちがしのぎを削る格闘技イベント『Krush(クラッシュ)』が4月23日(金)、東京・後楽園ホールで開催された。実に124回目を数える今大会はダブルメインイベントとして男女のタイトルマッチが並び、女子では4人トーナメントを勝ち上がった真優(まひろ/月心会チーム侍=20)と壽美(ことみ/NEXT LEVEL渋谷=24)が、第5代Krush女子フライ級(-52Kg)王座のベルトをかけ対戦した。
2019年12月の初対決では壽美が判定勝利を収めており、真優にとってはリベンジの好機到来。だが、一方の壽美も「相手は成長しているはず。前回とはまったく別人だと思って戦う」と気を緩めることなくこの一戦に臨んだ。試合序盤、気迫を前面に出す真優が得意の蹴りなどでプレスをかけるも、壽美は焦らず基本のディフェンスに徹し、逆に要所で左ストレートなど重い一撃をヒット。終始、落ち着いた試合運びで真優の気迫を「気負い」に変え、判定3-0で念願のベルトを腰に巻いた。
壽美が勝利したことで、K-1女子フライ級戦線は一気に面白くなってきた。というのも、壽美は昨年11月のK-1福岡大会で、現K-1王者のKANA(K-1ジム三軒茶屋シルバーウルフ=28)にノンタイトルながら勝利しているのだ。日本人無敗でK-1の顔のひとりでもあるKANAを下したことは、大金星以上の“事件”として語られたほどだった。現在、足の怪我で欠場中のKANAだが「夏以降の復帰」を公言している。K-1女子、いやK-1史上でも屈指の好カードが実現する日も近いだろう。
93年のK-1開幕前、すでに女子が“K-1”のリングに?
ところで、K-1の歴史はよく知られているけれど、「K-1女子」のそれは意外に語られていない。そこで、K-1女子のルーツを調べ、その一部をひも解いてみることにした。現在のK-1は、アンディ・フグやピーター・アーツらが活躍し爆発的ブームを呼んだ頃とは運営組織が異なる。だが、その時代を知る人も多いと思うので、ここでは“旧K-1”も含めて遡ることにした。
旧K-1のスタートは1993年4月30日、代々木第二体育館で開催された『K-1 GRAND PRIX ‘93』。当時無名だったブランコ・シカティックが優勝した衝撃、そしてヘビー級戦士たちが見せた圧倒的パワーと高い技術は、K-1ブーム到来を予感させるに十分だった。
実は、女子が登場したのはその前年、『格闘技オリンピック』というイベントにおいてだった。正道会館主催の同大会はK-1の前身として、また当時空手界で名を馳せていた アンディ・フグがプロ転向を果たしたイベントとして知られ、92年に計3大会が開催されている。女子の登場は同年10月、大阪府立体育会館で開催された第3回大会『格闘技オリンピックIII〜'92カラテワールドカップ』だ。
ピーター・アーツvs佐竹雅昭のワンマッチが大きな話題を呼んだこの大会で、スペシャルワンマッチとして組まれたサシキア・フォン・リュースイックvs神風杏子の「女子キックボクシング エキシビションマッチ」が、おそらくK-1的イベントの女子初登場となる。神風杏子は当時まだデビュー3年目の22歳だったが、すでに第3代シュートボクシングレディース王者を獲得、米国・ラスベガス遠征では強豪中の強豪、キャシー・ロングにも善戦するなど、その実力が高く評価されていた。
アカデミー賞作品にも出演した“地上最強の女子格闘家”も参戦
神風は翌93年9月、日本武道館で開催された『K-1 ILLUSION』でK-1本大会への出場も果たしているが、対戦相手は“あの”ルシア・ライカ(オランダ)だった。ルシア・ライカといえば「地上最強の女子格闘家」として知られ、インターネット前夜だけに最強幻想は世界各国で膨らむ一方という状態だった。
当時25歳のライカは、神風を相手に圧巻の2RKO勝利。同年12月の両国国技館大会では、のちにテコンドー五輪銅メダリストとなる岡本依子にも勝利(2R TK0)するなど、三度にわたりK-1のリングに上がった。ちなみに、キック37戦無敗のままボクシングに転向したライカは、世界4階級制覇を達成。その間、ハリウッドで女優デビューも果たし、2004年度のアカデミー作品賞『ミリオンダラー・ベイビー』ではボクシング世界王者を演じている。
K-1に話を戻すと、K-1ブームと反比例するかのように女子試合はフェードアウトの一途をたどるが、「女子格闘技を盛り上げたい」という関係者のリクエストを受け、長与千種vs熊谷直子の対戦カードも一時、実現に向けて話が進んでいたというから驚きだ。
94年に自身の団体『GAEA JAPAN』設立を発表し、再び女子プロレス界をリードする存在となった長与と、同年に女子だけのキックボクシング興行でメインイベンターを務めた熊谷の一戦は、「女子プロレスvs女子キック」の頂上対決と言っていい。体重差なども考えると仰天カードだが、関係者によれば「女子にも光を、女子にも大舞台のチャンスを」という願いを込めて絞り出されたアイデアだったという。
試合翌日には「KANA選手のことだけ毎日考える」
現在の運営組織であるK-1実行委員会が「新生K-1」を旗揚げしたのは2014年11月。KANAや朱里を軸に女子部門も徐々に活性化し、一昨年にはKANAが新設された女子フライ級王座を獲得、K-1史上初の女子王者となった。KANAが生まれた1992年といえば、神風杏子が女子で初めてK-1の前身『格闘技オリンピック』に出場した年だ。もちろん数字上の一致に過ぎないけれど、20数年の時の流れや、その間に途切れず紡がれてきた女子立ち技激闘史にも、つい思いを馳せてしまう。
Krush女子フライ級新王者となった壽美は試合翌日の4月24日、勝利会見にのぞみ、早くも「KANA」の名を口にした。
「今こうして勝つことができて、次はもうKANA選手のことだけを考えて毎日を過ごします。(KANAに勝利して)K-1のチャンピオンになれるように人としても選手としても成長するので、次にリングに立つとき、新しい自分を見せられるように努力します」
来月、5月23日に東京・大田区体育館で開催予定の『K-1 WORLD GP 2021 JAPAN』では、フライ級より1つ下のアトム級で女子の注目カードも決定している。男女の別なく、その1戦1戦はK-1の歴史に刻まれていく。(文中敬称略)