日本社会を「破壊」し腐らせていくひとたち
年収の高い専門職を対象に、労働時間ではなく成果に基づいて賃金を払う「高度プロフェッショナル制度」をめぐって連合が大混乱に陥っています。政府が労働基準法改正案を国会に提出することを見込んで、残業時間の上限規制を条件に容認に転じたところ、これまで「残業代ゼロ法案」のレッテルを貼って反対してきた傘下の組合が猛反発して合意を撤回したのです。
とはいえ、これは連合の神津会長が安倍総理と直接交渉して決めたことですから、「あの話はなかったことにしてください」ですむわけがありません。日本の労働運動が大きな岐路に立たされたことは間違いないでしょう。
この出来事で興味深いのは、法案に反対するひとたちが、なぜ連合が「残業代ゼロ」を容認したのか理解できず思考停止状態に陥っていることです。彼らは「急に梯子をはずすのは裏切りだ」と怒り狂いますが、なぜ梯子をはずされたのかを考えようとしません。その理由はものすごくかんたんで、そもそも彼らは最初から間違っていたのです。
「共謀罪」については国際機関などから懸念が表明されましたが、「残業代ゼロ」の特徴はそうした“国際社会の連帯”がいっさいないことです。しかしこれは当たり前で、そもそもグローバルスタンダードでは、専門職が成果報酬と引き換えに「残業代ゼロ」なのは常識で、そうなっていない日本の雇用慣行が異常なのです。
この問題の本質は、終身雇用・年功序列の日本独特の雇用制度がかんぜんに行き詰まり、機能不全を起こしていることです。報酬が成果にもとづいていないなら、能力以外のなんらかの要素で給与や待遇を決めるしかありません。それは正社員という「身分」や男性という「性別」、日本人という「国籍」や勤続年数という「年齢」でしょうが、高い能力をもつ人材がこのような制度に魅力を感じるわけはありません。こうして日本企業は、グローバルな人材争奪戦からすっかり脱落してしまったのです。
連合は正社員の既得権を守るための団体でしたが、非正規の数が労働者の3分の1を超えるようになって「労働者の代表」を名乗る正統性が失われてしまいました。それ以前に、旧態依然たる労働慣行にしがみついて会社の経営が成り立たなくなれば、組合員の生活が破綻してしまいます。そう考えれば、「改革」以外に進むべき道はないと執行部が覚悟したのはよくわかります。
差別の定義とは、「本人の意思ではどうしようもないこと」でひとを評価することです。日本的雇用は「身分差別」「性差別」「国籍差別」「年齢差別」の重層化した差別制度で、セクハラ、パワハラや過労死・過労自殺、ブラック企業や追い出し部屋などのさまざまな悲惨な出来事はすべてここから生まれてきます。「働き方」を変えなければ、日本人が幸福になることはできないのです。
ところが現実には、既得権にしがみつきあらゆる改革を「雇用破壊」と全否定するひとたちが(ものすごく)たくさんいます。しかも奇妙なことに、彼らは自分たちを「リベラル」と名乗っています。
連合をめぐるドタバタ劇は、誰が日本社会を「破壊」し腐らせていくのかをよく示しています。本人はまったく気づいていないでしょうが。
『週刊プレイボーイ』2017年8月7日発売号 禁・無断転載