上村愛子選手(ソチオリンピック)すがすがしさと自分らしい滑りと「達成感マックス」の心理学
■上村愛子とオリンピック
上村愛子選手。スキーモーグルのスター選手。みんなに愛され続けてきた選手。昨年引退した里谷多英選手と共に、日本女子モーグル界をリードしてきた。
1998年:長野オリンピック7位。
2002年:ソルトレイクシティオリンピック6位 。
2006年:トリノオリンピック 5位 。
2010年:バンクーバーオリンピック 4位 。
「何でこんなに一段一段なんだろう」と悔し涙を流す。
そして、今回。これが最後と臨んだ34歳の上村愛子選手。
滑り終わった上村選手は、しばらくゴーグルを外さない。
目から涙が止まらない。でも、それは悔し涙ではない。
「全部、全力アタックできた。これが最後なんだと思うと、ワーって涙が出てきた」
そして、結果は・・・
2014年:ソチオリンピック 4位。
けれど、彼女は語る。
「とてもすがすがしい気持ち。達成感マックスです」
■長野オリンピック以外、どこかオリンピックを楽しめなかった。
18歳で出場した長野オリンピック。
「(里谷)多英さんのことが気になって、自分の順位は最後まで分かりませんでした。1ケタに入ればいいと思っていたから、7位は大満足。でも自分の入賞より、多英さんの優勝の方がうれしい。2人で泣きました」。
オリンピックに出場することは、すさまじいプレッシャーを受けることだろうが、それでも長野オリンピックの時には、メダルへのプレッシャーは少なかったのだろうか。緊張と同時に、18歳らしく、世界最大のスポーツの祭典オリンピックを楽しんだのだろう。
しかし、上村選手は語る。
「長野オリンピック以外、どこかオリンピックを楽しめなかった。」
年齢が上がり、様々な事情を知り、メダルへのプレッシャーがかかる。それは、日本代表選手として当然のことだろうが、若い選手の肩には重くのしかかる。
もしも、前回バンクーバーオリンピックで引退していたら、オリンピックは辛い思い出になっていただろうと、上村選手は語っている。そして今回、彼女は、さわやかにオリンピックを楽しみ、メダルはとれなかったものの、最高のパフォーマンスを発揮した。
■「楽しむ」ということの心理学
「楽しむ」などと選手が語ると、国費を使っているのに無責任だという批判もでるだろう。しかし、何度もオリンピックに出場している上村愛子選手は、そんなことはわかっている。その上での、「楽しむ」のだ。
心理学的には、パフォーマンスを高めるためには、「雑念」は厳禁だ。不安や緊張などの雑念は、練習通りの体の動きを妨げ、脳に余計な仕事をさせる。レースが始まる瞬間には、雑念が消え、余計なことを考えず、「楽しむ」ことこそが、必要なのである(プロ選手とオリンピック選手の違いはあるだろうが)。
■チャレンジと達成感とすがすがしさ
上村愛子選手は語っている。「攻めていきたい」と。パフォーマンスを下げる原因の一つは、必要以上の失敗への恐れだ。彼女は、攻めていく。
前回のオリンピック後に引退しても良かったのに、今回のソチオリンピックの出場自体、すでに主流ではなくなっているカービングターンを使うこと、そしてスピードを求めること。上村選手の最高のチャレンジだ。
人は上を目指す。自分らしさを求める。でも、さまざまな雑念が純粋なチャレンジを妨げる。その結果、パフォーマンスが下がったり、完全燃焼できなかった不満感が残ったりしてしまう。
上村選手は、攻め続け、チャレンジし続けた。その結果が、「達成感マックス」と感じられるすがすがしいさわやかさだったのだろう。
■自分らしい滑り
上村愛子選手や、夫の皆川賢太郎さんさんが語っている。今までは、どこか人のために滑っていた。今回は、自分のために、自分らしい滑りをしたと。
自分のために滑るとは、わがままや自己中心的ではない。競争を無視して楽をすることでもない。
多くの人に世話になり、応援され、期待に応えなくてはならないと思うのは当然だ。競技だから、人に勝つことは当然必要だ。でも、そのためだけにスポーツするのは、最初に味わっていたはずのスポーツの感動をどこかに置き忘れることかもしれない。
人は、本当の意味で自分らしくなれたとき、ベストパフォーマンスが生まれ、深い満足感を味わうのだろう。
■上村愛子選手を支えてきた人々
彼女のやさしく思いやりあふれた人柄は、テレビの前だけではないようだ。里谷多英選手のメダルを心から喜ぶ。前回、バンクーバーオリンピックの後では、こんなことも言ってる。
「自分が全力を出すことが難関だったので、クリアできたことはよかった。(ラハテラコーチに)“カービングターンを追求してやってきたということをすごく、誇りに思う”って言われたんで、それがうれしかったです」。
(今回ソチオリンピックで、すばらしい滑りにもかかわらずメダルに手が届かなかった理由の一つが、現在の主流が「スライドターン」になっていて、そのためにベースとなる点数が低かったからと言われている。)
やさしすぎる性格は、時に勝負の時にはマイナスになることもあるかもしれないが、上村選手は多くの人の「愛」に支えられてきた。
家族は、挑戦し続ける娘を、妻を、上村愛子選手を支え続けてきた。結果だけにとらわれず、愛し続けてきた。
家族の愛は、ただの気休めではない。内発的動機づけの研究によれば、愛されている受容感が、やる気の土台である。愛は、もちろんただの甘やかしではない。今回のレース前も、母親は、「しっかり滑りなさい」と激励している。
ただし、その激励は、上村愛子選手の愛と涙を心から理解した上での応援だ。それこそが本当の応援だ。
スポーツはすばらしい。オリンピックはすばらしい。人間はすばらしい。上村愛子選手を応援してきた私達も、彼女と一緒にすがすがしさを感じたことだろう。
メダルがとれなかったのは残念ではある。しかし、上村愛子選手の物語は、これからも続いていく。
「今後も一緒に人生を歩むが、今シーズンはまだ終わっていない。「楽しい時間は雪が解けてからかな」」(夫である皆川賢太郎さんの言葉。読売新聞2/10)。
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