「私、左耳が聞こえません」告白で変わり始めた世界 ~ 片耳難聴 野々山理恵さんの一歩 ~
【「私は聞こえる人でも、聞こえない人でもないんです」】
3月3日は「耳の日」。聴覚障害者に対する社会的な関心を盛り上げるために制定された。しかし、その「関心」から抜け落ちている人々がいる。片耳だけが聞こえない「片耳難聴」の人たちだ。1,000人に1~2人の割合でいるとされ、困っていることが外から見えづらいため悩みを抱え込むことも少なくない。
生まれつき両耳が聞こえない筆者の私も、地元の学校から聾学校(特別支援学校)に転校したばかりの頃は、手話が分からず自分のアイデンティティーに悩んだ時期がある。片耳が聞こえない人たちはどんな悩みを抱えているのだろうか。名古屋市千種区の介護付き有料老人ホームで働く片耳難聴の野々山理恵さん(39)を取材した。
【「聞こえる」か「聞こえないか」か、の違和感】
「片耳が聞こえないことにできるだけ鈍感に生きています」。取材が始まった当初、野々山さんはたどたどしい手話で話した 。「かわいそう」と思われたくなくて、片耳が聞こえないことをあまり自己開示してこなかったという。
5歳でおたふく風邪にかかり、左耳が聞こえなくなった野々山さん。右耳は聞こえるため、発話は聴者と同じようにできる。小学生の頃は友人に左耳が聞こえないことを明かさず、当時の同級生も「(彼女が)片耳が聞こえないとは知らなかった」という。だが中高時代になると友人の言葉がうまく聞き取れず、聞き直して「もういい」と言われることが増えた。嫌われるのが怖くて、周囲が笑ったら合わせて笑い、驚いたら自分も驚いてみせた。社会人になって初めて、思っていた以上に会話がすれ違っていたことや、周囲の人より得られる情報量の少なさに気付いた。
転職活動中、履歴書に片耳が聞こえないことを書くと、面接で「補聴器はつけないのですか」「障害者手帳は持っていますか」と聞かれた。「私は聞こえる人と同じように話せているのに」と面接官の大げさな扱いに違和感を覚えた。就ける仕事も安月給のものばかりだった。「片耳は聞こえるのに」とやりきれない思いになった。
「私は聞こえる人でも、聞こえない人でもないんです」。ただ、片耳が聞こえない状況を周囲に理解してもらうことも簡単ではなく、野々山さんは自己開示を避けてきた。
【雰囲気を壊さないために分かったふり】
片耳が聞こえないと、どんな困難があるのか。
野々山さんによると、まずは騒がしい場所や多人数による会話での聞き取りだ。どの方向から声が聞こえているのか分からないため話者を判別しづらく、聞き取りに集中するため疲れやすい。その一方で、自身の発話には問題がないため、片耳が聞こえないことを相手に先に伝えていても、理解してもらえずに必要な配慮を得られないこともある。場の雰囲気を壊さないために分かったふりをし、片耳難聴であることを伝えるタイミングも難しいという。
こうした悩みに当事者はどう対処すればいいのか。
言語聴覚が専門で、自身も片耳難聴の高井小織・京都光華女子大准教授によると、周囲から気づかれにくい片耳難聴者は、「明るい自己開示」が効果的だという。たとえば席に座る際に「私は左耳がきこえないので、ここに座るね」などと事前に積極的に伝えることが、「話をちゃんと聞いていない」といった相手の誤解を防ぐことにつながる。他方で周囲の人が片耳難聴者に声をかける時は聞こえる耳側で話したり、静かな環境を選んだりすることもスムーズなコミュニケーションのために有効だ。
野々山さんは32歳の時、突発性難聴で1年ほど右耳も聞こえなくなったことがある。「このまま聞こえなくなったらどうしよう。仕事も休むことが多くなると生活ができない」と不安になった。
「両耳が聞こえなくなってもコミュニケーションをしたい」。以前の職場で手話を使うろう者と接した時から関心もあり、手話を学び始めた。2017年5月から働いている現在の介護付有料老人ホームで、職員同士はインカムでコミュニケーションをとっている。ただ、野々山さんが聞こえる耳でインカムをつけると周囲の他の音を聞き取れなくなる。これを受けて昨年の秋、インカムなしでコミュニケーションがとれるようにスピーカーが導入された。野々山さんは「周囲が片耳難聴のスタッフがいることを頭の片隅に留めてくれることが、とても嬉しい」と話す。
【交流で変わり始めた意識】
昨夏、野々山さんは大学の講義で、初めて人前で片耳難聴の経験を話す機会があった。片耳難聴の学生がいたため講演の依頼を受けたのだ。そこで片耳難聴の男子学生が自分と同じ悩みを抱いていることを知り、同じ立場の人たちに関心を持った。インターネットで片耳難聴を調べ始め、他の当事者の経験にも共感。「もっと同じ立場の人に会ってみたい」と思った。
ただ片耳難聴者には、悩みを打ち明けて共有できる場がほとんどない。日本耳鼻咽喉科学会の推計では一定数の片耳難聴者がいるとみられるが、なぜ当事者組織がないのか。
高井准教授は「片耳難聴者は同じ境遇の人が大勢いるのを知らないことが多く、また悩みながらも当事者組織に参加するほどのニーズは感じていないのではないか」と分析する。しかし、「片耳難聴ならではの孤独感や悩みを分かち合いたいと思った時のためにも必要です」と当事者組織の必要性について触れている。
当事者が交流できる場を作ろうと、高井准教授ら有志が昨夏、日本で初めての片耳難聴の当事者組織「きこいろ」を設立。各地で当事者らの交流会を開き、一般向けの研修も行っている。
野々山さんは今年1月、きこいろの集まりに申し込んだ。それは野々山さんの踏み出した小さな一歩だった。「片耳難聴の人と出会えること、つながれることが楽しみ」と今後に期待を寄せる。
「私は、左耳が聞こえません」。
片耳が聞こえないことに鈍感に生きてきた野々山さんは、自分と同じ立場の片耳難聴の学生や高井准教授との交流を通じて、自身が片耳難聴であることを意識するようになった。明るい自己開示を目指して、自分自身を表現する言葉を探している。
【「聞こえる世界」と地続きの「聞こえない世界」】
「『聞こえる世界』と『聞こえない世界』が対立してあるのではない」。取材で知った高井准教授のこの言葉を取材後、改めてかみしめている。ふたつの世界の間には、そのどちらにも分類できない人たちがいて、さまざまな聞こえ方や聞こえにくさ、コミュニケーションの方法がある。ふたつの世界は分断されているのではなく、続いているのだ。取材で聞いた野々山さんの歩みを反すうしながら、筆者も過去の経験に思いを巡らせた。
私は両耳が全く聞こえない。聾学校幼稚部では発音の練習や相手の口の動きで話を理解する「読話」を学んだ。現在は、発話や筆談、手話でコミュニケーションをとっている。
しかし、誤解されることは多い。声で話すと「少しは聞こえるのか」と勘違いされ、誤解を防ぐためにあえて筆談を使うと、今度は「話せないのか」と思われる。そのたびに私は「全く聞こえていないけど、話せるよ」と思う。もし、「『聞こえる世界』と『聞こえない世界』は地続き」という認識が広がれば、このような誤解を受けることは少なくなるのかもしれない。
大切なのは、当事者の一人ひとりが自分を表現する言葉を持ち、 自身のコミュニケーションの方法を相手に伝えることだ。そして受け手としても、相手を「聞こえる人」か「聞こえない人」かの枠にはめるのではなく「ひとりの人間」として受け止めるようにしたい。
聞こえる世界にも聞こえない世界にも入れなかった私の思春期。もし、あの時にふたつの世界が地続きなのだと知っていたなら、悩むことなく「世界はなんて豊かなんだ」と前向きになれたかもしれない。
クレジット
取材・撮影・編集:今村 彩子
文字起こし:野村 和代・林 政世
整音:新美 滝秀
協力
京都光華女子大学 高井小織准教授
ライフ&シニアハウス千種
名身連聴言センター
手話サークル「ててての会」
手話の会「もみじ」