米ソの宇宙競争を追跡した英ジョドレルバンク天文台、世界遺産に登録
2019年7月7日、ユネスコの世界遺産委員会はイギリス、チェシャー州のジョドレルバンク電波天文台を世界遺産として登録した。口径76メートルのラヴェル望遠鏡は、1973年まで世界最大の可動型電波望遠鏡であり、現在でも世界で3番目の規模を誇る。世界初の人工衛星スプートニク1号と打ち上げロケットR-7を捉え、冷戦時代にソ連とアメリカ、双方の宇宙探査機を追跡して活躍したことでも知られる。
マンチェスター大学が所有するジョドレルバンク天文台は、周辺に送電線がなく電波のノイズが少ないマンチェスター郊外の場所に建設され、1957年夏に完成した。開発者である物理学者バーナード・ラヴェル博士の名からラヴェル望遠鏡と呼ばれる大型アンテナは、当初「マークI」と呼ばれていた。建設予算節約のため、海軍から第一次大戦中の軍艦の砲台を譲り受け、アンテナの架台に再利用したという。
運用開始から2ヶ月後の1957年10月4日、マークIアンテナはソ連が打ち上げた世界初の人工衛星スプートニク1号が発するビープ音を受信する。当時、打ち上げロケットR-7を追跡できる西側唯一のレーダーでもあった。
電波的にも政治的にも静かだったはずの天文台は、このことで東西両陣営から注目されるようになる。1958年1月1日、ソ連から「計画中の月探査機ルナと金星探査機ベネラを追跡してほしい」という依頼が届く。1959年1月2日に打ち上げられたルナ1号の際には活躍しなかったが、9月12日にはルナ2号の打ち上げロケットが予定の軌道に入っていることを突き止め、探査機からの信号受信に成功した。翌13日の10時01分にルナ1号は月面へ衝突する予定で、実際には10時02分24秒で信号途絶を確認。天文台は世界初の人工物体による月面着陸を確認する役割を果たした。
1961年2月12日、ソ連は金星探査機ベネラ1号を打ち上げた。探査機は5日ごとに温度や気圧などのデータを送信する計画だったが、ソ連側の地上局はベネラ1号との通信を喪失してしまう。なんとか探査機を探し出したいソ連側の意向で、クリミアの地上局とジョドレルバンク天文台は連携してベネラ1号からの信号検出を試みた。探査機は所在不明に終わったものの、6月までソ連と天文台との協力は続いたという。
このときの協力から、1967年にソ連が初めて金星観測に成功したベネラ4号のミッションでもジョドレルバンク天文台が活躍する。金星表面に接近中の探査機からの信号を捉え、速度と地表からの高度の計測に成功した。
ソ連だけでなく、1958年にはアメリカ側からも衛星の追跡依頼が届く。1958年1月にアメリカ初の人工衛星エクスプローラー1号を追跡した後、月探査機パイオニアを追う役割も担った。10月11日に打ち上げられたパイオニア1号の信号は10分後にマークIアンテナで確認できたものの、ロケットは地球から脱出する速度に到達せず、探査機はそのまま大気圏に再突入して燃え尽きた。
アメリカで惑星探査の技術を獲得したパイオニア5号のミッションでは、1960年3月11日打ち上げ後にロケットから衛星を切り離す信号送信が天文台から送信された。パイオニア5号はその後4ヶ月にわたって天文台と交信を続け、コマンドだけでなくサイエンスデータの受信でも活躍している。
米ソの宇宙探査機を追い続けたジョドレルバンク天文台の活動は、1969年のアポロ計画による月面有人探査のころまで続いた。マークI望遠鏡は、完成から30周年の1987年にラヴェル博士にちなんでラヴェル望遠鏡と名前を変え、規則的な周期で電波を放射する天体「パルサー」の観測で活躍した。イギリス国内7箇所の電波望遠鏡の観測データを合成して巨大な一つの望遠鏡のように扱う「e-MERLIN(e-マーリン)」VLBI観測計画の中核でもあり、現在でも電波天文学の第一線で活躍している天文台だ。