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全豪OP予選レポ:敗戦も、1年6カ月ぶりの“完走試合”。元日本トップの森田あゆみが語る復帰への道のり

内田暁フリーランスライター

「試合に出られないことに比べれば、大したことではありません」

かつてグランドスラム本戦を当然の戦場とした彼女が、“ランキング外”というゼロからの再スタートを余儀なくされる――その困難について問われた時、森田あゆみは、強い口調で断言しました。

全豪オープン予選の初戦で森田は、同世代の119位の選手に1-6、2-6で敗退。しかしそれは彼女にとって、一昨年のウィンブルドン予選以来、実に1年6カ月ぶりとなる“最後まで戦い抜いた試合”だったのです。

2011年には世界ランキング40位に達し、20歳の頃から常に日本のトップランナーだった森田の苦しみの時は、2013年から始まりました。全豪オープンやマイアミオープンで3回戦に達するなど、戦績やテニスの内容的には、心技が統合され始めた実りの時期。しかし慢性的な腰と手首の痛みが、彼女の快進撃を妨げます。テニスが充実し勝ち上がる度に、棄権を強いられるもどかしさ。この年、彼女の棄権敗戦は5回を数えました。

翌2014年も4月までの短期間に3度途中棄権した森田は、周囲の「一度休んで、しっかり治した方が良い」のアドバイスもあり、7月以降コートを離れます。

復帰戦は、約8カ月後の翌年3月。復帰早々にフェドカップ代表に呼ばれた森田は、シングルスで勝ち星をつかむとダブルスにも出場し、完全復活を印象付けました。

しかしその頃から、右手首にしばしば耐えがたい痛みを覚えるようになります。

「ランキングを戻したい、もうコートを離れたくない……」

切迫した想いから痛み止めを打ちコートに立ち続けるも、6月のウィンブルドン予選の時には「もうムリだ」と悟ります。テニス選手の命とも言える手首にメスを入れたのは、その僅か3週間後でした。

手術後最初の公式戦は、昨年6月の台北ITFトーナメント(下部レベルの大会)。しかし40度に迫る暑さのなか、第1セット途中での棄権を余儀なくされました。

次の復帰戦は、今年の年明け早々のブリスベン大会予選。この時はテニスの調子そのものは良かったものの、久々の試合と動き過ぎる身体が災いし、第2セット途中で足に痛みを覚えて棄権します。

だからこそ、今回の全豪予選を最後まで戦い抜いたことは、敗戦とはいえ彼女にとって一つの大きなステップでした。

試合から約1時間後――森田は復帰への道のりと、久々の実戦の空気の中で感じたことを、自らの言葉でしっかりと語ります。

最も足りないと感じたのが、「リターン時の反応スピード」。特に大事なポイントになるほど、緊張して身体に余計な力が入ることを自覚していました。

同時に、ケガの功名とでも言うべき利点の発見もあったと言います。その一つが、スライスサービスの向上。

「以前よりもワイドへのキレが良くなって……この感覚を、ずっと忘れずにいられると良いんですが」。

そう言って浮かべる笑顔からは、そして「試合に出るだけで満足できるかと思っていたけれど、コートに立ったらやっぱり勝ちたい」と言う語気からは、長くコートを離れていた陰は感じられません。弱気な言葉も、彼女の口から発せられることはない。

「ランキングも戻したいけれど、焦るのも良くない。そこのバランスを考えて行きたいです」

そんな前向きな言葉で、数人の取材者による囲み会見は締めくくられました。

■「なんど、もう止めようと思ったことか……」森田が吐露した本心■

その囲み取材が解散した、去り際でのこと――。

「どうして、そんなにポジティブでいられたの?」

思わずそう問うと、森田は軽く抗議するかのような口調で、言いました。

「ポジティブでなんかいられませんでしたよ。なんど、もう止めようと思ったことか……」。

それはそうです。当たり前だ。ずっとポジティブでなんて、いられたはずはない。

「一番辛かったのは、手術した3カ月後くらいから少しずつ練習を始めて、でも痛みは消えずに、むしろ手術前よりも悪くなっているくらいで……。

柔らかいボールから普通のボールに変えて、でもそうするとまた痛みが出るので、また柔らかいボールに戻して……」

少し前進したと思えば、またスタートラインまで……いや、それよりも後ろまで引きずり戻されるような日々の繰り返し。投げ出しそうになったことは、一度や二度では無かったはずです。

それでも彼女が前に進めたのは、常に側で励まし続けてくれる丸山淳一コーチや、リハビリを支えてくれた人々の存在があったから。

「周りの方々には、私は本当に恵まれていたと思います」。そう彼女は言いました。

「過去を振り返り、もしあの時こうしていれば……と悔いることはある?」

酷な質問だと分かりながらも聞くと、彼女は視線を落とし、記憶を巻き戻すようにしばし黙した後に、明言します。

「腰も手首も、無理して出ていたり、大丈夫かなと思っていたところはあるかもしれません。でも私の場合は、長い積み重ねの中でしたケガなので、振り返って後悔はしたくないです。後悔したら、自分のテニス人生を否定してしまうことになるから」。

積み重ねてきた過去を、あゆんできた道を否定したくない――。

過去を受け入れ、焦る気持ちを抑えながらも、彼女は今再びスタートラインに立った事実を、静かな矜持とともに噛みしめているようでした。

※テニス専門誌『スマッシュ』のfacebookより転載。連日大会レポート等を掲載しています。

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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