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患者の声にじっくりと耳を傾け、人工乳房・乳頭をオーダーで作る職人

若林朋子北陸発のライター/元新聞記者
患者の声に耳を傾け、人工乳房・乳頭をオーダーで作る伊藤尚美さん(筆者撮影)

 人工乳房は、本物のような質感と柔らかさだ。乳がんなどで胸を切除した患者のために、オーダーで人工乳房・乳頭を作る富山市の伊藤尚美さん(52)。相談者に「まずは、お気持ちを聞かせてください」と語りかける。自身も乳がんの闘病経験があるからだ。助言をするよりは聞き役になろうと心掛け、その人に合った「乳房」を仕上げることに集中する。どんな思いで製作しているのだろうか。

人工乳房10万円台から、乳頭は2万円~7万円

 伊藤さんが人工乳房・乳頭を製作する手順は次のようになる。

1:カウンセリング/手術前・手術後どちらでもよい。サンプルを見せて要望を聞く。

2:型取り・原型製作/石膏で型おこし。着色する肌の色の参考に写真撮影も。

3:調整・色合わせ/装着して違和感がないか確認し微調整。色の修正もする。

4:完成/仕上がりを確認し、脱着や手入れについての説明をした上で完成品を渡す。

「カウンセリング」といっても、値段や製作過程を紹介するだけではない。術前・術後など、いろいろな状況の患者が訪ねてくる。「命を優先するために手術は必要だと分かっていても、胸にメスを入れることへ踏み切れない方もいます」と伊藤さん。術後の生活や当事者の思いにじっくりと耳を傾ける。

時短と価格ダウンを目指す

 人工乳房を選ぶのは、治療を続けなければならない場合や、高齢などの理由から再建手術を受けられない人。「温泉などに行く時だけ(切除した部分が見えると)気になる」といった一時的な利用を望むケースが多い。カウンセリングを受けただけで気持ちが安定し、「自分には(人工乳房・乳頭は)要らない」とすっきりした表情で帰って行く人もいるそうだ。

「型取り」では石膏を用いる。左の乳房を切除した場合、右の乳房で型を取って反転させ、切除した部分も型を作り、粘土で乳房を再現する。これをもとに、シリコーンを薄く塗り重ねて人工乳房を作っていく。

「もっと効率よく作りたいと思い、3Dプリンターの活用など、地元の研究者や技術者に協力を求めています。計測した数値をデータ化し、作業時間が短くなることで患者さんの負担が減り、効率がアップすれば価格も下げられます」

「調整・色合わせ」では、患者に装着してもらって、その場で色を付ける。肌の色や透けて見える血管まで再現する。

完成した人工乳房。医療用接着剤で貼り付けると水の中でも外れない(伊藤さん提供)
完成した人工乳房。医療用接着剤で貼り付けると水の中でも外れない(伊藤さん提供)

 カウンセリングから完成までは、2カ月ほどかかる。完成品は体にぴったりとフィットし、スポーツをしたり、水中に入ったりしても外れない。装着は専用の医療用接着剤で皮膚に貼り付け、リムーバー液を使って外す。価格は人工乳房が10万円台からでフルオーダーの場合は25万8000円、人工乳頭は2万円~7万円となっている。

悲しみにフォーカスしない

「カウンセリングからお渡しまでに4回会い、1回につき3時間ぐらい話します。人工乳房・乳頭をオーダーする理由は『術後の胸を見て子どもがびっくりしないように』など、家族のためであることも多い。笑顔で語っていても内心、どんな気持ちかは、本人にしか分かりません。喪失感は計り知れないけれど、悲しみにフォーカスしないことを心掛けています」

 国内で乳がんと診断される人は年間約9万人で、年間約8万人以上が手術を受けている。再建手術に保険が適用されるようになったことから、摘出手術を受けるハードルは以前より高くはなくなったといえる。また、乳がんは、ほかの部分のがんに比べて罹患率が高いにもかかわらず、術後の生存率は高い。つまり、治療を「新たな生き方を模索する時間」ととらえ、生活習慣を見直す女性は少なくない。乳房を失った後、どう生きるかは、乳がん経験者の重要なテーマだろう。

人工乳頭の着色。自然な形、質感、その人の肌となじむ色合いに仕上げる(伊藤さん提供)
人工乳頭の着色。自然な形、質感、その人の肌となじむ色合いに仕上げる(伊藤さん提供)

同じ病で苦しむ人のために

 実は伊藤さんも乳がん経験者だ。2004年、37歳で発症し左の乳房を部分切除、08年に再発し、全摘して再建手術を受けた。最初の手術を受けた後、一般企業を退社して、富山市内の乳腺外科・婦人科を専門とするクリニックの事務職に就いた。再発後の手術を経て「命が助かった」と感謝の気持ちが湧き「自分も何かできないか」と考えるようになった。

 2010年に日本人工乳房協会で「ブレストケア・アーティスト」の資格を取得し、勤務先のクリニックで人工乳頭のオーダーメイドを担うようになった。17年に退職し、腕を磨いて19年1月に起業。人工乳房・乳頭を扱う工房「BreLab(ブレラボ)」を開設した。

「乳腺に造影剤を入れて検査をした時、すごく痛かった」「再発が分かった時には血の気が引いた」「ホルモン治療の副作用で高血圧やめまいなどの症状が現れた」。伊藤さんは乳がん患者の心身の痛みを知っている。依頼を受ければ、再建した自身の胸を触ってもらうこともある。クリニックで勤務した経験もあるので患者の置かれた状況が理解できる。それでも極力、聞き役に徹するという。

“同じ立場の人”を求めている

「何か質問されれば答えますが、まずは患者さんの声に耳を傾けるようにしています。自分の話を聞いてくれる“同じ立場の人”を求めていると感じるから。そして、その人の気づきを待ち、選択をジャッジしないようにしています。言葉にならない気持ちを受け止める。悲しみを突き詰めない。自分も乳がん経験者ですが、あえて気持ちを重ねず、分かったつもりにならないようにしています」

 訪ねてくる患者には深く共感する。しかし、それぞれの苦しみを受け止めることの難しさも感じてきた。乳がんだけに悩んでいるわけではない。失った乳房への思いも含めて、どう生きるかを考えている。だからじっくり話を聞き、自身は人工乳房・乳頭の製作に集中する。

左は着色前、右は着色後の人工乳房。肌色の濃淡を再現することで、その人だけのものに仕上げる(筆者撮影)
左は着色前、右は着色後の人工乳房。肌色の濃淡を再現することで、その人だけのものに仕上げる(筆者撮影)

 伊藤さんは起業以来、モニターも含め十数人のオーダーを手掛けてきた。成形には手間が掛かり、繊細な色を再現するために富山県内在住の画家に着色の指導を受けている。製作に打ち込む心境を語る。

「無心になって今に集中する。一人ひとりの患者さんに合った、使い勝手のいいものを作ることだけを考えるようにしています。患者さんが悲しみにとらわれず、温泉に入るとか、水泳をするとかやりたいことに没頭できたら、私が人工乳房・乳頭を作る時の心境のように、生きる喜びを実感できているのかもしれません」

切除することの感じ方に個人差

「人生のやりがいに集中すること。死の恐怖を忘れること」こそが、伊藤さんなりの乳がんとの向き合い方であり、人工乳房・乳頭を作るモチベーションとなっているのだろう。

 伊藤さんは乳がんについて「メディアなどで、ことさら大きく取り上げられやすいがんだ」と感じている。患者が多いことも一因だろう。ほかのがんの方が、病に冒された部分を切除することで機能を失い、生活の質が変わるケースもあるにもかかわらず、乳がんがクローズアップされる理由とは?

「授乳を終えた女性にとって乳房の喪失は“見た目だけの問題”と考えることもできるはずなのにそうはなりません。乳がんは女性に多いがんであり、“女性らしさ”と結びつけて考えられがち。それが恐怖や苦しみを増幅している気がします」

患者を集めて交流会

 乳房を切除することへの抵抗について、伊藤さんは「個人差がある。その人がどんな意識で生きてきたかに左右されているように思う」と話す。他者の体験は参考になるが、乳がんに対する受け止め方は多様である。

「乳房を切除することへの受け止め方は人それぞれ」と語る伊藤尚美さん(筆者撮影)
「乳房を切除することへの受け止め方は人それぞれ」と語る伊藤尚美さん(筆者撮影)

「患者さんを集めて、交流会もやりました。ひとりで考えていると、世間一般のイメージによる悲しみを押しつけられて、苦悩のループから抜け出せないこともある気がします」

 乳がんを経験した女性の「その後」の道のりは長い。だからこそ、人工乳房・乳頭を必要とする理由はそれぞれ違う。伊藤さんは「それぞれの気持ち」に耳を傾け、患者一人ひとりに合ったものを作ることに打ち込む。それは、乳がんを経て伊藤さん自身が「選んだ生き方」でもある。

※工房「BreLab(ブレラボ)」のホームページはこちら。

https://www.brelab.net/

北陸発のライター/元新聞記者

1971年富山市生まれ、同市在住。元北國・富山新聞記者。1993年から2000年までスポーツ、2001年以降は教育・研究・医療などを担当した。2012年に退社しフリーランスとなる。雑誌・書籍・Webメディアで執筆。ニュースサイトは「東洋経済オンライン」、医療者向けの「m3.com」、「AERA dot.」など。広報誌『里親だより』(全国里親会発行)や『商工とやま』(富山商工会議所)の編集も。富山を拠点に各地へ出かけ、気になるテーマ・人物を取材している。近年、興味を持って取り組んでいるテーマは児童福祉、性教育、医療・介護、動物愛護など。魅力的な人・場所・出来事との出会いを記事にしたい。

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