作曲家の坂本龍一さんの死去にともない、坂本さんが2012年7月の脱原発デモに参加したときの「たかが電気です」という発言に対して再び批判が集まる事態が起きています。
筆者も当時、「たかが電気です」「たかが電気のために なんで命を危険にさらさないといけないのでしょうか」のキャプションが入ったキャプチャ画像を見て「電気はいるでしょ」と思ったのですが、全文を確認してみれば切り取りによるミスリードでした。
というわけで、ここに全文を書き起こします。スピーチの映像はこちらのYouTubeの動画から確認できます。
脱原発デモでの坂本龍一さん発言 全文書き起こし
「自家発電に切り替えて原発を止めよう」の意味
全文を読めばわかると思いますが、坂本龍一さんは「たかが電気だ。いますぐ原発を止めろ」と言ったわけではありません。
「原発は止まらない。だから、家庭や事業所が自家発電にどんどん切り替えていき、2050年ぐらいには原発をやめられるくらい自家発電が当たり前の世界にしていこう。たかが電気のために日本や子供の未来を危険に晒す必要はない」と言ったわけです。
まあこういう炎上案件について書くと「お前の受け取り方が間違ってる」といった批判がくることが予想されるので、筆者ではなくAI(ChatGPT-4)に要約して貰った文章も置いておきます。
AI様は「たかが電気」の部分は完全にスルーして、「電力会社への依存を減らし、家庭や事業所が自家発電を行うことで、原発に頼らない電気を選べるようになる」提案だと解釈しています。
切り取り発言で批判は間違っているし、無意味
全体の発言を読めば、坂本龍一さんの主張に対して賛同や反対といった意見の受け取り方の違いはあるにしても、SNSに投稿されているような「人間はエネルギーがなければ生きていけない」、「『たかが電気』と言ったくせに電気をバカ食いするNFTを使って音符を595万円で売り捌こうとした」、「たかが電気と言い張った挙句に電気自動車のCMに出るようなダブスタクソ老害」といった批判をするのは間違いだと言えます。
坂本龍一さんは原発をすぐには止められない(政府が止めない)から、家庭や事業所が自家発電することで2050年ぐらいには止められるようになったらいいと原発をなくすための道筋を話しているだけです。
決して「たかが電気」だから「電気は不要」とは言っていません。
だから「電気は不要」といった受け取り方で批判をするのは間違っています。
批判をするのであれば、自家発電を進めることで原発を止めることが可能かどうか、そもそもそうまでして止める必要があるのかといった話をしないと意味がありません。
ちなみに2016年時点の報道では、企業が自家発電設備の新設や増設をしたことで原発7基分(約700万キロワット)に相当する設備が増えたとありました。
そして、内閣府原子力委員会の資料によると、日本国内の原子力発電設備の総容量は5,085万キロワットにのぼるとのことです。
単純計算で約14%を自家発電で補えるようになったわけですが(それも2016年の時点で)、家庭や事業所がさらに自家発電をすすめた場合どれくらいになるのか、その場合電気代がどうなるのか、そもそも維持できるのか、などなど、そういった方向で議論が深まれば坂本龍一さんとしても嬉しいのではないでしょうか。