世界王者を支える異色トレーナー、野木丈司の壮絶ボクシング人生(後編)
ボクシングのWBC世界フライ級チャンピオン、比嘉大吾(白井・具志堅スポーツ)のトレーナー、野木丈司は絶望の淵をさまよっていた。プロボクサー人生を棒に振り、ボクシングという夢をあきらめ、ひたすら無感動に日々を送っていた。90年代半ばの話である。
投げやりな毎日に転機が訪れたのは、ある偶然がきっかけだった。勤めていたスポーツクラブに、ボクシングリングが設置されることになったのだ。するとそこに、ジムの一時閉鎖で練習場所を失ったプロボクサーがやってくる。河合丈矢という中量級の選手だった。どちらが声をかけたのか、野木が河合を指導するようになっていた。
生きる目標を失って5年、大きな転機が訪れる
「丈矢が本当に一生懸命なんです。教えている自分もいつの間にかのめりこんでいた。もう人生で一生懸命になるのはやめようと思っていたんですけどね」
1998年12月、野木は河合の試合で初めてセコンドに入った。翌年、河合が日本スーパー・ウェルター級王座を獲得。初めて教えた選手が日本チャンピオンになったのだから、気持ちは高揚した。さらに2000年のシドニー五輪が、新米トレーナーの心に火をつけた。
「小出監督の教え子、Qちゃん(高橋尚子)が金メダルを獲得する姿を見て、もう気持ちをおさえられなくなりました。自分も小出監督のような指導者になりたい。もう一度熱くなりたい。トレーナーとして本気でがんばってみよう。そう決意した瞬間でした」
キューバで開眼「フィジカルこそが最高の技術」
野木のトレーナーとしての特徴は、フィジカルトレーニング、つまりは体力、体づくりを重視していることである。きっかけはアマチュアで圧倒的な強さを誇るボクシング大国、キューバの練習を2000年に現地で視察したことだった。
「彼らは技術系の練習が少なくて、体力トレーニングにものすごく時間を割いている。これはちょっと驚きでした。だって日本人より身体的に恵まれているように見えるキューバ人が鍛えまくっているんですよ」
外国人にはパワーでかなわないから、技術で勝負する。それが間違っているわけではないが、日本のボクサーやトレーナーは、あまりにもフィジカルを軽視しているのではないか。野木はキューバの練習を目の当たりにし、強くそう感じた。
「(パワーやスピード、スタミナといった体力を)フィジカルって言いますけど、自分はフィジカルを技術の一つに位置付けています。もちろんさまざまな技術が重要なのですが、あらゆる技術の中で一番有効なのがパワーとスピード。私はそう考えているんです」
帰国後、野木は河合のV3に貢献し、具志堅用高の誘いで、白井・具志堅スポーツジムを指導の拠点とする。ジム内の選手だけでなく、WBC世界フライ級チャンピオンの内藤大助、さらにはキックボクシングや総合格闘技の選手にも門戸を開き、広くトレーニングを指導した。
世界王者を育てられず、トレーナーとしての挫折
独自のトレーニングが評判になる一方で、野木は指導者として「ボクシングの世界王者を育てる」というミッションを成し遂げられずにいた。
チャンスは2度あった。06年、手塩にかけた嘉陽宗嗣がWBC世界フライ級暫定王者ワンディー・シンワンチャー(タイ)に挑み、15年には、江藤光喜がWBC世界スーパー・フライ級王者カルロス・クアドラス(メキシコ)に挑戦した。試合はいずれも判定負け。江藤は13年にタイでWBA暫定王座を獲得しているが、これは日本では未公認のタイトルである。
嘉陽も江藤も具志堅が故郷の沖縄からスカウトし、並々ならぬ熱意で世界王者に育てようとしていた選手だった。そして具志堅は選手育成の多くを野木にゆだねていたのだ。
だからこそ野木は責任を痛感した。嘉陽はピーキングに失敗し、江藤はクアドラスの戦略を見誤った。敗因は一つに限定できるものではないが、野木の力が及ばなかったことは事実である。クアドラス戦が終わり、野木は具志堅に「辞めさせてください」と申し出た。
このとき、2人の話し合いは5時間にも及んだという。
「自分としてはけじめをつけたいと。でも会長も必死でした。『大吾が世界チャンピオンになれなかったらジムを辞めるつもりだ。だからお前が大吾を世界チャンピオンにしろ。もう1回がんばろう』と。そういう話を延々として、最後はこちらから『もう一度やらせてください』ということになりました」
“神様からのプレゼント”比嘉大吾にかける
このとき比嘉はデビューから8連続KO勝利をマークし、WBCユース王座を獲得するなど、将来の世界王者候補として注目され始めていた。「会長に説得されて、そこからは大吾100%という感じになりました」。具志堅にとっても、野木にとっても、ラストチャンスといえる戦いが始まった。
話は横道にそれるが、比嘉がデビューして間もないころ、野木は比嘉を小出に会わせている。小出は比嘉と握手をかわしただけで、次のように語ったという。
「オレみたいなバカだって何十年も一生懸命やってると、かけっこの神様がプレゼントをくれるんだよ。それがQちゃんだった。お前にもようやくプレゼントがきたな」。
野木は小出という人物の不思議な能力に驚かずにはいられなかった。
「比嘉がまだルーキーのころの話ですからね。でも結果としては監督の言う通りになりました。小出監督って昔からそういう超能力的なところがあるんですよ」
“神様からのプレゼント”たる比嘉は、力強い連打でノックアウトを量産していった。強打を振るってもバランスを崩さない身体の強さの源は、野木の課すトレーニングであり、それを忠実にこなし、フライ級では驚異的と言える肉体を手に入れた比嘉の努力にほかならない。
独自の手法を模索し続け、トレーナーとして成熟した野木と、比嘉という若き才能がベストのタイミングで出会い、15連続KO勝利という大記録が生まれたのである。
比嘉がKO賞を、野木がトレーナー賞に輝く
2月9日、東京ドームホテルで盛大に開かれたボクシングの年間表彰式で、比嘉がKO賞を、そして野木がその年の最優秀トレーナーに与えられる「トレーナー賞」を受賞した。かつてボクシングの夢をあきらめ、生きる屍となった男が四半世紀のときをへて、ボクシングでスポットライトを浴びる。だれがこのようなストーリーを想像できようか。
「これからだと思いますよ。大吾がこれからどこまで強くなるのか。僕にも分からない。それくらいの可能性を秘めている。それを最大限にサポートするのが、自分の役目です」
比嘉と歩調を合わせるように、野木はトレーナーとして、これから全盛期を迎えようとしている。(敬称略)