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【原発から22km】高野病院の院長として働いて

中山祐次郎外科医師・医学博士・作家
高野病院。すぐ先には海が見える

この記事の筆者である私、中山祐次郎(36・外科医)は、2017年2月1日付で高野(たかの)病院の院長として3月末まで勤務します。本件については全国紙やTV等で多数、報道いただきました。メディアは主に私の就任を報道しましたが、実際のところ、働き始めてどうなのか。私の仕事は、日中は100人以上の入院患者さんの病院で医師ひとりで働く、いわゆる「ワンオペレーション」です。実際に働いてみて仕事は多かったのか、大変なのか、まとめました。

まずはなぜ私が高野病院に赴任したのか、順を追って説明します。

高野病院の院長死去、ボランティア医師が診療継続

昨年末、福島県のある病院の院長が火事で亡くなったという報道がありました。

遺体は高野病院の81歳院長 福島・広野 毎日新聞2017年1月3日

その後、近隣の市の病院の医師たちが「高野病院を支援する会」(以下、「支援する会」)を発足させ、ボランティアの医師を全国から募りました。

亡くなった81歳の高野院長は、常勤医一人の状態で数年の間、この病院の約100人の入院患者さんと約3000人の住民の方々の診療を担っていました。死去により常勤医が不在となり、その穴を埋める形で「支援する会」の医師やボランティア医師が勤務していました。ボランティア医師は全国から来ていました、あくまでボランティアであるため継続して業務を行うのは困難でした。なぜなら、ボランティアで来ていた医師は普段勤務している病院があり、そこには自分の担当する患者さんがいるからです。

「超人」と呼ばれた老院長の急死を乗り越えられるのか?福島・高野病院、立ち上がった若手医師の思い

私がその報道を見た時、都内の病院に外科医として勤務していました。1月5日、高野病院のある双葉郡に隣接するいわき市の病院に勤務する友人医師が、高野病院でボランティア医師として勤務し「ときわ会(彼の勤務する病院)からも数名の医師が支援に入りますが、場繋ぎでしかありません」とfacebookに書きました。それを翌6日に見た私は、高野病院へ2ヶ月だけの常勤医・院長として行くことを決め、「支援する会」ホームページの問い合わせフォームからその旨を書きました。その夜に連絡をもらい、行くことを決めたのです。

高野病院の震災後から今まで

高野病院は昭和55年に設立(奇しくも私と同い年)された2階建ての個人病院で、現在は「療養病床」と精神科病床の合わせて118床の入院施設がある病院です。「療養病床」とは、病状は安定しているが点滴やリハビリなどが必要な患者さんが入院する病院のことで、主に高齢者の患者さんが入院します。

CTや内視鏡もある(高野病院HPより)
CTや内視鏡もある(高野病院HPより)

現在は約100人の入院患者さんがいるほか、外来や救急車も受け入れている状況です。

約6年前の3.11の後、病院のある広野町では町全体が自主避難となりましたが、当時の高野院長は「避難しない」という判断をしました。当時情報は混乱し錯綜し、国側の情報では「高野病院は既に避難した」とされたり「高野病院は全てを諦めている」と言われたそうです。

なぜ高野院長は「避難しない」という判断をしたのか?それは、重症患者さんは避難(=バスに乗って何時間もかけて別の県に移動する)ことに耐えられないと考えたからです。事実、避難を余儀なくされた原発に近い病院では、患者さんの避難中や避難直後に数十人が死亡ということが実際に起きていました。この辺りの詳細は「福島原発22キロ 高野病院奮戦記 がんばってるね! じむちょー」(2014/3/11 東京新聞編集委員 井上能行 (著))にあります。

なぜ私が高野病院に行こうと思ったか

なぜ私が高野病院に行こうと思ったか。

私は、実は2017年4月から福島県の郡山市にある総合南東北病院に外科医として勤務することが決まっておりました。前述したとおり1月に友人のfacebookで高野病院の危機的状況を知り、福島へ行くことを2ヶ月早めて高野病院に行くことを決めました。そのときの所属長などから「行って来い」と理解を頂けたため、赴任を決定しました。ですから高野病院での勤務は2ヶ月だけとなります。

予想していなかった取材ラッシュ

高野病院に赴任を決めた後、凄まじい数のメディアからの取材申し込みがありました。これは私が全く予想していない事態であり、始めは「たった2ヶ月の勤務であり、私個人が取り上げられる意味は無い」と考え取材を受けないつもりでした。しかし、途中から「支援する会」事務局長の尾崎章彦医師などと相談し、「話題になり支援が広がり、後任医師確保や高野病院存続の助けとなるのなら」と全ての取材を受けることと致しました。

私の高野病院就任を発表した日には40本ほど電話がありました。その後もほぼ連日電話があり(メディアの方々は「直接電話」スタイルがほとんどです)現在までも、多数の大手メディアなどからの取材をして頂いております。合計で30回ほどは「なぜ就任を決めたのか」「その想いとは」というお話をさせて頂きました。電話・メッセージのやりとりが過多になり、携帯電話の調子が悪くなったため機種変更をしたほどです。

なぜ注目されるのか

なぜこれほど本件が注目されるのか、客観的に分析しました。

1、「3.11」が近づくこの時期、「原発に近い病院」だから

2、地域医療崩壊の象徴的事例だから

3、高野病院を支援したいというメディアの方々の想い

1、「3.11」が近づくこの時期、「原発に近い病院」だから

福島を始めとする被災地にとって、「3.11」は未だ全く過去のものとはなっていません。高野病院は原発から22kmという近い距離にあり、また震災後避難をせずにずっと診療を続けてきた病院として、「被災地医療」の中心となるべき存在です。この病院の存続は、これからの被災地の行く末を示すものとなるでしょう。

2、地域医療の崩壊を象徴しているから

地域医療とは、ここでは「へき地や離島などの医師が少ない地域における医療」を意味します。高野病院は隣の病院まで車で1時間半はかかるエリアに建っています。周囲の住民は現在約3000人で、それに復興関連の作業員の方が3000人ほど住んでいます。つまり合計約6000人のいのちを守るのが高野病院で、隣の病院までは遠いというのが現状なのです。医師の数は日本全体でも人口1000人あたり2.3人(注1)ですから、本来ならば医者が10人くらい居ても良い地域です。そんな状況を、亡くなった高野院長は一人でやられていたのです。単純に考えた仕事量は普通の医師の数倍である上に、さらに院長は81歳とご高齢でした。

高野院長のような「超人医師」が孤軍奮闘し命がけでその地域を守っているーーそれが地域医療の現状なのです。こういうエリアは高野病院に限ったことではなく、日本全体にあちこち存在しています。超人に頼るのではなく、継続的な医師の供給が必要だと考えます。

3、「支援・解決したい」というメディアの想い

これは正直なところ、私も意外でした。私が取材を受け始めた頃は、「被災地で踏ん張っていた高齢の医師が倒れ、全てを投げ打って現地に赴く若い医者」のような「わかりやすい美談」として取り上げられているのだと思っていました(そういうメディアが存在するのも事実ですが)。

しかし私を取材する人の多くは、「震災後ずっと福島のことを取り上げていて、今回のことも強い問題意識を持って注目している」方や「ずっと高野病院を追っている」記者さんでした。そして私を取材しながらも高野病院や現地の事情を詳しく説明してくれたり、「どうすればこの問題が解決するのか」と議論をしてくれたのです。これは大変な驚きでした。

取材や広報は私の本来の業務ではありませんし、何十回も同じ話をすることにかなり疲弊しました。しかしその一方で、取材を受けることで私は自己の感情を客観視するとともに、本件の問題点を整理し、知識を深めることが出来ました。これには感謝しかありません。

一週間働いて感じたこと

本日で院長として働いてから一週間が経ちました。まず初めに感じたのは、「業務量の多さ」でした。院長をやりつつ医師をやるということは、マネージャー兼プレイヤーをするという事に他なりません。あと一人医師がいたらどれほど良いか、と考えてしまうこともありました。しかしその一方で、全面的にサポートをしてくれる事務の方のおかげで院長としての事務仕事はかなり助けられています。そして医者としては、患者さんの状態を把握している看護師さん達の高いレベルに驚いたのです。大病院の看護師はなにか異常な事があると「とりあえず医師に聞いてみよう」とすることが多いのですが、高野病院では自分の頭で考える看護師が多いと感じました。それにより、私の業務負担はかなり減っています。

また、非常勤で来て下さる医師の皆さんにもかなり助けられています。先日も、私が外来診療と病棟の患者さんのことで手一杯の時に運ばれてきた重症の怪我の患者さんを全て治療してくれていました。

全てのスタッフの皆さんに、まさに四方八方の全方向から支えられている赤子のような気分です。これからは職場環境に慣れていき、より主体的に働くつもりです。

精神科の指定医を募集しています

最後になりましたが、精神科の指定医の資格を持った常勤医師を募集しています。内科医師は4月から来ていただけることになったのですが、精神科医師がいないため非常勤の先生にお願いしている状況です。

ご興味のある医師の方は高野病院0240-27-2901までお電話ください。私から直接ご説明申し上げます。

(注1)

厚生労働省資料 医師の需給に関する基礎資料

外科医師・医学博士・作家

外科医・作家。湘南医療大学保健医療学部臨床教授。公衆衛生学修士、医学博士。1980年生。聖光学院中・高卒後2浪を経て、鹿児島大学医学部卒。都立駒込病院で研修後、大腸外科医師として計10年勤務。2017年2月から福島県高野病院院長、総合南東北病院外科医長、2021年10月から神奈川県茅ヶ崎市の湘南東部総合病院で手術の日々を送る。資格は消化器外科専門医、内視鏡外科技術認定医(大腸)、外科専門医など。モットーは「いつ死んでも後悔するように生きる」。著書は「医者の本音」、小説「泣くな研修医」シリーズなど。Yahoo!ニュース個人では計4回のMost Valuable Article賞を受賞。

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