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スコットランド最後のアウシュビッツ生還者 大学での量子技術研究に遺産を寄付

佐藤仁学術研究員・著述家
ローゼンベルグ氏(スコットランドヘラルド提供)

アウシュビッツを生き延びることができた時計職人の腕と物理学

スコットランドで最後のアウシュビッツ絶滅収容所の生還者だったジュディス・ローゼンベルグ氏が98歳で2021年1月に逝去された。

ローゼンベルグ氏は1922年にハンガリーで生まれたユダヤ人で、時計職人の見習いとして働きながらブダペスト大学で勉強していた時にハンガリーにもナチスドイツが侵攻し、1944年に家族と一緒にアウシュビッツ絶滅収容所に移送された。アウシュビッツで別れた父とは二度と会えていない。ナチスに連行されてドイツの弾薬工場で働いていたことがある。父はローゼンベルグ氏に「常に大変な方を選んで生きていきなさい」と最後にアドバイスをして、彼女はそれを忠実に守り抜いてきて生き延びることができた。第二次世界大戦時にナチスドイツが支配下の地域でユダヤ人を差別、迫害して約600万人のユダヤ人、ロマ、政治犯らを殺害した、いわゆるホロコースト。そのホロコーストの象徴的な存在の1つのアウシュビッツ絶滅収容所では欧州からのユダヤ人やロマ、政治犯ら110万人以上が殺害された。

彼女が時計職人として手に職を持っていたことでナチスドイツの親衛隊員の時計を修理したり、物理学を教えたりすることによって、ナチスから配給のパンなどをもらって彼女と母、妹は生き延びることができた。そして1945年に解放されてから通訳として働いていたローゼンベルグ氏はイギリス人の軍人と知り合って結婚してからイギリスに住んでいた。時計職人としての腕と物理学の知識は彼女と母、妹がホロコースト時代に差別されていたユダヤ人として、アウシュビッツ絶滅収容所の地獄を生き延びるための重要な手段でもあった。

このように物理学にとても明るかったローゼンベルグ氏は戦後も物理学や科学技術の発展に興味を持って勉強していた。そして彼女の意思で、自身の遺産の50万ポンド(約7700万円)をスコットランドのグラスゴーにあるストラスクライド大学での量子技術研究に活用されるために寄付されることになった。

ストラスクライド大学では、彼女からの寄付を元に「Harold and Judith Rosenberg Quantum Technology Laboratories」という彼女の名前をつけた量子技術の研究所を設立する予定。同大学のジム・マクドナルド教授は「ローゼンベルグ氏は良き友達でストラスクライド大学のサポーターでした。いつも支援してくれていました。彼女が逝去されたことはとても悲しいことです。彼女からいろんなことを学びましたし、とても楽しかったです。彼女の科学技術に対する興味と情熱はとても素晴らしかったです」と語っている。

物理学のポール・マッケン教授は「ローゼンベルグ氏からの遺贈は、私たちの量子技術研究の発展に役立ちます。彼女の科学技術への探求心は何歳になっても衰えずに、とても素晴らしかったです」と語っている。

学術研究員・著述家

グローバルガバナンスにおけるデジタルやメディアの果たす役割に関して研究。科学技術の発展とメディアの多様化によって世界は大きく進化してきました。それらが国際秩序をどう変化させたのか、また人間の行動と文化現象はどのように変容してきたのかを解明していきたいです。国際政治学(科学技術と戦争/平和・国家と人間の安全保障)歴史情報学(ホロコーストの記憶と表象のデジタル化)。修士(国際政治学)修士(社会デザイン学)。近著「情報通信アウトルック:ICTの浸透が変える未来」(NTT出版・共著)「情報通信アウトルック:ビッグデータが社会を変える」(同)「徹底研究!GAFA」(洋泉社・共著)など多数。

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