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「妊娠中絶禁止」が合憲となるアメリカ:最高裁判決の事前リークとその決定が与える政治的インパクト

前嶋和弘上智大学総合グローバル学部教授
報道後、「妊娠中絶禁止」が合憲となることに強く反発する人たち(2日、最高裁前)(写真:ロイター/アフロ)

 連邦最高裁が間もなく決定を下す予定だった人工妊娠中絶の合憲性を巡る訴訟の判決結果がリークされた。妊娠中絶禁止を合憲とするこの最高裁決定が生み出す政治的影響は底知れない。

リークされた判決の背景

 政治専門ウェブサイト『ポリティコ』は5月2日、中絶の権利を認めた1973年の「ロウ対ウエード判決(Roe v. Wade)」を覆すことに9人の判事のうち過半数以上が賛成していると報じた(1)

 今回の訴訟は州独自の厳格な妊娠中絶規制を導入したミシシッピー州に対し、同州内で中絶措置ができる唯一のクリニック(Jackson Women's Health)やそれを支援する女性団体が訴えたものだった。73年の決定の見直しの有無は、7月はじめまでの今期の最高裁の目玉争点として一番最後に決定が下されるように位置付けられていた。

 人工妊娠中絶についての賛否は、日本でいえば憲法9条のように国民を大きく割る「くさび型争点」である。それほど重要な判決内容が事前に外に出ることはあり得ない話だ。逆にいえば、『ポリティコ』の報道は、アメリカのメディア史に残る世紀のスクープであるといっても過言でない。今後誰がどのようにリークし、記事化したのかも大きく注目されるだろう。

 筆者自身はリークには驚いたが、結果は大方予想していた。というのも、9人の判事のうち6人が保守の「超保守」(2)となった今の最高裁の構成でこの73年判決が覆されることは規定路線とみていたためだ。

 最高裁の審理は録音音声が公開される(3)。昨年の12月の審理を筆者も繰り返し聴いたが、その段階でミシシッピー側の勝訴(中絶禁止の州法の合憲性の確認)は明らかだった。

 同じようにとった識者も多かっただろう。このように事前に結果が予想できたため、全米規模での妊娠中絶禁止につながる最高裁の動きに対して、強い反感を持つ人物が事前にリークしたものと思われる。

 もちろん判決はまだ出ていない。未曾有のことなので分からないものの、リークで判決が変わるとはなかなか考えにくい。

 ロバーツ最高裁長官が急遽発表したステートメントは苦し紛れの答弁だった。リークされたアリート判事の多数派意見は「本物」だが、「まだ最終的な判決は出ていない」とのことだ。ただ、「多数派意見が本物」なら、それは73年の「ロウ判決」が違憲であり、州による中絶禁止の州法が合憲となることを意味する。

 本稿は以下、「ロウ判決」が49年ぶりに覆されることになり、中絶規制は州の権限で任されることになるという前提で論じる。

妊娠中絶をめぐる政治との関係

 妊娠中絶禁止派は「プロライフ」といい、その中心がキリスト教保守派(宗教保守)だ。これに対して、「妊娠中絶は女性の選択の権利である」とするのが「プロチョイス(妊娠中絶容認派)」である。

 「ロウ判決」以降、宗教保守は一気に政治化していく。「命を殺めることは許さない」と訴え、宗教保守は妊娠中絶を規制させることに全力を尽くし、共和党の支持母体になっていく。まずは1980年の大統領選挙が端緒だった。宗教保守が多い南部がレーガン政権以降次第に共和党化していく。

 1992年には最高裁は再び、中絶を取り上げた(「ケーシー判決(Planned Parenthood v. Casey)」)ものの、結果は変わらなかった。その時の挫折感もあり、宗教保守はさらに共和党に入れ込んでいく。G・Wブッシュ、トランプの当選の決め手が宗教保守との連携だったように、今では共和党の最大の支持母体となっている。

 また近年、州の政治と宗教保守との関係もさらに深くなっている。「ロウ判決」で全米で妊娠中絶が容認されていても、州単位で独自に州法を作り、中絶を事実上を禁止する南部や中西部の州も近年、増えている。規制の多くは、母体が危機的な状況のみを例外とし、レイプで妊娠の場合でも中絶を禁じるような厳格なものだ。

中間選挙への影響

 5対4とされているが、最高裁の審理の詳細な結果まではリークされていない。しかし、いずれにしろ、判決の結果が1カ月ほど早く漏れた形となる。

 判決の持つ政治的意味は非常に大きい。プロライフ側は約50年ぶりの勝利を勝ち取ることになる。宗教保守は歓喜する。対照的にプロチョイスを中心とするリベラル派の怒りは収まらないだろう。

 ちょうど中間選挙の予備選が本格化しつつあるタイミングを狙ってのリークだった。低投票率の中間選挙では、動員を決めるのが現状の政治に対する強い感情である。今年の場合、バイデンに対する共和党支持者の怒りが優勢だったが、このリークで民主党支持者が刺激される形になるかもしれない。

 最高裁の裁定の際に、意見が割れた場合には多数派と少数派の意見が開示される。

 リークされた多数派意見のアリート判事の多数派意見は次の通りである。

「『ロウ判決』は最初から大きく間違っていた。理由は極めて脆弱であり、この判決は有害な結果をもたらした。そして、『ロウ判決』と『ケイシー判決』は、中絶問題の全国的な解決をもたらすどころか、議論を燃え上がらせ、分裂を深めてしまった」

 一読して、プロチョイスのリベラル派からすればかなり一方的な記載にみえる。

 「ロウ判決」では憲法修正第14条のデュープロセス条項はプライバシー権を国家の行為から保護するものであり、中絶を選択する女性の権利をプライバシー権の範囲内と判断した。それをアリート判事は「理由は極めて脆弱」と断じたのだ。

 この判断をリークをした人物は耐えられなかったのかもしれない。リークをした人物と同じような意見を持つ人たちにとって中間選挙は現状を変えていく一歩になる。なぜなら大統領に任命された判事の承認は上院に決定権があるためだ。

 現在は上下両院でほんのわずかな数だけ民主党が上回っているが、各種世論調査などをみると、中間選挙では下院では共和党が優勢だとみられているが、上院は大接戦だ。

世論と議会の動き

 政治的な動きの背景となるのが、実際の判決にみえる社会の分断である。プロライフが喜ぶ中、実際に中絶をどうしても迫られる人たちにとっては様々な困難がある。

 最新の世論調査を見ると「ロウ判決」の維持の方が多い。ABCニュース/ワシントン・ポストが4月22日に行った世論調査によると、54%が「判決を維持すべき」と答え、28%が「判決を覆すべき」、「分からない」が18%となっている。

 「すべてあるいはほとんどのケースで中絶を合法とすべき(中絶容認)」とするのが58%であり、「すべてあるいはほとんどのケースで中絶を違法とすべき(中絶禁止)」は37%となっており、「人工妊娠中絶禁止」を合憲とする判決と国民世論との差は確実にある(4)

 一方で13の州が既にトリガー法を制定しており、「ロウ判決」が覆された場合には直ちに中絶が違法となる。この13州を含めて、既に全米で26州が中絶へのアクセスを大幅に制限する可能性があるとされており(5)、中絶禁止の合法化にさらに弾みがつく。さらに2015年に最高裁が合憲とした同性婚の非合法化も「ロウ判決」後の宗教保守の次のターゲットだ。

「中絶容認(プロチョイス)」と「中絶禁止(プロライフ)」の州がくっきり分かれて対峙する世界は、大統領選挙の「ブルー(民主党支持者が多い州)」と「レッド(共和党支持者が多い州)」と重なる。世論の方はプロチョイスがの方が多いのも総人口は「ブルー」が多いのと同じだ。

 議会では各州の中絶禁止に何らかの規制を設けようという動きが民主党側から上がっている。民主党は上下両院で現在、多数派だ。しかし、上院では反対が41票あれば59票を止めることができるフィリバスターがあるため、安定多数である60議席がなければ法案が通らない。民主党の議席数は50であり、到底及ばない(50対50の際には上院議長である副大統領が1票を入れるため、51票にはなるが)。さらにフィリバスター規則を変える動きも出ているが、民主党内保守のマンシン議員が賛同していない。

実際の判決後に何が起こるのか

 では、実際の判決後に何が起こるのだろうか。

 73年のロウ判決まで中絶の権利は州単位で決まっていたため、「望まない妊娠」の場合、州を超えて中絶クリニックに行かざるを得ず、不衛生で危険な非合法処置が蔓延し、様々な悲劇が起こっていた。これと同じような状況になるかもしれない。

 このあたりは、96年の映画「If These Walls Could Talk」(邦題「スリーウイメン/この壁が話せたら」)が参考になる。

 この映画では時代を超えて同じ家にたまたま住み、同じように中絶に直面した3人の女性主人公の様子が描かれている。1952年編、1974年編、1996年編と22年の時を隔てた3部構成だ。

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 「ロウ判決」前の1952年編は悲劇そのものだ。デミ・ムーア演ずるシカゴ郊外に住む夫を亡くした看護師が義兄の子を身ごもり、亡夫の家族を傷つけないために中絶を決意する。しかし、中絶は違法であるため、プエルトリコの中絶医を紹介されるが、航空券代もあるため、費用は到底、賄えない。自分で編み針で妊娠を終わらせようとした後、別の友人に処置をしてもらう。中絶には成功するが、大量出血のため主人公は間もなく死亡する。

 74年編の主人公(演:シシー・スペイセク)は、生活が貧しい中での懐妊で中絶を考えるが、最終的には命の重さを考え、子供を産むことを選択する。

 52年編も悲劇だが、アン・ヘッシュ演ずる96年編の主人公も悲しい現実に直面する。96年編では、教授と不倫の後、妊娠した女子大生が、教授から別れを告げられる。もらった手切れ金を使って、中絶を決意する。中絶クリニックに向かうが、激しいプロライフ側のデモに遭う。デモがクリニックを囲む中、手術を行うことになった。手術が終わった直後、デモ隊が侵入し、主人公の目の前で医師(演・シェール)を撃ってしまう。

 今回の判決で96年編の世界の行き着く先は、52年編の時代となる。

 まるで時計が逆回りしているのがアメリカの現在である。

(1)https://www.politico.com/news/2022/05/02/supreme-court-abortion-draft-opinion-00029473

(2)https://news.yahoo.co.jp/byline/maeshimakazuhiro/20210716-00247210/

(3)https://www.supremecourt.gov/oral_arguments/audio/2021/19-1392

(4)https://abcnews.go.com/Politics/supreme-court-poised-reverse-roe-americans-support-abortion/story?id=84468131

(5)https://www.guttmacher.org/article/2021/10/26-states-are-certain-or-likely-ban-abortion-without-roe-heres-which-ones-and-why

上智大学総合グローバル学部教授

専門はアメリカ現代政治外交。上智大学外国語学部英語学科卒、ジョージタウン大学大学院政治修士課程修了(MA)、メリーランド大学大学院政治学博士課程修了(Ph.D.)。主要著作は『アメリカ政治とメディア:政治のインフラから政治の主役になるマスメディア』(北樹出版,2011年)、『キャンセルカルチャー:アメリカ、貶めあう社会』(小学館、2022年)、『アメリカ政治』(共著、有斐閣、2023年)、『危機のアメリカ「選挙デモクラシー」』(共編著,東信堂,2020年)、『現代アメリカ政治とメディア』(共編著,東洋経済新報社,2019年)等。

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