札幌ドームのファウルボール直撃事故、裁判所が球団の賠償責任を認めたワケは?
2010年8月に札幌ドームで起こったファウルボール直撃事故で、球団の賠償責任を認めた札幌高裁の判決が確定した。臨場感か安全性か。報道されていない事実もあることから、公開されている判決文に基づき、改めてこの事案を振り返ってみたい。
この日、なぜ女性は球場に来ていたのか
札幌ドームで行われた北海道日本ハムファイターズと埼玉西武ライオンズの公式戦。夫、長男(当時10歳)、長女(同7歳)、二男(同4歳)と球場に来ていた女性(同31歳)にライナー性のファウルボールが直撃した。
この日は、ファイターズがファミリー客を球場に呼び込むため、小学生の入場を無料とした招待試合だった。女性ら家族も、小学生の長男、長女の希望で観戦することとなった。もっとも、女性には野球に対する知識や関心がなく、これまで硬式球に触れたことはおろか、野球観戦の経験すらなかった。
当日は、長男、長女とともに球場に先着した夫が夫婦と二男分のチケットを購入して球場に入り、一塁ベースとライトポールの中間あたりに位置する一塁側内野自由席の前から10列目の座席を横並びで確保した。この座席も、今回の招待試合で選択可能なものだったからだ。
事故当時、女性は何をしていたのか
事故当時は、女性が右側の通路に面した端の座席に、二男がその左隣に、長女がさらにその左隣に座っており、夫と長男はたまたま席を離れていた。
3回裏のファイターズの攻撃中、バッターが初球のボールを打ってから約2秒後、ボールはグラウンド面から高さ5.5~6mほどの位置を時速約130kmで飛来した。グラウンドと観客席との間にあるラバーフェンスはグラウンド面から高さ約2.9mであり、その上部には防球ネットが設置されていなかった。
2006年まではグラウンド面から高さ約5mとなる防球ネットがあったが、臨場感を出すため、撤去されていたからだ。ただし、仮にこの防球ネットが設置されていたとしても、今回のボールはその上空を通過していた。
女性はバッターがボールを打つ瞬間こそ見ていたが、その後、左隣に座る二男の様子をうかがおうとわずかに下に顔を向けたため、ボールの行方を追っていなかった。そのため、次に視線を上げたときには、すぐ目の前にボールが飛んで来ている状況だった。女性は、ボールの直撃で右顔面骨骨折と右眼球破裂の重傷を負い、右目を失明した。
女性の実質勝訴となった民事裁判
女性は、安全設備・対策を怠ったファイターズ球団や球場を所有する札幌市、管理する法人の責任であると主張し、治療費や休業損害、後遺障害による逸失利益、慰謝料など総額約4659万円の賠償を求め、裁判を起こした。他方、球団、球場側は、十分な安全対策を講じており、女性が注意していれば回避できたなどと主張し、その請求を棄却するように求めていた。
2015年3月の札幌地裁判決は、女性の主張をほぼ全面的に認めた上で、女性の過失を否定し、球団や球場側に総額約4195万円の支払いを命じた。これに対し、先月20日の札幌高裁判決は、(1)球場側の責任を否定したものの、(2)球団の責任は認め、併せて(3)女性の過失も2割の限度で認めた上で、球団に総額約3357万円の支払いを命じた。
期限までに上告がなく、この判決はそのまま確定した。各判決がその結論を導いた考え方は、おおむね以下のようなものだった。
安全設備や対策は誰を基準とすべきか
(札幌地裁)
観戦の経緯や動機は様々で、性別や年齢層も幅広く、野球自体には知識や関心がないものの、子どもや高齢者の付添いとして来る者や、初めて球場で観戦する者も相当数存在する。野球のルールを知らない観客にも留意して安全設備を設け、安全対策を行う必要がある。
(札幌高裁)
観客は、相応の範囲で、プロ野球というプロスポーツの観戦に伴う危険を引き受けた上で、球場に来ている。通常の観客を前提として、通常有すべき安全性を欠いているか否かの判断をすべきである。
観客に求められる注意義務
(札幌地裁)
1試合で200球超の投球が行われる中、観客は声を上げたり鳴り物を使うなどして応援し、主催者側も観客席で飲食物の販売をしている。グラウンド内にある数十メートル先のボールから一瞬でも目を離すことが許されないとすることは、不可能を強いるものである。
(札幌高裁)
基本的にボールを注視し、ボールが観客席に飛来した場合には自ら回避措置を講じることや、幼い子供を同伴しているなどそれが困難になりそうな事情がある場合には、バッターボックスからなるべく離れた危険性が相対的に低い座席に座るなど、相応の注意が求められる。
臨場感か安全性か
(札幌地裁)
球場を訪れる者は多様であり、臨場感を最優先にしているとは限らない。視認性や臨場感を優先する者の要請や苦情に傾きすぎ、安全性を後退させることは妥当でない。
死亡や重大な傷害を防止するという生命・身体に対する安全対策の要請と、臨場感の確保という娯楽の程度を高める要請とを同列に論じ、全く補償すら要しないとすること自体、事の軽重を捉え違えた調和に欠けるものというべきである。
(札幌高裁)
臨場感も球場におけるプロ野球観戦にとっての本質的な要素。安全性の確保のみを重視し、臨場感を犠牲にして徹底した安全設備を設けることは、観戦の魅力を減殺させ、ひいては国民的娯楽の一つであるプロ野球の健全な発展を阻害する要因ともなりかねない。
選手に近い目線で野球観戦を楽しめるよう、ファウルゾーンまでせり出す形で観客席を設けている球場も複数あり、好評を博している。より一層の臨場感を求める観客らの要望を受けて、防球ネットの全部又は一部を撤去するなどした球場も複数ある。
安全措置は妥当だったのか
(札幌地裁)
球団・球場側と観客との間の契約の前提となる「試合観戦契約約款」には、次のような規定がある。チケット裏面にも、その旨の注意書きがある。
「観客は、練習中のボール、ホームラン・ボール、ファール・ボール、ファンサービスのために投げ入れられたボール等の行方を常に注視し、自らが損害を被ることのないよう十分注意を払わなければならない」
また、ドーム内の大型ビジョンでは、打球の行方に注意するように求める静止画や動画が表示され、場内アナウンスでも同様の注意喚起が行われていたし、観客席に入りそうなファウルボールが放たれた際、即時に警笛を鳴らす係員を配置していた。
しかし、こうした一般的な注意喚起では不十分であり、球団、球場側ともに、ボールから目を離すとわずかな時間のうちに高速度の打球が飛来してくる危険性があり、死亡や重大な傷害を負う可能性があることや、即座に上半身を伏せるなど打球の行方を見失った場合にとるべき具体的な行動の内容まで周知し、観客に意識付けをさせる必要があった。
(札幌高裁)
札幌ドームの内野フェンスは、特に低かったわけではない。他の安全対策をも考慮すれば、通常の観客を前提とした場合、プロ野球の球場が通常有すべき安全性を欠いていたとはいえない。
もっとも、多数来場する観客らの中には、危険性をあまり認識していない者や、自ら回避措置を講じることを期待し難い者も含まれている。
そのような者に対する危険性の具体的な告知や追加の安全対策等は、球場側ではなく、プロ野球の試合を主催する球団による興業の具体的な運営方法の問題と考えるべきである。
今回、小学生の招待試合を企画したファイターズとしては、確かに通常の観客との関係では相応の安全対策を行えば足りたが、少なくとも保護者らとの関係では、彼らの安全により一層配慮した安全対策を講じなければならなかった。
例えば、危険性が相対的に低い座席のみを選択し得るようにするとか、入場に際し、危険があることやその危険性が高い席と低い席があること等を具体的に告げ、保護者らに選択の機会を保障することなどだ。
自己責任の問題と女性の過失
(札幌地裁)
女性に過失はない。
女性は事故が起きた際、ふざけていたり、不必要に立ち上がったりなど、不相当な行動をとっていたわけではない。子供の様子を見ることが許されないのであれば、不規則な動きをする可能性のある子供の安全を守ることもできない。また、打球を見ていたとしても、打球を回避することができなかった可能性も高い。
女性側は内野自由席の中から今回の座席を選んだ。しかし、球団や球場側はその座席が他の座席よりも危険であると告げておらず、女性側も死亡や重大な傷害を負う危険性が高いことを分かった上であえて選んだわけでもない。
(札幌高裁)
女性にも過失がある。
女性は今回の事故までにファウルボールが観客席に飛んでくるのを見て少し危ないのかなと思っていた。夫が選んだ危険性の高い座席をそのまま受け入れて座っていた。しかも球場ではファウルボールの危険性に関する注意喚起が行われていたが、女性は打球の行方を見ていなかった。
今回の事故における過失の割合は、ファイターズが8割、女性が2割と認めるのが相当である。
試合観戦契約約款の免責条項
(札幌地裁)
「試合観戦契約約款」は、たとえ球団や球場側が責任を負うべき理由によって観客に損害が生じた場合でも、球団・球場側の故意または重大な過失によるものでなければ、賠償の範囲は治療費などに限定されるとしている。
しかし、この規定は球団や球場側の損害賠償責任の相当部分を免除しようというものであり、信義に反し、観客の利益を一方的に害するものであるから、無効である。
(札幌高裁)
各球団において多数の観客との間のチケット購入契約を大量にかつ平等に処理するためのものとして、契約約款の有用性は否定できない。
しかし、具体的な法的紛争において免責条項による法的効果を主張するためには、観客において、条項を現実に了解しているか、仮に具体的な了解はないとしても、了解があったと推定すべき具体的な状況が必要となる。
本件にはこうした状況はなく、球団側と女性との間に合意が成立したとは認められない。
また、賠償の範囲を限定した規定は、消費者契約法10条で無効の疑いがある(同条は、消費者の権利を制限し、義務を加重する条項で、信義誠実の原則に反して消費者の利益を一方的に害するものを無効とする規定)。
観客側に初めて軍配が上がるが、今回はやや特殊なケース
本場メジャーリーグのスタジアムには臨場感を高めるためにほとんど防球ネットがないが、危険を承知で観戦するといった自己責任論が強調されているので、訴訟になっても観客側の訴えが退けられている。
ピクニックエリアやラウンジ、子どもなど野球観戦に集中できない状況での負傷の場合、球団側が敗訴することもあるが、ごく稀だ。
これまでわが国でも、この種の訴訟では観客側の敗訴が続いてきた。観客側に初めて軍配を上げた今回の判決が他球団や他球場に与える影響は大だ。
客単価を上げるため、試合中に球場内でフード類やビールなどを販売して客席での飲食を可能にしたり、ファミリー客や野球初心者を球場に呼び込むために女性や子ども向けの企画を立てるなど、球団や球場側も野球観戦のテーマパーク化を図り、観客がボールに集中できないような環境を作り出しているからだ。
ただ、札幌地裁と違い、札幌高裁が球場側の責任を認めなかったのは、これまでのこの種の訴訟と同様に、野球のルールを知らない少数の観客ではなく、通常の観客を前提として安全性の判断をし、しかも臨場感の重要性をも重視しているからだ。
また、ファイターズの責任を認めたのも、保護者の同伴を要する小学生の無料招待試合という、今回の企画の特殊性を重く見たからだ。右目失明という悲惨な事故に遭った女性を救済しようという配慮が働いたことも否定しがたい。
通常の観客との関係では、あくまで相応の安全対策を行えば足りるとしている以上、今回の結論が観客に対するファウルボール直撃事故全般に広く当てはまるとはいいがたい。
判決には賛否両論あるだろう。わが国では市民の代表が裁判に関与するのは刑事事件の裁判員裁判だけだが、アメリカでは刑事事件のみならず民事事件にも陪審制が導入されている。皆さんだったら、今回のケースをどう判断するだろうか。(了)