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「井の中の蛙」のブレグジット危機 ブレグジット党の台頭で「合意なき離脱」「国体崩壊」の恐れ

木村正人在英国際ジャーナリスト
共同記者会見に臨むトランプ大統領とメイ首相 by Deborah Bonetti

フォードも英国工場閉鎖

[ロンドン発]英国の欧州連合(EU)離脱がいよいよ危機的な状況に突入してきました。米自動車メーカー、フォードが2020年9月までに英ウェールズ・ブリジェンドにあるエンジン工場を閉鎖する方針を明らかにしました。これで少なくとも1700人の雇用が失われます。

6月7日にはテリーザ・メイ英首相が離脱交渉を迷走させた責任を取って保守党党首を辞任。英南東部ピーターバラの補欠選挙で「合意なき離脱」を唱える新党ブレグジット(英国のEU離脱のことを指す)党候補が労働党候補を激しく追い上げました。

自動車産業は世界的な嵐に直撃されています。米国のドナルド・トランプ大統領がEUや中国に仕掛ける貿易戦争。中国経済の急減速。独フォルクスワーゲンの排ガス不正でディーゼル車の販売台数が激減。欧州では地球温暖化対策で環境車への移行が急加速しています。

「合意なき離脱」になれば英国とEU間のサプライチェーンは分断され、自動車10%、自動車部品5%の域外関税がかけられるため、英自動車産業は壊滅的な打撃を受けます。英自動車製造販売者協会(SMMT)によると、4月の自動車生産台数は前年同月比で44.5%もダウンしています。

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3年前のEU国民投票で離脱が選択されるまでは年200万台の生産を目標にしていたのに、ついに140万台を割り込みました。「合意なき離脱」でEU単一市場と関税同盟へのアクセスを失えば、英製造業の国際競争力は悲しいほど低下します。

このため、日本の自動車メーカー、ホンダや北アイルランドに進出するカナダの航空機メーカー、ボンバルディアが英国撤退を決断。日産も英国での多目的スポーツ車(SUV)エクストレイル生産計画を取りやめ、製鉄メーカー、ブリティッシュ・スチールも経営難に陥っています。

報道をもとに筆者作成
報道をもとに筆者作成

国民医療サービス(NHS)まで俎上に載せられ驚愕

英国を公式訪問した米国のドナルド・トランプ大統領は6月4日、メイ首相と会談した後の共同記者会見でこう語り、保守党党首選への候補者を驚愕させました。

「貿易交渉をする時、すべてがテーブルの上に載っている。国民医療サービス(NHS)や他のもの、それ以上だ。すべてが交渉のテーブルに載せられるのは間違いない」。トップの写真は会見に出席したロンドンの外国人特派員協会(FPA)のデボラ・ボネッティ前会長から提供していただきました。

英国では第二次大戦後の労働党政権下、医療費のすべてを税金で支えるNHSを導入し、「揺りかごから墓場まで」という社会福祉のモデルになりました。身分の高い低いにかかわらず万人が平等に医療サービスを受けられるようにするためです。

財政難から今では民間医療が一部導入されています。しかし無料の公的医療は英国人の誇りであり、2012年に開催されたロンドン五輪の開会式セレモニーでも世界に向けてNHSの歴史が紹介されました。保守党も労働党も原則、維持することを掲げています。

NHSの予算はイングランドだけでも1270億ポンド(約17兆4800億円)。米国がこの巨大市場を放っておくわけがありません。

砂漠のダチョウと同じ

英国メディアは蜂の巣をつついたような騒ぎになりました。米国の製薬会社、医療機器メーカーに市場が自由化されれば、「英国人の心の故郷」であるNHSが民営化されるきっかけになってしまうかもしれないからです。

さすがのトランプ大統領も民放のインタビューに「NHSはテーブルに載っていない」と配慮を示しました。しかし米通商代表部(USTR)は今年2月、EU離脱後の貿易交渉で米国の製薬会社と医療機器メーカーの市場参入を完全に認めるよう求める方針を公表しています。

EU離脱交渉の時、英国の政治家やメディアは果たしてEU側の文書や発言を読んでいるのかと首を傾げることがしばしばでした。井の中の蛙と言うのか、危険が迫ると砂の中に頭を突っ込む砂漠のダチョウと言えば良いのでしょうか。

都合の良いことばかりを強調する政治家の発言を誇張して伝えるメディア。それを真に受ける有権者が、市民生活と企業活動を大混乱に落し入れる「合意なき離脱」をした方が英国はもっと繁栄すると信じ込んでいるのです。救いようがないというのはこのことです。

保守党はブレグジット党に敗れる

スピード違反を巡る偽証で労働党現職議員が辞職したため、6日投票が行われたピーターバラの補欠選挙。労働党候補は結成から3カ月もたたないブリグジット党にあと少しのところまで追い上げられました。これでは保守党も「合意なき離脱」に舵を切らざるを得ません。

(1)労働党 10484票(前回22950票、得票率の増減はマイナス17%)

(2)ブレグジット党 9801票(プラス29%)

(3)保守党 7243票(同22343票、マイナス25%)

(4)自由民主党 1035票(同1597票、プラス9%)

メイ首相の辞任を受け、保守党の党首選には「合意なき離脱」を主張する1番人気のボリス・ジョンソン前外相ら11人が乱立。「学級崩壊」したクラスの学級委員長選びと同じ、EU側の立場やこれまでの交渉経過を全く無視して好き勝手なことを口々に叫んでいる状態です。

「隠れ離脱派」ジェレミー・コービン労働党党首はEUと再交渉してメイ首相よりも良い合意を取り付ける穏健離脱を主張。離脱を撤回する2回目の国民投票は慎重に避けようとしています。

英国の下院は単純小選挙区が導入されているため、保守党と労働党の間で政権交代が行われてきました。1票でも多い方の意見に従うという多数決の政治が安定をもたらし、これまで英国の危機を防いできました。

しかし今度ばかりは「合意なき離脱」と残留派に二極化し、メイ首相とEUの離脱協定書では妥協できないという危機に陥っています。製造業が英国から撤退し、日系の金融機関がロンドン拠点を縮小しようとしているのは「合意なき離脱」が企業活動のマイナスになると考えているからです。

ジョンソン氏が次期首相に選ばれて「合意なき離脱」に突き進めば英国経済は壊滅的な打撃を受けるばかりか、EU残留を望むスコットランドも北アイルランドもいずれはイングランド・ウェールズから分離して英国は空中分解してしまう恐れが膨らんでいます。英国はまさに「国体」の危機にあります。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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