金正恩氏は自己顕示欲と反中で核と「ロケット」強行した (1) 隠そうとしなかった中国への反発
金正恩政権が、四度目の核実験と「ロケット」発射にいつかは踏み切ると考えられていた。技術向上とその示威に実験が欠かせないからだ。ここで考えたいのは、なぜこの時期に強行したのかである。そこに北朝鮮の内部事情、金正恩氏の性向と苦悩が透けて見えるからだ。二回に分けて整理する。(※北朝鮮は「人工衛星発射」と称しているが、本稿では「ロケット」とする)
金正恩政権が1月6日に核実験を強行したことは、外部世界から見る限り、その時期もやり方も、外交的、経済的に時宜を外した非合理な判断だったと言わざるを得ない。5月に予定している36年ぶりの労働党大会を前にした重要な時期に、最大の支援国、経済依存国である中国を、あえて自ら遠ざけ、怒らせるやり方を取ったからだ。
まず、昨年夏以降の対中関係を簡単に振り返っておこう。
9月3日 北京で抗日戦争勝利記念行事。北朝鮮からは崔龍海(チェ・リョンヘ)党書記参席。韓国の朴槿恵(パク・グネ)大統領は厚遇受ける。
10月10日 朝鮮労働党創建70周年記念行事に中国の最高指導部の一人、劉雲山共産党政治局常務委員が訪朝。
10月30日 朝鮮労働党第7回大会を5月初めに開催と発表。金正恩氏の2016年訪中の可能性が日韓メディアで報じられる。
(参考 毎日新聞http://mainichi.jp/articles/20151031/ddm/002/030/142000c)
12月10日 モランボン楽団が北京入り。
朝鮮中央通信は同日、金正恩氏が平川(ピョンチョン)革命史跡地を現地指導した際、「水素爆弾を保有」と述べたと伝える。中国外務省スポークスマンは即座に「朝鮮半島の情勢は敏感な状況にあり、関係国は緊張緩和に役立つ行為をするように望む」と牽制した。
12月12日 モランボン楽団が北京公演を突如取り消して帰国。
12月29日 金養健(キム・ヤンゴン)統一戦線部長が急死。
2016年
1月6日 核実験実施。中国に事前通告なし説あり。
関連記事:北朝鮮住民から核実験に不満の声
2月2日 中国の武大偉氏の訪朝当日に「ロケット」発射日を予告
2月7日 「ロケット」を発射
昨年末までの動きは、今年5月に開催を予定される第7回労働党大会までに金正恩氏の訪中を含めた高位級の交流を復元させ、朝中関係を修復に向かわせる流れが始まったと思われていたが、12月12日のモランボン楽団の公演「ドタキャン」で一変してしまったように見える。
金正恩政権の中国への反発の理由は何だったか? 韓国政府関係者は筆者の取材に次のように理由を述べた。
「習近平政権が核実験の停止を金正恩訪中の条件として提示して譲らなかったことと、北朝鮮側が、党大会に向けて要請した大規模支援に色よい返事がなかったからだと見ている」
関連記事:習近平「北核保有・核実験反対」
1月6日に突然の核実験を強行した後、北朝鮮メディアには中国への強い反発が続々と現れて来る。この日、北朝鮮メディアは金正恩氏が核実験命令書にサインしていたことをわざわざ写真入りで報じたが、サインしたとされる日付は昨年12月15日であった。モランボン楽団の北京公演ドタキャンの3日後だ。
1月7日付の労働新聞。核実験の正当性を主張する論説には、次のような一節があった。
「これまで、米国の核脅威・恐喝を受けるわが国をどの国も救おうとしなかったし、同情もしなかった。わが軍隊と人民は厳酷な現実から、自分の運命はもっぱら自力で守らなければならないという鉄の真理を心に深く刻み付けるようになった」
「どの国」が中国を指しているのは間違いない。
さらに、1月11日放映の朝鮮中央テレビの映像では、昨年10月の党創建70周年記念式典に出席した中国の劉雲山の姿が消されていたと報じられている。そして前述したとおり、中国の6カ国協議首席代表の武大偉氏が平壌を訪問したその日に「ロケット」発射を予告した。
これらのことから、このタイミングでの核実験強行には、金正恩氏の中国に対する反発、あるいは強いメッセージがあったことが容易に理解できる。それでは、なぜ金正恩氏は中国への反発を露わにしたのだろうか? そこには、5月に予定される党大会に合わせて内外に「一人前の強い指導者」であることを示したい金正恩氏の自己顕示欲があったと思われる。(続く)