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【麻薬所持で医師逮捕】麻酔科医はなぜ麻薬中毒になりやすいのか 医師の視点

中山祐次郎外科医師・医学博士・作家
逮捕された医師は、手術中に自分の腕に麻薬を打っていたという情報もある(ペイレスイメージズ/アフロ)

20日、医療用麻薬を不正に所持していたとして、麻酔科医を麻薬及び向精神薬取締法違反(所持)容疑で逮捕したと警察が発表しました。

麻酔科医が手術中、自分に注射…麻薬所持の容疑(YOMIURI ONLINE 2017年02月21日)

この報道によると、麻酔科医が手術中に麻薬を使用していた疑いがあると報道されました。引用します。

病院からの依頼で70歳代男性の手術に加わっていたが、手術中、自分の腕に液体を注射している様子を女性看護師が目撃。病院からの通報で駆けつけた行田署員が、ロッカーに置かれた楢原容疑者のかばんの中からフェンタニル(筆者注、医療用麻薬の一種)入りの注射器を見つけた。

出典:YOMIURI ONLINE

とありました。現段階では手術中に麻酔科医が麻薬を使用していたかどうかは不明ですが、病院で使用する麻酔薬から麻薬であるフェンタニルを調達したことは間違いないだろうと筆者は考えます。そして手術中に使用していた可能性も高いと考えています。

まずは、麻酔科医と濃厚に接する医師である外科医の立場から本件を解説し、あまり知られていない「麻酔科医と薬物中毒」問題についてまとめました。

なぜ他の科ではない「麻酔科医」なのか?

本件では、麻酔科医が手術中に麻薬を使用していた疑いがあると報道されました。

ここで少し、麻酔科の医師について説明します。麻酔科医は、名前の通り手術の麻酔を担当する専門の医師です。昔は外科医が手術をしながら麻酔を一緒にかけていましたが、麻酔に関連した事故が多かったり麻酔技術が高度化したことで新しい専門である「麻酔科」という科が生まれたのです。日本の医学部に初めて「麻酔学講座」が出来たのは戦後の昭和27年のことでした。そういう始まりでしたが、麻酔科医は現在では高度な技術と知識を持ったプロフェッショナル集団です。ごく簡単な麻酔を除いては、日本中ほとんどの大きい病院では手術の全身麻酔は麻酔科医がかけています。ちなみに、麻酔は患者さんに「かける」と言います。その一方、中小の病院では、手術を執刀する外科医が麻酔をかけている病院もあります。

なぜ麻酔科医が麻薬中毒になりやすい?

では、なぜ麻酔科医が麻薬中毒になりやすいのか。理由として以下の点が挙げられます。

1, 日常的に、合法的に麻薬を取り扱うため自分に使うチャンスが多いから

2, 麻薬は厳密に管理されるが、本当にコッソリ使おうと思えば使えるから

順に説明します。

1, 日常的に、合法的に麻薬を取り扱うため自分に使うチャンスが多いから

実はあまり知られていないのですが、全身麻酔をかけて手術をする時は、ほぼ100%、医療用の麻薬を患者さんに投与します。その多くは今回報道にも出た「フェンタニル」というお薬です。これは大変優れた痛み止めの作用を有しており、手術中に患者さんが受けた痛みを抑える役目を果たします。ちなみに、全身麻酔(=ぐっすり眠っている)で手術をした場合にも、患者さんは痛みを感じています。意識は無いので「イテー!」とはなりませんが、血圧が上がったり脈拍が速くなったりして反応するのです。その痛みをおさえるために、フェンタニルやその仲間のお薬(レミフェンタニル等)を手術中に使うのです。

ですから、麻酔科医は手術のたびに医療用麻薬を使うことになります。これを自分に使ってみよう、と思う人がいるのは驚きですが・・・。

2, 麻薬は厳密に管理されるが、本当にコッソリ使おうと思えば使えるから

そして問題はこちら。こんなことを書いたら怒られそうですが、実は「麻酔科の先生はコッソリ使おうと思えば使えるよな」と筆者は昔から思っていました。筆者も研修医の頃3ヶ月を麻酔科で研修させていただいたことがあります。その理由は、麻酔科医はほぼ監視がない状況で麻薬を扱うからです。

例を出しましょう。これは実際に私がやっていたお腹を切る手術中の、手術室の絵です。

お腹の手術の時の手術室全景。大きな機械が多い。
お腹の手術の時の手術室全景。大きな機械が多い。

多数ある青い四角は機械です。まず部屋のど真ん中に患者さんが手術台に横になっており、麻酔科医が一人(赤で表示)、患者さんの頭の方に立って麻酔器と言われる機械に囲まれています。そして患者さんの左右には外科医が3,4人。そして患者さんの右足の横に看護師さんが一人。ここまでのメンバーは立ち位置もだいたい固定です。そして一人だけ手術室の中をフリーに動き回るリベロのような役割の看護師さんが一人。以上です。

ご覧いただくとわかるように、麻酔科医は少し他のメンバーと離れたところにいます。しかも麻薬などの注射薬を注射器に吸ったりするカートはその向こう。外科医はもちろん患者さんの腹の中に集中していますから、麻酔科医の方を見る時は何か依頼をする時だけです。唯一フリーの看護師さんは麻酔科医を見ることはありますが、その他の業務に忙しく部屋の中を歩き回ったり記録をつけたりしています。

つまり、麻酔科医は手術室の中で孤独な状態にあるのです。しかもその状態は手術が始まってから終わるまで続きます。これを、「こっそり麻薬を使いたい麻酔科医」の視点から考えると、手術中なら誰にもバレずに使えそうだなと思えますよね。

厳重な管理をかいくぐる方法

そして、もう一つの盲点が。

医療用麻薬はきっちりと病院で管理され、たいていは怖い看護師さんが鍵を握る金庫に保管してあります。金庫は手術室にあり、手術のたびに麻酔科医は金庫から医療用麻薬を取り出し、手術が終わるとカラになったアンプル(=液体の薬が入っているガラスの3cmくらいのびんのこと)を返し、一日の数が合うように毎日チェックしているのです。一個足りないなんてことになったら大事です。

しかし、この逮捕された麻酔科医がもし本当に手術中に医療用麻薬を自分に注射していたとしたら。そうすると、カラのアンプルの数も合いますし、カルテには患者さんに投与したように記録しておけば数の上ではバレません。しかも手術中はフリーの看護師さんの目さえ盗めば、自分にさっと注射を打つことはそれほど難しいことではありません。

つまり、誰にもバレずに手術中の麻薬遊びが出来ることになります。ま、周りは医者ばかりですから、「あの先生ちょっと変だ」とバレやすいような気もしますが。

知人の麻酔科医に聞きました

Q. ニュースを聞いてどう感じた?

A. 正直、また麻酔科医がニュースになってしまったと残念に感じました。何度も聞きますよね、麻酔科医の薬物の報道。確かに、やろうと思えばとてもやりやすい環境にいるとは思います。手術室は麻酔科医にとってはとても寒いから、私も夏でも長袖を着ていますし。そうすると腕の注射痕は隠せますからね。

Q. 周りの麻酔科医で、やったとかやってそうとか噂は聞くか?

A. 私の周りでは、聞いたことはありませんね。当たり前ですけど。

麻酔科学会も警鐘を鳴らす

本件のような、麻酔科医の麻薬中毒という問題には、麻酔科医の集団である麻酔科学会も警鐘を鳴らしています。

このページには、麻酔科医が麻薬中毒になっていることを早期発見するためのチェックリストがあります。知人の麻酔科医によると、この項目が麻酔科医の専門医試験にも出題されたそうで、麻酔科医業界全体でも重く見ていることがわかります。一部を引用します。

「一人で麻酔をすることを好む」など、とてもリアル
「一人で麻酔をすることを好む」など、とてもリアル

さらには、一生続く依存症の説明について、厳しく書かれています。

一旦依存症に陥った場合、これは進行性の病気であり、回復したように見えてもその過程は薬物を止め続けている状態であり、「依存症に関しては完全治癒はあり得ない」というのが現在の考え方である。そうなると、一旦依存症に陥った麻酔科医は麻酔を続けることはできない、という厳しい考え方に立って対処する必要がある。

出典:麻酔科学会ホームページ

医療用麻薬は危険なのか?

こんな話を聞くと、医療用麻薬は危険なのではないかという疑問が浮かびます。しかし、医療用麻薬は正しく使っていればとても安全で、極めて有益ないいお薬です。筆者は大腸がんの専門家として、がんによる痛みのある患者さん何百人かに医療用麻薬を投与しましたが、依存症になった人は一人もいません。副作用も軽いもので、便秘や眠気、時折吐き気がある程度です。命に別状があるような副作用は極めてまれです。

医療用麻薬について詳しく知りたい方は、過去記事「医療用の麻薬は安全か?~大橋巨泉さん死去ニュースに~」をご覧ください。

最後になりますが、麻薬中毒になる麻酔科医は全体のごくごく一部であることを明記し、稿を閉じたいと思います。

※本記事では「麻薬」と「医療用麻薬」という用語を明確に区別せずに使っています。一般的なイメージでの「麻薬」はヘロインやコカインなどの違法薬物であり、一方で「医療用麻薬」は正しく使えば極めて安全で、とても有益なお薬です。

(参考)

東京大学医学部麻酔学教室・附属病院麻酔科・痛みセンター

http://www.anes.umin.ne.jp/history.html

日本麻酔科学会

http://www.anesth.or.jp/med/post-7.html

外科医師・医学博士・作家

外科医・作家。湘南医療大学保健医療学部臨床教授。公衆衛生学修士、医学博士。1980年生。聖光学院中・高卒後2浪を経て、鹿児島大学医学部卒。都立駒込病院で研修後、大腸外科医師として計10年勤務。2017年2月から福島県高野病院院長、総合南東北病院外科医長、2021年10月から神奈川県茅ヶ崎市の湘南東部総合病院で手術の日々を送る。資格は消化器外科専門医、内視鏡外科技術認定医(大腸)、外科専門医など。モットーは「いつ死んでも後悔するように生きる」。著書は「医者の本音」、小説「泣くな研修医」シリーズなど。Yahoo!ニュース個人では計4回のMost Valuable Article賞を受賞。

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