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東京都4・4・4制小中高一貫校について考えた 1(教育現場からの視点)

竹内和雄兵庫県立大学環境人間学部教授

4・4・4制の是非

東京都教育委員会が全国初となる、公立の小中高一貫校を2017年度にも開設する方針を決めたと報じられている。

この報道は、公立校におけるエリート教育の是非の観点で論じられることが多いと思うが、本稿では、小中学校で教鞭を執っていた経験を持つ筆者の立場から、特に小中の接続に焦点をあてて考えてみたい。

現状を考えると正しい方向性

多くの課題を持っていると思うが、結論を書くと、方向性としては正しいと考える。

特に小学校を4年間で終え、そこから次の学校体制に移行することは現状から妥当だと考える。

現在の教育制度(6・3・3制)は明治期に作られ、見直されてこなかった。当時は6年生(12歳)までは子どもで、一人の先生が同じ目で、登校してから下校するまで守り育てることが必要だと考えらた。

いわゆる「学級担任制」だが、私は、この制度が、今の日本の教育問題の生起要因のうち、かなり大きいと考えている。

子どもたちの発達が早まり、現在の小学校5年生くらいから、思春期と呼ばれる状況に入る子どもたちは多い。指導が難しくなっていき、小学校低学年での指導と明らかに異なる配慮が必要になってくる。小学校現場では、早くからこのことは指摘され、特に女子児童の指導の難しさは大きな課題になっている。

今、小学校現場では

私が関わっている多くの小学校では、高学年(5、6年)を担任できる教員は限られ、ずっと一部の教員が繰り返し担当する。たいていは、特別の存在感のある先生が担当することが多い。指導力に定評のある先生であることは当然だが、女子児童の支持を得やすいことも重要な要素である。どれだけ指導力がある先生でも、女子児童に嫌われると収拾がつかなくなる。一部の女子児童に徹底的に嫌われ、学校に行けなくなった男性教諭の復職に複数事例関わったことがある。その心理的負担は並大抵ではない。

また、いじめ等の問題行動も複雑な背景を持つようになった。一人の担任で対応するのが難しく、文部科学省等や各教育委員会も、複数教員によるチーム対応を推奨している。

小学校も教科担任制の方向性

このような背景があり、小学校でも5年生くらいから教科担任制を取り入れることが珍しくなくなってきている。

教科担任制とは、中学校以降で取り入れられている制度で、教科ごとに先生が替わる制度で、すべての教科を一人で教える小学校の学級担任制と区別されている。

現在のところ、取り入れている小学校の多くが、すべての教科ではなく、一部の教科だけを教科担任制にしている。

私が関わっている少ない事例だが、いろいろな教員に触れることが児童のためにもなるし、他のクラスの児童に日常的に接することができることで、他の多くの場面での指導に役立ち、好意的に受け止められていることが多い。

例えば、ある学校の5年生(2クラス)の月曜日の時間割。1組担任はA教諭、2組担任はB教諭である。

1組(A学級)  2組(B学級)

1限 社会(A先生) 理科(B先生)

2限 理科(B先生) 社会(A先生)

3限 国語(A先生) 図工(B先生)

4限 図工(A先生) 算数(B先生)

5限 算数(A先生) 国語(B先生)

6限 体育(合 同) 体育(合 同)

この学年は、社会はA先生が、理科はB先生が2クラスとも受け持っている。また体育は合同で行い、2人で一緒に行っている。そのため、月曜日は、6時間のうち担任の先生が一人で授業を行うのは4時間だけである。

うまくいくためには

このような形態を取り入れる学校が増えてきている。実際は一部だけの教科担任制であるが、やってみるとうまく行く場合が多いが、課題としてわかってきていることは、担任同士の役割分担と情報交換の必要性である。もっとかけば、担任間の意思疎通の重要性である。

上記の学年で、例えばA先生がB先生に対して、「B先生のクラスの児童は全然ダメです。どんな指導をしているんですか!?」と言えば、B先生は二度と教科担任制を推奨しないだろう。

そうではなく、「B先生のクラスの児童の指導は難しいです。B先生、そういう児童なのに、よくやっていますね」と言われたら、B先生は「A先生と一緒に頑張ろう」と思うだろう。

実は、こういう非常に初歩的な部分が重要なのである。日本には、根強く「学級王国」の文化が根強いからである。

私はこの方向性の先に、完全教科担任制が将来的には実施されると考えているが、そう考えると、今回の東京都の判断は正しい方向性だと考えている。

課題と方向性

小中の接続の問題だけでなく、学校現場は多くの課題を抱えている。その多くが現状の教育制度が制度疲労を起こしてしまっていることに端を発している場合も少なくないと覆っている。

昨年、オーストラリアの研究者(30代男性)と教育問題についてじっくり話した。彼から「オーストリアでは、小学校から落第することが制度としてある」と聞き驚いた。思わず、「人権問題等、大丈夫なのか?」と質問してしまったが、「勉強の基準に達していない子を進級させる方が人権侵害だろう」と言われてしまった。もっともな話である。

私は、ここで、「だから日本も小学校から落第する制度を導入すべき」と主張するつもりはない。私たちが当然だと思っている教育制度も、国が変われば、全く異なっているということを言いたいのだ。教育の混迷が叫ばれる今こそ、社会全体で考え、試行錯誤するべきだと思う。

ただ、生身の子どもたちを実験台にすることは許されない。充分な議論をし、万難を排して実行し、そこで出てきた課題、問題点を社会全体で考えていくことが必要な時期だろう。

そういう意味で、今回の東京都の示した方向性は歓迎すべきだと思うと共に、私たちがこれをきっかけに充分な議論をするべきだと思う。

微力だが、そのきっかけの一つになれば、と記載した。

兵庫県立大学環境人間学部教授

生徒指導提要(改訂版)執筆。教育学博士。公立中学校で20年生徒指導主事等を担当(途中、小学校兼務)。市教委指導主事を経て2012年より大学教員。生徒指導を専門とし、ネット問題、いじめ、不登校等、「困っている子ども」への対応方法について研究している。文部科学省、総務省等で、子どもとネット問題等についての委員を歴任している。2013年ウィーン大学客員研究員。

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