梅崎司、涙の場内一周。10年の愛を一身に受け、相思相愛の場所に立つ
2018年4月28日は湘南ベルマーレMF梅崎司にとって、忘れることが出来ない一日となった。
昨年までの10年間在籍した古巣・浦和レッズとの対戦で、慣れ親しんだ埼玉スタジアムのピッチに立ったのだった―。
==大好きな場所・埼玉スタジアム==
「いつか埼玉スタジアムで赤ではないユニフォームを着てプレーすることが来るのかな。なんか想像もつかないな…」。
昨年、梅崎と私で共同制作した『15歳 サッカーで生きると誓った日』(東邦出版)を取りかかろうとしていた時、ふと彼はこうつぶやいた。
2008年に大分トリニータから浦和に移籍し、2017年は10年目を迎えていた。浦和というビッグクラブに10年間在籍し、多くのレッズサポーターで埋まった埼玉スタジアム、そしてそのJリーグトップレベルの声援は、当たり前のように自分に向けられ、その中でサッカーをすることが自然であった。
一方で浦和に加入をしてから、度重なる怪我に苦しめられ、その『自然な場所』から何度も離れてしまったことも事実。だからこそ彼にとって自然な場所に立つことは物凄く大きな意義を持つことになった。
「どんな怪我を繰り返しても、レッズのサポーターはずっと自分を待ってくれていた。本当にどんなときも…。弾幕を出してくれたり、僕が出場していないのにユニフォームを着てくれたり。本当にあの埼玉スタジアムのサポーターの声、顔は本当にいつも忘れないし、『あの場所に立ちたい』と心からそう思わせてくれる」。
===一生残る思い出、ACL優勝===
彼にとって忘れられない情景がある。それは昨年11月のACL決勝だ。超満員で膨れ上がった埼玉スタジアムで、アルヒラル(サウジアラビア)を迎えた浦和は1−0の勝利を収め、2007年以来の10年ぶりとなる2度目のアジアチャンピオンとなった。
この試合、ベンチスタートとなった梅崎は後半アディショナルタイム3分にMF柏木陽介と代わって投入された。プレー時間はアディショナルタイムの1分程度。僅かな出場時間だったが、「チームの勝利のために、たとえ1分でも1秒でも今のすべてをぶつけてプレーをする」と1点を守りきるべく、献身的なプレーに没頭し、優勝の瞬間をピッチで味わった。
「たった1分程度だけど、サッカーはタイムアップの笛が鳴るまで何が起こるか分からない。数秒で点が入ることもある。ここ一番の勝負で少しでも隙があると結果は変わることを、俺はこれまで嫌というほど味わって来た。勝負に徹しないと掴めないものがある。だからこそ、たとえ時間が短くても、ほんの僅かな隙を作り出さないために全身全霊を尽さないといけないんです。それに尽くした後には、大好きな埼玉スタジアムの最高潮の雰囲気が待っているんですよ。味わいたいじゃないですか、その雰囲気を」。
すべては大好きな場所で、大好きな仲間とサポーターと共に最高の喜びを味わうために。そこには出場時間が短いなどという感情は一切なかった。そして、ピッチ上でプロフェッショナルとして誇り高き1分間を過ごした彼は、最高の瞬間を味わうことが出来た。
===360度見渡せる最高の場所で見た最高のコレオグラフィー===
タイムアップのホイッスルが鳴り響き、割れんばかりの大歓声の中、真っ先に大分トリニータU-18時代からの盟友であるGK西川周作に駆け寄って抱擁を交わした後、チームメイト、スタッフと喜びを分かち合った。
そして、埼玉スタジアムを見渡すと、スタンドは360度芸術的なコレオグラフィーが彩られていた。
「本当に美しかった。見た瞬間に鳥肌が立ったし、涙がこぼれてきた。だって、試合が終わっても誰も席を立つことなく、こんなにも壮大なコレオグラフィーを作り出してくれているし、何よりそれを俺は一番いい景色が見られる場所に立って見ている。360度に広がるこの最高に美しい景色は、試合前にベンチから見た景色とはすべてがまったく違っていましたね…。まさにレッズに関わるすべての人たちが一つになった瞬間を、俺は一番良い場所で見ることが出来た。本当に俺は幸せ者だなと思った」。
さらに愛情が深まった埼玉スタジアム。しかし、あの最高の景色から1ヶ月後、彼は10年間慣れ親しんだ場所から別れを告げる決断を下した。
=====浦和から湘南へ。苦渋の決断。悩みに悩んだ末に固めた覚悟=====
梅崎司、湘南ベルマーレに完全移籍―。
この決断を下した時、クラブW杯の5位決定戦で負傷しリハビリ中だった彼は、大好きなサポーターに正式な別れを告げること無く、この発表に至ったことに申し訳ない気持ちでいた。
12月に『15歳 サッカーで生きると誓った日』が発売されたこともあり、「この本のサイン会を浦和で開催して、その時に多くのサポーターに来てもらって直接別れの言葉を伝えた方がいいのではないか」と私と梅崎、出版社と梅崎の所属事務所で話し合った結果、埼玉の須原屋書店本店にて『梅崎司サイン会&トークショー』を行うことを画策した。この提案に浦和レッズ、湘南ベルマーレ両クラブからも快諾を頂き、すべての方の後押しもあって、1月14日に開催された。
抽選という形を取らないといけないほど、多くの申し込みが殺到し、当日の会場には130人以上ものサポーターが詰めかけた。
すべては梅崎司という選手のために集まったサポーターの愛情と熱意、そして感謝の想いをダイレクトで受け止めた梅崎は、会の冒頭から大粒の涙を流し、最後も涙を見せた。
「こんなにも…クラブからいなくなった自分を応援してくれる人たちがいて…。やっぱりレッズサポーターは俺にとって宝物なんだと思った」。
===待ちに待った凱旋試合の日===
赤の7番から緑の7番に変わった梅崎は、冒頭で触れた4月28日。緑色のユニフォームを着て埼玉スタジアムにやってきた。
「埼スタで思い切りブーイングをして欲しい」。
移籍の際にこう想いを綴っていたことをレッズサポーターは理解し、選手紹介の際に『梅崎司』の名前が呼ばれると、ゴール裏からは大きなブーイングと大きな拍手が沸き起こった。これはブーイングする人と拍手している人が別れている状態でのものではなく、拍手をしながらブーイングをしていた。こんな心温かいブーイングはおそらく初めて聞いたかもしれない。
さらにこのシーンで印象的だったのが、浦和のスタジアムDJが『梅崎司』の名前だけ強調した声でアナウンスし、さらにレッズサポーターのブーイングする時間をとってから、次の選手の名前をアナウンスした。
湘南サポーターもこのブーイングに拍手で応えていた。
まさにこのシーンも埼玉スタジアムが彼によって一つとなった瞬間だった―。
残念ながら梅崎はベンチスタートだったが、試合の間、彼は黙々とピッチサイドでアップを続けていた。後半に入り、松田天馬、高山薫とアタッカー陣が次々と投入され、残りの交代枠は1枚。試合は1−0で湘南がリードし、残りの1枚は試合終了間際で守備的な選手が投入されるような流れになった。
それでも梅崎は出番を信じて黙々とアップに励んだ。
だが、80分過ぎにスタッフからアップのペースを上げるように言われたのは、野田隆之介の方だった。彼はFWだが185cmの高さを誇り、パワープレーを仕掛けてくるであろう浦和の攻撃を凌ぐ狙いとしては、十分に考えられる交代であった。
野田投入の雰囲気になっていたが、梅崎は構わずにさらに集中力を高めてアップに臨んだ。
本人も試合後、「おそらく今日はないなと思ったが、それが確定するまでは気を緩めてはいけない」と語ったように、これはプロフェッショナルな姿勢を貫いたからこその行為だった。
その想いがチョウ・キジェ監督に伝わったのか、85分過ぎにチョウ監督の口が開くと、野田ではなく、梅崎に声が掛かったのだ。
「司!行くぞ!!」
梅崎はすぐにチョウ監督の下に駆け寄り、ユニフォーム姿になった。
===プレー時間は僅か7分。ACL決勝同様に貫いたプロフェッショナルの精神―===
87分、彼は松田に代わって投入された。出場時間はアディショナルタイムを含めると僅か7分間。しかし、この場所で濃密な1分間を過ごした彼には、純粋に勝利を掴むこと以外頭になかった。
「自分が何かしたいじゃなく、1−0のまま試合を終わらせる。これが俺に与えられた役目。誰よりもハードワークをして、味方を助けるだけじゃなく、相手にプレスを掛けられるか。自分を出すよりもあくまでチームの勝利に徹することしか考えなかった」。
左のウィングバックに入ると、低い位置を取りながら積極的なプレスを見せた。湘南は一切の隙を見せること無く、1−0のまま勝利。湘南は埼玉スタジアムではクラブ史上初、クラブ通算でも21年ぶりに浦和に勝利を収めた。
===感動の場内一周。すべてが彼のサポーターにー===
試合後、一度ロッカールームに引き上げるが、しばらくして湘南のユニフォーム姿のまま再びピッチに姿を現すと、ゴール裏だけでなく、場内をゆっくりと一周した。
まだ残っていたサポーター達に向かって何度も手を振ったり頷きながら駆け足をする梅崎の目には涙が。スタンドからは梅崎のネームが入った赤い7番のユニフォームがいくつも掲げられ、それを目にする度に梅崎の表情はくしゃくしゃになっていった。
そしてゴール裏に辿り着くと、1度目の前十字靭帯断裂の2010年に作られた『梅、待ってるぜ』の弾幕をサポーターから手渡され、スタッフと共にそれを掲げた。この弾幕は梅崎が怪我で離脱中にいつもスタジアムに張られていた弾幕。この弾幕の価値を知っている梅崎は、「こんなにもレッズのサポーターが自分を愛してくれている。待っていてくれている」と溢れる涙を止められなかった。
「いつかまた戻って来い」―。
その想いを受け取った梅崎は大好きな埼玉スタジアムのピッチを後にした。
===大きな愛と声援を一身に受け止め。31歳の男は前に進む===
「すべてが新鮮というか、違和感だらけでした。ロッカールームもいつもと違うし、ベンチの位置も違う。大分時代に1度プレーした以来、ずっとホームでしたから、スタジアムに入ったときから懐かしい感じと変な感じが入り交じっていました。少しでもプレー出来て良かったし、何より想像もしていなかったのが、多くのサポーターが僕の浦和時代のユニフォームを掲げてくれていたこと。これだけ自分のユニフォームを持って来てくれている方々がいて、『頑張れ!』という言葉をもらって、本当に感動をしました。移籍の際に埼玉スタジアムで別れの挨拶をしていなかったので、目と目を見て挨拶が出来た素晴らしい瞬間でした。離れたのにこんなにも沢山の声援を頂いて…。本当にこの光景は焼き付いているし、こみ上げてくるものがありました。『梅、待ってるぜ』の横断幕にもどれだけ自分が励まされたことか…」。
この日、彼と埼玉スタジアムにおける関係の中で、新たな情景が深く刻まれた。ユニフォームの色が変わっても、梅崎にとって埼玉スタジアムは『恩返しの場所』であることに変わらなかった。
「去年、大きな怪我をして、レッズサポーターが僕を待ってくれていた。それは浦和だけでなく、大分などの昔からのサポーターの人もそう。復帰を待ってくれて、僕のがむしゃらなプレーを待ってくれている人がいることを知って、このままじゃダメだと。丸くなってしまってはダメだと思った。それは凄くサッカーに対しての考え方として大きく変わった。現在進行形で伝えたいことが膨らんで来ていると思う」。
気持ちがみなぎる31歳。この想いに湘南サポーターの熱い想いも加わった。この試合、梅崎の心境を察してか、湘南サポーターは梅崎のチャントを大きな声で歌い、選手紹介のときも梅崎へのブーイングを阻害するようなことはなかった。場内一周の際も、「ウメ、きちんと挨拶をしてきな!」という声が湘南ゴール裏から飛んだ。
誰からも愛される希有なJリーガー・梅崎司。幸福な関係にある埼玉スタジアムも、緑色の背番号7の背中を力強く押してくれた。
より多くの想いをその背中に乗せるため。彼のキャリアはまだまだ続いて行く―。