北アイルランドでテロ 29歳女性記者が死亡 英国は穏便に離脱できないなら即時撤回を
「デリーは狂気の中にある」
[ロンドン発]英国の欧州連合(EU)離脱交渉のトゲとして残る北アイルランドでテロの犠牲者が出ました。1972年の「血の日曜日」事件で14人が死亡したデリーで18日夜、暴動の取材をしていた女性ジャーナリストのライラ・マッキーさん(29)です。
18日午後11時(現地時間)ごろ、暴動の警備に当たっていた警官隊に向かって銃を持った男が無差別に発砲。流れ弾がライラさんに当たったとみられています。ライラさんはその直前、暴動の写真とともに「今夜、デリーは狂気の中にある」とツイートしていました。
50個以上の火炎瓶が警察車両に向かって投げつけられました。英大衆紙デーリー・メールによると、他のソーシャルメディアに投稿された写真には銃を持った覆面男が写っており、銃弾を2発発射した数秒後に、道路の反対側で悲鳴が上がったそうです。
アイルランドのイースター蜂起(1916年)に合わせてイースター(今年は4月21日)の週末を狙った武装攻撃が起きるのを防ぐため、北アイルランド警察が関係先を捜索したのが暴動の発端です。
警察当局は、南北アイルランドの統一を目指すカトリック系過激派「アイルランド共和軍(IRA)」の分派「真のIRA(New IRA)」による犯行の疑いが強いとしてテロ容疑で捜査を進めています。今年1月にはデリー郊外の通りで自動車が爆発するテロも起きています。
メディアで働く30歳未満の30人に選ばれたライラさん
ライラさんは北アイルランドの首府ベルファストで生まれ育ちました。彼女のホームタウンは、プロテスタント系のロイヤリスト(英国に残ることを主張する過激派)に多くの地元住民が殺され、「殺人マイル」と呼ばれた地区でした。
3600人以上の犠牲を出した北アイルランド紛争の「レガシー(その後)」を集中的に取材し、バズフィードなどの媒体に出稿。米カリフォルニア州に拠点を置くニュースサイトの編集者も務めています。
米誌フォーブスはメディアで働く30歳未満の30人にライラさんを選出。昨年、地元のロバート・ブラッドフォード下院議員がIRA暫定派に暗殺された事件を取材したノンフィクション『青い顔をした天使』を出版し、来年に『失われた少年』を出す予定でした。
デリー&ストラベーンのジョン・ボイル市長は「意味のない暴力による死が私たちの通りで起きた。デリーの市民にとっては暗黒の日。ライラは聡明かつ知的ではっきり物を言うライター。機知に富み、温かく楽しいパーソナリティで皆から愛されました」とツイートしました。
ライラさんの死を悼むツイートが相次ぎました。下の写真の左がライラさんです。
ベルファスト合意から21年
北アイルランド紛争に終止符を打ち、和平をもたらした「ベルファスト合意」は昨年4月、20周年を迎えました。北アイルランドの住民たちが英国のEU離脱をめぐって再び対立を始めたため、「ベルファスト合意は次の20年を生き残れないだろう」と憂慮されていました。
1989年のベルリンの壁崩壊から30年。「和解」「協調」が進んだ世界は、ロシアや中国の領土拡張の野心、北朝鮮の核・ミサイル開発、中東の混乱、ブレグジット、ドナルド・トランプ米大統領誕生で「対立」「分裂」の時代に逆戻りしています。
60年代、米国の黒人たちが人種差別の解消を求めた公民権運動に触発され、デリーでも68年「2級市民」扱いされていたカトリック系住民が公民権運動デモを組織。雇用・公共住宅の割り当て・選挙区割りについてカトリック系をプロテスタント系と平等に扱うよう求めたのです。
72年、デリーを行進中のカトリック系住民が英軍に銃撃され、14人が死亡する「血の日曜日」事件を機に紛争はエスカレート。英国からの分離、アイルランドとの統一を主張して武装闘争に走るIRAと英国残留を唱えるプロテスタント系民兵組織が血塗られたテロを繰り広げます。
まさに「内戦」に陥った北アイルランドには最大2万1000人の英部隊が展開します。悲惨な紛争を終わらせるため、ジョージ・ミッチェル元米上院議員、トニー・ブレア英首相、ビル・クリントン米大統領らによる政治のリーダーシップで98年、ベルファスト合意が結ばれました。
「目に見えない国境」問題
ベルファスト合意では次のことが確認されました。
(1)英国とアイルランドは北アイルランドの領有権を主張しない
(2)北アイルランド住民の過半数が合意することなしに北アイルランドの現状を変更しない
(3)将来の帰属は北アイルランド住民の意志に委ねられる
(4)帰属が確定するまではプロテスタント、カトリック系政治勢力が共同参加する自治政府によって統治される
(5)北アイルランドとアイルランド間の国境管理をなくす
ベルファスト合意をきっかけに紛争に明け暮れていた北アイルランドに「春」が訪れます。ベルファストを泊まりがけで訪れる観光客は1999年の50万人から2016年には150万人まで増加。12%台だった北アイルランドの失業率は3%まで下がりました。
しかし、英国のEU離脱は忘れ去られていたアイルランド国境問題を燃え上がらせてしまいました。EUは単一市場・関税同盟と同時にベルファスト合意を守るため、北アイルランドと英本土間のアイリッシュ海に「目に見えない(規制の)国境」を設けることを主張したからです。
このため英国の強硬離脱派が「合意なき離脱」を主張しだしました。
米下院も強硬離脱を牽制
「英・北アイルランドとアイルランド間の国境管理をなくしたベルファスト合意を少しでも損なうようなことがあれば、米国と英国の間で自由貿易協定(FTA)が結ばれることはありません」
米民主党のナンシー・ペロシ下院議長は今月15日、英名門大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスでの講演でこんな警告を発しました。ペロシ議長は18日にデリーとアイルランド国境を訪れました。テロはその日の夜に起きました。
殺人未遂の罪で無期判決を受けた元IRAメンバーで、今はベルファストで観光ガイドとして働くピーダー・ウィラン氏(61)はこんな見方をしています。
「IRAに参加したことを後悔していない。カトリック系は『南北アイルランドの統一』を、プロテスタント系は『北アイルランドはイギリスの一部』という立場を崩しておらず、政治的な対立は残っている。英国のEU離脱で南北アイルランド統一の動きに弾みがつく可能性がある」
カトリック系のシン・フェイン党は南北アイルランド統一の住民投票を呼びかけ、EU残留を望むカトリック系住民の支持を取り付けようとしています。
2011年の国勢調査では90歳以上のプロテスタント系とカトリック系の人口比率は64%対25%。08年以降に生まれた人口比率は31%対44%と逆転しています。このままカトリック系の人口割合が増え続けると南北アイルランド統一は不可避になってきます。
英国社会を分断させるEU離脱
EU離脱の最大の問題は英国社会の分断を再燃させてしまうことです。テリーザ・メイ英首相は穏健離脱を実現できないなら、離脱手続きを撤回すべきでしょう。
残留派が2回目の国民投票を実施したいのなら5月の欧州議会選で離脱派に対抗するため小異を捨てて大同につくべきです。
「合意なき離脱」は絶対に回避しなければなりません。しかし、このままズルズル宙ぶらりんの状態を続けるのは英国にとっても国際社会にとっても何のプラスにもなりません。
3年前のEU国民投票で白人至上主義の極右に惨殺された英労働党のジョー・コックス下院議員とライラさんの死を決して無駄にしてはならないと思います。
(おわり)